★第74回 後藤悠/自転車 (3月24日)  競技に打ち込み続けた4年間  「競技に打ち込むあまり視野が狭くなってしまっていた」。後藤悠主将(スポ=岩手・紫波総合)は早大自転車部で過ごした4年間をそう振り返…

 

 
第74回 後藤悠/自転車 (3月24日)
 

競技に打ち込み続けた4年間

 「競技に打ち込むあまり視野が狭くなってしまっていた」。後藤悠主将(スポ=岩手・紫波総合)は早大自転車部で過ごした4年間をそう振り返った。しかし、言葉と裏腹にそう語る後藤の顔はどこか晴れやかだ。

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第73回 加藤広人/ラグビー (3月23日)
 

奮闘し続けた4年間

 選手として、主将として戦い抜いた4年間だった。何度もチームの窮地を救い、チームを献身的に支え続けた。また、チームが最善の道に進むためにどれが最適な選択か悩み、伝達することも欠かさなかった。「成長させてくれた場所」。加藤広は早大という場所を語った。そんな加藤広の4年間を振り返っていきたい。

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第72回 黒木健人/ラグビー (3月23日)
 

今までも、これからも

 地道に泥臭く——。早大をけん引してきた副将・黒木健人(教=宮崎・高鍋)を象徴する言葉だ。華々しい代表歴はないものの、低く確実なタックルはディフェンスの要と言える。1、2年次はFBとして、3年次からは山下大悟前監督(平15人卒=神奈川・桐蔭学園)のもとでCTBとして、常にチームのために体を張り続けた。今年度の早大ラグビー蹴球部は、年越しはまたしても叶わず、全国大学選手権は3回戦敗退となった。しかしながら、黒木が4年生として、そして副将として、後輩たちに残したものは多いだろう。

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第71回 松嶋那奈/フィギュアスケート (3月22日)
 

仲間を感じた四年間

 ひとつひとつの演技はもちろん、演技前の緊張感、終了後の表情をとっても目が離せない競技」。フィギュアスケートの魅力をこう語るのは、松嶋那奈(スポ=東京・駒場学園)である。現在大きく実力を伸ばしているスケート部フィギュア部門を主将としてこの一年間けん引し、早大のエースとして華々しい活躍を遂げた四年間を振り返る。

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第70回 湯本啓太/スキー(3月22日)
 

 

 成績で引っ張らない自分なりの主将。ことし、全日本学生選手権(インカレ)で創部初のアベック優勝を成し遂げ、早大は名実ともに王者となった。このチームをまとめ上げた立役者、湯本啓太主将(スポ=長野・中野立志館)は3年生頃から、自身の成績が伸び悩んでいた。同期や後輩の活躍に喜ばしさを感じながらも、主将として成績で劣る場面に葛藤していた。しかし、湯本が導き出した自分なりの主将としてのあり方は、『全てを楽しむ姿を見せる』ことだった。

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第69回 瀬戸公大/アイスホッケー(3月21日)
 

 

 「アイスホッケーをやっていなかったらここまで来られなかった」。何度もつらい思いを味わった。思うような結果が出ないことも多かった。それでも16年間の競技人生を振り返って、瀬戸公大(スポ=北海道・白樺学園)が口にしたのはアイスホッケーへの感謝だった。彼のアイスホッケー人生、そして副将としてAマークを背負ったこの1年はどのようなものだったのだろうか。

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第68回 新井遥平/アイスホッケー(3月21日)
 

 

  『家族』。新井遥平(スポ=北海道・駒大苫小牧)は、一年間を共に過ごし、戦い抜いたチームをそう表現する。主将としてプレー面でも、精神面でも、チームの中心であり続けた大黒柱の一年を振り返る。

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第67回 中村みづき/女子サッカー(3月20日)
 

 

