サウジアラビアに76.3%のボール支配を許した森保ジャパン。これ以上、歓びのない勝利も珍しい。「アグレッシブにプレッシャーをかけるつもりでいたが、サウジの攻撃を受ける形になってしまった」とは、試合後の森保一監督の弁だが、一方でこうも述…
サウジアラビアに76.3%のボール支配を許した森保ジャパン。これ以上、歓びのない勝利も珍しい。
「アグレッシブにプレッシャーをかけるつもりでいたが、サウジの攻撃を受ける形になってしまった」とは、試合後の森保一監督の弁だが、一方でこうも述べていた。
「守って勝つオプションがひとつ増えた」
前向きな言葉を発していたが、この一戦は率直に言って、日本サッカー史に残る汚点。大事件である。
サウジアラビアを1-0で振り切り、準々決勝進出を決めた日本代表
ボール支配率が毎試合、数字となって表されるようになってかなり経つが、76.3対23.7%の試合を見た記憶はほとんどない。日本代表戦に限った話ではない。ありとあらゆる試合で、だ。あのバルセロナだって76.3%という数字を残すことはそれほど多くない。
守って勝つとはよく言ったものだ。詭弁である。攻められなかっただけの話である。いい守りを基盤に、いい形でボールを奪った末のゴールではない。決まったゴールは前半20分、柴崎岳(ヘタフェ)が蹴ったCKを冨安健洋(シント・トロイデン)がヘッドで合わせたセットプレーだった。
勝利至上主義が幅を利かせる日本だが、この勝利をポジティブに捉える人は、どれほどいるだろうか。
「守備はオッケー。あとは攻撃のみ」と言ったのはフィリップ・トルシエだ。2001年4月のことだった。
その1カ月前、トルシエジャパンはスタッド・ドゥ・フランスで行なわれたフランス戦に0-5で大敗する。すると続くスペイン戦に、フラット3ならぬフラット5の作戦で臨んだ。自軍ゴール前に5人が並ぶ超守備的サッカーで、2試合連続の大敗を恐れるサッカーをした。もしそうなれば、更迭もあり得るとの危機感からなのだろうが、その試合後に飛び出した言葉がそれだった。
スペインに0-1という結果を受け、当時、その言葉をそのままアナウンスしてしまったメディアの何と多かったことか。10人のフィールドプレーヤーのうち半分が自発的にゴール前にへばりつけば、攻撃はできないに決まっている。知人のスペイン人記者は、こちらに不思議そうに語ったものだ。「日本代表は何しにスペインまでわざわざやってきたのか。お金のムダではないのか」と。
シャルジャのスタンドでサウジ戦を眺めながら、まず脳裏をよぎったのは、スペインのコルドバで行なわれたその一戦だった。守備と攻撃を、まったくの別物として捉えることに、まだ抵抗がなかった時代の話だが、いまこの時代に、代表監督が「守って勝った」と平気で語ってしまう国に、明るい未来が待ち受けているとは思えない。
今回の相手はスペインではない。サウジアラビアである。「アグレッシブにいきたかったのに、できなかった」と言うのなら、なぜ、監督はゲーム中に指示を出さなかったのか。
森保監督は試合中、ずっとピッチの脇に立って声を投げかけていた。いったい選手とどんなコミュニケーションを図っていたのか。最悪、ハーフタイムに立て直しはできたはずだ。しかし、時間が経過しても、症状は改善されなかった。改善する術がなかった。これが真実だろう。
サッカーの普及と発展にまるで貢献しない非生産的な試合。もし、こうした見るに耐えない試合を続ければ、サッカー人気の後退は必至だ。まさに、人気にあぐらをかくようなひどい試合を披露することになった森保監督の責任は重い。
日本のサッカーは長年に渡り、サウジ的な方向を目指していたはずだ。23.7か76.3かといえば、後者になる。監督によって程度の違いはあるが、基本的には、ボールを保持してパスを展開するサッカー、あるいは、プレッシングから高い位置でボールを奪おうとするサッカーを目指してきたはずだ。ハリルホジッチを解任した理由も、従来の概念から外れたサッカーをしたからだ。
その極めつけともいうべき試合を展開したのが、2013年U-17W杯に臨んだ吉武博文監督率いるU-17日本代表だった。グループリーグを3連勝。決勝トーナメント1回戦でスウェーデンに1-2で敗れたが、文字どおりの惜敗だった。日本サッカー史上、もっとも惜しい試合をひとつ挙げよと言われれば、この試合になる。圧倒的なボール支配をベースに相手陣内で攻め続ける、画期的で斬新、さらにいえば痛快なサッカーだった。
このとき日本U-17代表が4試合を戦った舞台はこのシャルジャで、その記者席に腰を据えると、6年前の光景が脳裏に鮮やかに蘇るのだった。と同時に、目の前で展開されている記録的低支配率サッカーに対して、無性に腹が立った。
森保監督は会見で、サウジをリスペクトする言葉を口にした。サウジのサッカーのよさに言及していたが、あの程度のサッカーにゲーム内容で劣ることに悔しさはないのか。
自軍ゴール前に引いて構える森保ジャパンに対し、サウジは、引いて構える相手にどう対処するべきかという、従来の日本が抱えることの多かった問題に直面した。答えはサイド攻撃になるが、サウジはそれがまったくできなかった。トップにボールが収まる機会も少なかった。ボール回しは低い位置が大半で、一見うまそうに見えるが、怖さはなかった。真ん中に突っ込んでは日本にカットされた。
しかし、それが日本のいいボールの奪い方にはつながらなかった。奪う位置が深すぎる(低すぎる)ので、逆襲につながらない。前線の堂安律(フローニンゲン)、南野拓実(ザルツブルク)、武藤嘉紀(ニューカッスル)も、頼りにならないプレーを繰り返した。シュート数5対15。日本に決定的なシーンはなかった。相手GKを泳がすシーンもなかった。チャンスらしいチャンスがほとんどない情けないサッカーをした。
そもそも日本は速攻を得意にしないチームに見えた。後方に引いて構えるのが得意ではない。それでいながら、ボールを回すこともできない。プレッシングも決まらない。かける術を知らないと言うべきだろう。いいチームにはとても見えないのである。
この日、出場したのはAチームだった。アジア杯初戦からA、A、B(サブ組)ときて、再びAに戻ったわけだが、Aがこれまで戦った3試合はいずれも低調だ。4試合の中で一番いい内容が、Bが戦ったウズベキスタン戦とは皮肉である。そもそも、チームをAとBに分けて戦う発想そのものが旧態依然としている。
同様の古さは、メンバー交代にも感じる。なにより遅い。3人目の北川航也(清水エスパルス)がピッチに入ったのは後半のアディショナルタイムに入ってからだったが、それは武藤が足をつったためで、それがなければ、3人目の交代カードは切っていなかったと思われる。過去3戦も同様。高評価の監督には絶対に見られない傾向だ。
次戦はベトナム戦。森保監督は「ベトナムは守りだけではない。攻撃にもいい選手がいる」と、相手をリスペクトしているが、もしベトナムに敗れるようなことがあれば、これまた大事件だ。
森保ジャパンはいつまでもつのだろうか。総合的なレベルは残念ながら低い。雲行きははなはだ怪しくなっている。