「錦織圭を6年間支え続けたトレーナー」 中尾公一氏の肩書を短く説明すると、そのような言葉になるのだろう。就任したのは、2013年シーズンから。その後、2014年の全米オープン準優勝や、2016年のリオデジャネイロオリンピック銅メダル獲得…

「錦織圭を6年間支え続けたトレーナー」

 中尾公一氏の肩書を短く説明すると、そのような言葉になるのだろう。就任したのは、2013年シーズンから。その後、2014年の全米オープン準優勝や、2016年のリオデジャネイロオリンピック銅メダル獲得など、錦織の活躍の背後には、常に中尾氏の存在があった。

 では、実際に長いツアー生活をともにするなかで、中尾氏はどのような役目を担い、22歳の青年がトップ10の常連になるまでに、いかなる日々を過ごしてきたのだろうか?

 錦織の進化を支えた濃密なる時の蓄積を、本人に紐解いてもらった。



2013年シーズンから6年間、錦織圭のトレーナーを務めた中尾公一氏

「私がやるのは、ケガの予防的なコンデョショニングです。コンディショニングとは、テニスのスキルを上げるためのトレーニングとは、また少し違うものです。目的の方向性が違うので、メソッドも違ってきますが、最終的なゴールは同じ。ですから、分けられないところはありますし、連動もしています。

 大会中の私の主な仕事はトリートメントであり、それは身体の状態をリセットすること。マッサージで疲れを取ることが中心になり、必要に応じて針を打ったり、痛い箇所に運動療法を入れます。

 疲労を取るためには、これは個人的な考えでもありますが、基本的には睡眠と食事を取ることしかない。人はただ座っているだけでも疲れます。では、マッサージの役目は何かというと、疲労回復因子を産生させ、老廃物や疲労因子を取り除き、栄養を全身に送るために血行をよくすることです。血液が栄養を運ぶので、筋肉の硬い部分をほぐして血行を隅々まで行き渡りやすくします。

 ただ、マッサージをやりすぎると、結局は他動で運動をしていることになるので、それは疲労(もみかえし)になるんです。ですので、どこまでやるかを見極めることが大切になってきます。

 試合前にはもちろん、選手に同行して会場に行き、ストレッチやしたりウォーミングアップを見ます。これらはルーティーンが決まっているので、最近では私がとくに口出しすることはありません。

 初期のころは、『こういうウォームアップをしたほうがいいよ』と指導したこともありますが、基本は選手に自分で考えさせるのが私の方針。それに圭は、やるべきことは手を抜かずにしっかりやります。そこは、彼はプロフェッショナルですから」

 ともに過ごした6年間の後半は、ストレングス&コンディショニングコーチにロビー・オオハシ氏が就いたこともあり、中尾氏の役割はケアにシフトしていったという。だが、就任した2013年当時は、身体の動かし方を指導することもまた、中尾氏の仕事だった。

「就任して最初の1、2年の私のミッションは、完全にケガの予防でした。とくに圭からは『左ひざが痛い。それをなんとかしてほしい』と言われたので、その抜本的な原因を取り除くことから始めました。『そのためには、9カ月はかかるよ』と本人に伝えたんですが、実際に2013年10月のジャパンオープンのころには、ほぼ痛みは出ないまでになっています。

 私の仕事の段階としては、痛みの原因を見極めることが第一。圭の打ち方や動きを見た時、打球時に体重が後ろにかかっていることに気づきました。ラファエル・ナダル(スペイン)もそうですが、打点が後ろだと、利き腕と反対側のひざに負荷がかかりがち。スクワットなどでも重心が後ろに入ると、ももの前の部分に力が入り、そうすると、ひざのお皿を通してつながっている腱(けん)に負担がかかります。

 そこで、打ち方や体重の乗り方も含め、重心の位置を変えてあげることが次のステップ。ただ、私はテニスの技術面に口は出しません。そこはコーチの仕事ですし、私が言うことで本人の打つ感覚が変わってしまうとよくないですから。そこで日ごろのトレーニングで、自然に重心が前になるよう誘導していきます。

 たとえば、スクワットや、足を一歩前に出してひざを曲げる運動の時に、後ろに重心がかからないように指導しました。あるいは、これはひとつの例ですが、足の指の力が弱いと前に乗れないので、その箇所を鍛えたりもします。必要な筋力を鍛えたり、動きを改善することで、自然とコート上での動きや打ち方も変わりましたし、ひざの痛みも消えました」