 「サッカーを楽しむ」。これは中村みづき(スポ=浦和レッズレディース)が常に意識してきた言葉である。2年生からア式蹴球部女子(ア女)に加入した中村は夏頃からスタメンに定着。3年生からは中心選手としてチームをけん引し、数多くのタイトル獲得に貢献してきた。中村にとってア女はどんな場所であったのだろうか。中村のア女で過ごした三年間を振り返る。

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第66回 松原有沙/女子サッカー(3月20日)
 

 

 「このチームで優勝できて、本当にうれしい」。創部史上初の全日本大学選手権(インカレ)3連覇を成し遂げ、カップを掲げた直後、DF松原有沙(スポ=大阪・大商学園)に心境を問うと、開口一番、こう喜びをあらわにした。1年間ア式蹴球部女子(ア女)を引っ張ってきた心優しき主将は、様々な憂悶を乗り越え、仲間とともに最高の舞台での最高の瞬間にたどり着いた。

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第65回 鈴木裕也/男子サッカー(3月19日)
 

 

 鈴木裕也(スポ=埼玉・武南)を一言で表すなら、『真っすぐな男』。こう形容するのがぴったりだ。いかなる逆境に置かれても、挫折を味わっても、常に目標を持って自らの信念を貫く。その姿は、多くの者を魅了してきた。1年時から試合に出場し続けた分、プレッシャーは大きかったはずだ。「(プレッシャーを)気にしていたら自分のプレーが悪くなるだけ。できることを明確にするのが大切」。鈴木はそう笑顔で語った。

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第64回 木下諒/男子サッカー(3月19日)
 

 

 2017年7月15日、等々力陸上競技場のロッカールーム。スターティングイレブンの中に、一年半もの間記され続けていた名前がなかった。その名は木下諒(スポ=JFAアカデミー福島)。ワセダが誇る頭脳派サイドバックが過ごしたア式での最後の2年間は苦悩に満ち、それでいて刺激的な毎日であった。

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第63回 安井雄一/競走(3月18日)
 

 

 「四年間みっちり早大に貢献することができました」。関東学生対校選手権(関カレ)、東京箱根間往復駅伝(箱根)に四年連続出場。『W』のユニフォームに袖を通し続け、まさにエンジ色に染まったといえる男がいた。その名は安井雄一(スポ=千葉・市船橋)。笑顔が印象的な安井が駆け抜けた四年間はどのようなものだったのか。

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第62回 石田裕介/競走(3月18日)
 

 

 早大は大学陸上界において実績と歴史においてひときわ大きな存在を放ってきた伝統校である。その強豪校の主将として石田裕介(スポ=千葉・市船橋)はチームのことに目を配り、個人としても日本選手権2位、世界選手権に出場と大きなレースで結果を残してきた。ただ、この舞台にたどり着くまでは全てが順調であったわけではない。挫折や苦悩を味わいながらも、大学で競技を続け日本トップクラスの選手に上りつめた石田裕の四年間はどのようなものだったのか。

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第61回 坂井聖人/競泳(3月17日)
 

 

  ことしもワセダから世界のトップスイマーが巣立つ。坂井聖人(スポ=福岡・柳川)、リオデジャネイロ五輪男子200メートルバタフライ銀メダリストだ。今でこそ常に代表選手団に名を連ね、数々の大舞台を経験している坂井。しかし大学入学前は、主要な国際大会での目覚ましい戦績は持っていなかった。なぜこれほどまでの選手へと成長できたのか。そこにはワセダという地で鍛え上げたからこそ身に付いた強さがあった。

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第60回 山口真旺/競泳(3月17日)
 

 

  「部活ではチームでの行動や、主将として(集団を)どうまとめるかを経験できた」。1年間早大水泳部の女子主将を務めた山口真旺(スポ=兵庫・須磨学園)は、そう語った。高校生の時まではクラブでの活動が主だった山口。大学入学までチームで戦ったこと、チームで協力し合ったことがほとんどなかった。そんな山口がチームで過ごした4年間は、自身を大きく成長させるものだった。

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第59回 阿久津直希/競泳(3月17日)
 

 

  この1年間、水泳部の主将を務めた阿久津直希(スポ=埼玉栄)は「濃い4年間だった。1年1年充実していた」と大学生活を振り返った。日本代表選手も所属する強豪校ゆえ、競技成績だけではチームの主軸とは言えなかったかもしれない。しかしそんな中でも阿久津は主将として、誰よりもチームのことをよく考え、実際に行動に移してきた。『人一倍の責任感』を持ち、全力で駆け抜けてきた大学生活を振り返る。

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第58回 齋藤有寿/水球(3月16日)
 

 

   取材にはいつも快く応じてくれる。まっすぐな眼差しと明快な言葉1つ1つが、主将としての貫禄を示しているようだった。ただ本人は、自身のそうした立ち位置をあまり自負していなかったらしい。主将の役を引き受けてからは仲間に助けられることが多かったと言う。キャプテンである自分よりも「チームのみんなが苦労したのかな」と思い返し、少しはにかんだ。競技に取り組む中でつかんだものは何だったのか。水球を通して飛躍した齋藤有寿(スポ=山形工)の4年間を振り返る。

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第57回 松本康平/バドミントン(3月15日)
 

 

   一年間主将としてチームを支え、24年ぶりの全日本学生選手権優勝に大きく貢献した男・松本康平(スポ=埼玉栄)が春から新たな門出を迎える。早大で過ごした4年間は彼にとってどのようなものだったのだろうか。

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第56回 中西貴映/バドミントン(3月15日)
 

 

 バドミントン選手として中西貴映(スポ=埼玉・大宮東)の強さは誰もが認めるところである。その中西が一人の人間として大きく成長したのが早大での四年間であった。輝かしい経歴を残した大学生活を終え安堵(あんど)の表情を浮かべたその奥では、すでに前を向く中西の姿が見えた。

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第55回 香山芳美/レスリング(3月13日)
 

 

 「楽しむこと」。それは香山芳美(スポ=東京・安部学院)がレスリングをする上で常に信条としていたことである。結果が出ない日々もあった。怪我に苦しんだ日々もあった。決して平坦な道のりではなかった。それでもその悔しさを原動力に、決して悲観的に捉えず、前を向き一歩ずつ歩んできた。幾多の試練を迎え、屈辱感や責任感と葛藤しながらも、常にレスリングの楽しさを追い求めた充実の4年間だった。

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第54回 伊藤奨/レスリング(3月13日)
 

 

 自他共に認める真面目な性格。今年度レスリング部主将を務めた伊藤奨(スポ=長崎・島原)はどこまでもチームの勝利に貪欲だった。プレーヤーとして順調な成長曲線を描いた時、伸び悩みを感じた時、主将として葛藤を抱えながらもチームを支えた時。憧れのワセダで誰よりも真摯(しんし)にレスリングと向き合い続けた日々が、伊藤奨を大きく成長させた。

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第53回 川﨑茜/女子剣道 (3月12日)
 

チームのために全力で

 「自分より周りをどうにかしたい」。これは川﨑茜(文=京都・日吉ヶ丘)がこの一年間意識してきたことである。川﨑は下級生から多くの試合に出場し、4年生では主将として常にチームのことを考えてきた。その中で何を学んだのか。川﨑の早大剣道部での四年間を振り返る。

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第52回 久田松雄一郎/男子剣道 (3月12日)
 

結果を追い求めて戦い続ける

 「人として成長することができた社会勉強の場」。久田松雄一郎主将(スポ=佐賀・龍谷)は早大剣道部についてこう語った。1年時からレギュラーとして試合に出場し、チームを引っ張ってきた。決して楽な道のりではなかったこの4年間を振り返る。

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第51回 森川未和子/女子弓道 (3月11日)
 