 段階を踏んで目的地へと向かったその結果、たしかに錦織の打球時の重心は、2014年には素人目にも明らかなほど前に移っていた。全米オープン準優勝やジャパンオープン優勝、そしてATPツアーファイナルズベスト4という躍進の1年は、それら緻密な分析と計画の上に築かれた成果だ。

 野球やバスケットボール選手も見てきた中尾氏は、他競技と比べても、テニスはフィジカル的に過酷な競技だと言う。また、1月初旬に行なったこのインタビューで中尾氏は、全豪オープン開幕前に引退を示唆したアンディ・マリー(イギリス)の未来を予見するかのような言葉を残していた。

「私が就任した時に圭が望んでいたのは、痛みがなくなること、そして、ケガをしても回復が速いことでした。それはこの6年間で、かなり成果が出たと思います。今回の手首のケガ(2017年8月の尺側手根伸筋腱脱臼)以外は、3週間以上休んだことはないと思います。それは、他の選手と比べても珍しいと思いますよ。ナダルもマリーも、長期的なケガはありましたから。

 長期的に離脱させないことを、もっとも重要視していました。それをさせないためには、見極めもそうだし、痛みの出ない身体を作ることが大切です。ただ、痛みに強いというのと、ケガがないというのはまた少し違うことで、限界は必ずあります。

 たとえばツアーで、3週連続で優勝するのはフィジカル的にほとんど不可能です。マリーは2016年に2週連続優勝を複数回していましたが、アナウンスはしないだけで、身体にはいろいろと抱えていたはずです。

 テニスでもっとも負担がかかる身体の部位は、腰部です。ATPのデータでも、腰痛が一番多いと出ています。ケガと呼ばれるものには、起点が明確な外的要因による”外傷”と、「使いすぎ」によって起きる”傷害”があります。外傷は足首の捻挫などが多いですが、傷害と呼ばれる慢性的な痛みは腰痛が一番多く、それに付随する股関節などが多い。マリーも、そのケースです。

 テニスで大切な動きは、股関節の使い方です。ボールを打つ時は身体を大きく回転させますが、腰というのは、30度くらいしか捻(ひね)れないんです。対して股関節は、もっと大きく回る。ですから、『腰を回す』という動作は、実は股関節を回しているんです。

 したがって、重要な筋肉も臀部になります。背中の筋肉は小さいですが、おしりの筋肉は大きいので、股関節を回す時はおしりの筋肉を使う。ここをしっかりトレーニングすることが重要ですし、関連してハムストリングや大腿四頭筋、外側広筋などもバランスよく鍛えていく必要があります。

 圭のテニスも、やはり股関節が重要な役割を占めています。そこを鍛えることが大切だと私も感じていましたし、そこはロビー(・オオハシ)とも意見が合った点でした」

 ケガとひとくくりに言っても、”外傷”と”傷害”は異なるもので、外傷はいわばアクシデント的な側面も大きい。錦織が2017年に負った手首の腱の脱臼も、典型的な外傷である。だが同時に、誘発する要因も彼のなかにすでにあった。

 錦織を襲った手首のケガと、チームはどのように向き合ったのだろうか? 

「手首のケガは、スピンサーブを打つ際に起きた外傷でした。腱を覆っている鞘(さや)から、腱が外れてしまったんです。

 治療法に関する私の意見は、手術をしない方向でした。医師のなかには、手術にポジティブ(前向き)な医師もいましたが、MRIから見て固定して保存療法で治すことはできるし、手首はとくに繊細なので、手術すると完全に元に戻るのは難しい箇所ですから。

 ケガをしないに越したことはありませんが、手首のケガをして唯一よかったのは、サーブのフォームを改善できたことです。ケガの再発を防ぐために、それまでは手首で無理やり回転をかけていたのを、ひじをうまく使う打ち方に改善しました。それにより手首だけでなく、下半身や腹筋……全身への負荷が軽減したのです。

 今の圭は、そうそうケガをしない身体になったと思います。トレーニングもハマっているし、サーブの動きがよくなっている。自分の仕事も、ひとつ区切りがついたなと感じています。

 去年の終盤はケガもなく、トレーナーの立場から見ると、6年間やっていて一番いい状態でした。それがうれしいですし、今年の圭は、ビッグタイトルを取るのではと思います」