『千射万箭』の心構えで

 道場の使用中止、全日本学生選手権(インカレ)4位入賞、そして東京都学生リーグ2部への降格。怒濤(どとう)のシーズンを森川未和子(スポ=岐阜総合学園)は女子部主将として務め上げた。「後にも先にもこんな出来事を経験することはないだろう」、と笑いながらこの1年を回顧する。森川にとって、この1年はどんな年であったのか。冷静に己と向き合い、弓とともに歩んだ競技人生を振り返る。

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第50回 堂脇周平/少林寺拳法 (3月11日)
 

万里一空

 「自分が自信をもってやってきたと言える唯一のもの」。中学で出会ってから10年間、堂脇周平(文構=城北埼玉)のそばには常に少林寺拳法があった。競技を始めたときから目指していた全国制覇の夢を自らの代で叶えることはできなかったが、大学生活4年間を少林寺拳法に捧げたことに後悔はない。早大を1年間主将として率いた拳士が得たものとは。

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第49回 秋山拓哉/男子ラクロス (3月10日)
 

改革をもたらした男

 2017年11月11日、駒沢第二球技場。そこには対照的な光景が広がっていた。喜びをかみしめる勝者、悲しみにくれる敗者。しかしその敗者の中に、涙を浮かべながらも、主将として部員の先頭に立ち、応援に駆け付けた人々に対して堂々と挨拶をする男の姿があった。早大ラクロス部主将、AT秋山拓哉(スポ=兵庫・豊岡)。最後まで主将であり続けた秋山の四年間とは一体どのようなものであったのだろうか。

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第48回 細見千明/女子ラクロス (3月10日)
 

妥協なき挑戦

 女子ラクロス部の試合ではいつも、部員の和気あいあいとした応援がグラウンドに響き渡る。ゴールが決まれば全員が自分のことのように喜び、応援も一層盛り上がる。その応援を背に受け、躍動してきたのは、女子ラクロス部の主将を務めた細見千明(文構=千葉・昭和学院秀英)だ。チームの核として感じていた覚悟や苦悩、そしてその先に得た喜び。大所帯の部をまとめ、日本一を目指して走りぬいた細見の4年間に迫る。

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第47回 田中千秋/卓球 (3月9日)
 

かけがえのない卓球と仲間

 インカレ連覇、秋季関東学生リーグ戦で4季ぶりの優勝を果たした女子卓球部。そのチームを作り上げた田中千秋(スポ=愛知みずほ大瑞穂)。チームメイトが自然とついていきたくなる田中の素顔と、これまでの軌跡を振り返る。

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第46回 上村慶哉/卓球 (3月9日)
 

『主役』への成長

 圧倒的な存在感、とでも言おうか。上村慶哉(スポ=福岡・希望が丘)の堂々としたプレーはいつでもチームに安心感と勢いをもたらしてきた。今、主将としての一年間を強い覚悟をもって駆け抜けた上村は紛れもなくワセダの大黒柱と言うことができるだろう。しかし、上村は自身の卓球人生において常に光が当たる立ち位置ではなかった。『名脇役』から『主役』へと大きく成長した上村の4年間の軌跡を振り返る。

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第45回 橋本周平/日本拳法 (3月8日)
 

目標に向けて最後まで

 「日本拳法部は学生生活の全てです」。1年時から主力としてチームを支え続けた橋本周平(社=大阪・清風)は4年間を振り返った。しかしその4年間は決して順風満帆だったわけではない。主将の責任を感じ、苦悩の日々を送っていた時期もあったという。そんな時、彼の支えになっていたものとは一体何だったのだろうか――。

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第44回 塩沼泰成/男子ソフトボール (3月7日)
 

背中で語る

 新歓でもらった1枚のビラ――。4年前、福島から上京したての1人の青年はソフトボール部に出会った。「大学ではソフトボールをするつもりなんてなかった」。しかしこの一年間、塩沼泰成(スポ=福島・安積)は4番打者として、また主将としてチームをけん引した。

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第43回 角頼遼香/女子ソフトボール (3月7日)
 

駆け抜けた13年間

 原点は『楽しい』という気持ちだった。最初の記憶は、野球好きな父とのキャッチボール。褒めてもらえて、ただそれが嬉しかった。小学4年生になって、ソフトボール部に入った。バットがボールをとらえ、打球が外野へ抜けていく。そのワクワクする気持ちにとりつかれた瞬間から、角頼遼香(社4=千葉経大付)の13年にわたるソフトボール人生は始まった。「ボールにバットが当たってヒットを打つ瞬間って、ソフトボールを始めた時から引退するまで、同じくらいワクワクするんです」。何百、何千と安打を積み重ねてきても変わらないその少年のような心こそ、角頼の原動力なのだろう。

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第42回 池田亮/アーチェリー (3月6日)

 

負けないために

 「試合ごとに必ず超えられるハードルを常に設定していた」。早大アーチェリー部を下級生の時から主力としてけん引し、主将も務めた池田亮(人=東京・国際)は、実力からは想像しがたい堅実さで試合に臨んでいた。今や関東屈指の強豪として名をはせるまでに成長を遂げた早大アーチェリー部。その先頭を走り続けた男の四年間をひも解く。

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第41回 熊澤亮/合気道(3月5日)
 

 

 「主将としてというわけではなく、ワセダの合気道部として何ができるか考えながらやってきました」。一年間主将を務めた熊澤亮(創理=東京・城北)は穏やかな表情でそう語った。ただ一人の4年生主将は、元気のある後輩たちとコミュニケーションを取りながらチームをけん引してきた。その競技人生はどのようなものだったのか。

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第40回 福田倫史/山岳(3月4日)
 

 

 ラジョダダ(Lajo Dada)をご存じだろうか。ヒマラヤ山脈に存在する、標高6400mほどの「かつて」未踏峰であった山の名だ。そのラジョダダの山頂に、世界で初めて足跡を残した男がいる。名を福田倫史(スポ=栃木・県立宇都宮)。世界初登頂という偉業を達成し、山岳部の長い歴史に新たな1ページを刻んだ福田の山岳人生とはいったいどのようなものなのか。福田の山岳との出会いにもフォーカスしながら、それをひも解いていく。

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第39回 長谷川和市/ゴルフ(3月3日)
 

 

 団体戦重視と言われる大学ゴルフ。個人の力だけでは決して強いチームへと上り詰めることはできない。実力だけでなく、人間性も持ち合わせていなければならないそのチームの主将として指名された長谷川和市(スポ=兵庫・滝川二)。1年時から主力として多くの試合に出場し、4年時には主将としてチームをけん引し、個人戦においても男子で唯一日本学生選手権に出場を決めた。長谷川の早大ゴルフ部での四年間はどんなものだったのだろうか。

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第38回 吉岡颯/ワンダーフォーゲル(3月2日)
 

 

 中高でバスケをしていた吉岡颯(創理=千葉・暁星国際)がワンダーフォーゲルと出会ったのは早大の入学式。自然が好きで山登りと自転車に興味を持ち、大学ではアウトドアスポーツをしたいと考えていた。そんな中、入学式の新歓で先輩に声を掛けられ入部を決意したという。

 

 
第37回 佐々木昇吾/航空(3月1日)
 

 

 「自分1人では絶対にできる活動ではない。みんなで協力してひとつのことを成し遂げる競技だ」と4年間の航空部での活動を総括したのは佐々木昇吾主将(基幹4=愛媛・宇和島東)。敵を常に目の前に据えて競うわけではなく、孤高の戦いにも思える航空競技。主戦場である上空1000メートルの機体の中ではどのような思いを抱いて飛行していたのだろうか。

 

 

 
第36回 笹井健佑/準硬式野球(2月28日)
 

 

 笹井のこの4年間を支えたのはチームメイトだけではない。忙しい中球場に足しげく通ってくれた監督やコーチらの名前を1人1人挙げ、感謝の気持ちを話してくれた。特に、池田訓久監督(昭60教卒=静岡・浜松商)ついては「本当に熱い人」であり、「監督を胴上げしたかった」と語った。また、ワセダの準硬式野球部の試合には、いつも多くの応援に駆け付けた選手の家族の姿がある。笹井も、毎試合顔を出してくれた母親について、1年生の頃は気恥ずかしさもあったが、「平日も、雨の日も来てくれて、良いところを見せたい、という励みになった」と言う。来てくれた家族の姿を確認できる距離で試合を行うことができるのも、準硬式野球ならではの良さであろう。

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第35回 杉脇麻侑子/軟式庭球(2月27日)
 

 

 「周りに応援してもらえる選手になりたい」と杉脇麻侑子女子主将(スポ=東京・文化学園大杉並)は言い続けてきた。言葉で語るよりも試合でチームを引っ張るというスタイルで軟式庭球部女子部を牽引した。誰よりも真面目にソフトテニス向き合い、強い姿を見せ続けてきた杉脇はどのような人物なのだろうか。

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第34回 高倉悠輔/軟式庭球(2月27日)
 

 

「主将としての自分に点数をつけるとしたら70点ですね」と高倉悠輔(商=東京・早実)は答えた。「その時は精一杯自分ができることをやったが、今振り返るともっとテニスが強かったら自信を持ってチームを引っ張っていけたと思う」と語る。「熱誠」というスローガンを掲げインカレ6連覇を成し遂げた軟式テニス部主将に迫る。

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第33回 櫻井康裕/応援(2月26日)
 

 

 「紺碧の空、仰ぐ日輪…」。ワセダを応援する人々は、チーム奮い立たせるとき、得点を決めたとき、勝利したとき。隣の友人と、時には名前も知らない人と、肩を組んでこの歌を歌う。櫻井康裕(社4=群馬・中央中教校)は、応援部の一員として、この『紺碧の空』を何度歌ってきたのだろうか。どんなに暑くても、寒くても、風が吹いていても、学ランをピシっと着こなし、いつでも決まっているリーダーは、観客の視線を集めることも多い。応援席では笑顔とユーモアの溢れるリーダーだが、その裏では想像も出来ないほどの厳しい世界がある。櫻井も、代表委員主将となりセンターリーダーとしてテクを振るまでには、長い長い下積み時代があった。

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第32回 眞城永稔/射撃(2月25日)
 

 

 2017年9月、関東学生選手権秋季大会でファイナルに勝ち残り、3位入賞を果たした眞城永稔(教育=大阪・高槻)。4年生にして初のメダルを獲得。「ようやくとれたな」と嬉しい気持ちを表した。そこには眞城の競技生活が垣間見えた。

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第31回 竹下昇輝/フェンシング(2月24日)
 

 

 「自分が進むべき道を決めるときには必ずあるもの」。竹下昇輝(スポ=静岡・袋井)は自分にとってフェンシングはどのような存在かという問いにこう答えた。小学生からいままで、フェンシングと共に道を歩んできた。自分の決めた道で努力を怠らない竹下だったが、この4年間は、なかなか、思うような結果を出すことができなかった。だが、フェンシングは、竹下自身をひと回りもふた回りも成長させた。歴史ある早大フェンシング部の主将を務めあげた竹下はこの春、卒業を迎える。

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第30回 片柳陽加/ホッケー(2月23日)
 

 

 ホッケーは様々な音が行き交う。スティックでボールを弾く甲高い音。白球を追いフィールドを駆け抜ける音。そして、主将がチームを鼓舞する声音。積み上げた音の数だけチームは成長できる。「誰よりも声を出す」。ホッケーをプレーする上で片柳陽加(スポ=栃木・今市)が心得とした言葉だ。数々の逆境を乗り越え、チームのために力を尽くした闘将の目には何が映っていたのだろうか。

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第29回 宮口和樹/ホッケー(2月23日)
 

 

 輝かしい実績をひきさげてワセダに入学してきた宮口和樹(スポ=滋賀・伊吹)。決して、楽しいことばかりではなく苦しんだ時期もあった。それでも大学4年間をホッケーに捧げた彼の勇姿を振り返りたい。

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第28回 安藤万衣子/女子ハンドボール(2月22日)
 

 

 「勝ち上がっていく楽しさを知った一年間でした」。昨年、全日本学生選手権(インカレ)で史上初のベスト8進出を果たした女子ハンドボール部。安藤万衣子(教=東京・文化学園大杉並)は、主将としての一年間をそう振り返った。

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第27回 西山尚希/男子ハンドボール(2月22日)
 

 

 『ワセダ』でハンドボールをプレーする。このことの特別さを、西山尚希(社=香川中央)は語ってくれた。このチームで過ごしたからこそ見出せる意味とは。自覚と成長を追い求めた4年間をひも解く。

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第26回 永松礼/ヨット(2月21日)
 

 

 「負けたのは自分のせいだと思っています」。永松礼(スポ=大分・別府青山)は、昨年11月の全日本学生選手権(全日本インカレ)を振り返って、こうつぶやいた。創部史上初の4年連続日本一を目指した昨季の早大。そのスナイプチームをリーダーとして率いた永松は、集大成の舞台でまさかのミスを犯した。悔やんでも悔やみ切れないレース――しかし、永松はここで終わる男ではなかった。

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第25回 岡田奎樹/ヨット(2月21日)
 

 

 早大のエースとしてはもちろん、国内のみならず、世界を舞台に活躍したセーラー岡田奎樹(スポ=佐賀・唐津西)。大学ヨット部での競技を通して、人と感情を共有することによって喜びや悔しさが倍増することを知ったという。そんな岡田奎の早大での4年間を振り返る。

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第24回 田島広大/米式蹴球(2月20日)
 

 「器用貧乏なプレイヤーで終わりたくない」。内なる闘志を燃やし、ブロックやキャッチの専門職であるスキル陣、ラインズと切磋琢磨しながら日本一のTEを目指した田島広大(法=東京・早大学院)。年々規模を増すBIG BEARSの副将としてチームを支え、まだ見ぬ頂へ挑み続けた男の軌跡をたどる。

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第23回 坂梨陽木/米式蹴球(2月20日)
 

 「覚悟を持ってプレーする、感謝の気持ちを忘れない」。オフェンスの司令塔であるQBとして坂梨陽木(政経=東京・早大学院)が心得としていたことだ。パフォーマンス次第で試合が決まると言っても過言ではないポジションでありながら、200を超える部員を主将としてまとめ上げた男。その目には、何が映っていたのだろうか。

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第22回 齋藤周太/自動車(2月19日)
 

 「自動車レースは奥が深く、一生の思い出です」。齋藤周太主将(人4=東京・日野台)はこう語る。日本において自動車レースは、世界と比べてあまり身近なものではない。しかし、齋藤はこの競技に大学生活の全てをささげ、チームに尽くしてきた。そして昨年、優勝こそ逃したものの、自動車部は見事全日本学生自動車連盟年間総合杯(全日本総合杯)で2位に輝く。この結果には自動車部に通ずる『常勝ワセダ』の意志が関係していた。彼の自動車部での4年間を振り返る。

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第21回 喜入祥充/男子バレーボール(2月19日)
 

 バレーボールは高さがものをいうスポーツだ。特にスパイカーは高さがあることそれ自体がアドバンテージとなる。そんな中で、身長174センチと小柄ながらも入学直後からスパイカーとしてスタメンで活躍したのが喜入祥充(スポ=大阪・大塚)だ。「高さは必要。でも、だからこそ高さが全てではない」。並外れた跳躍力を持ち、自身よりも何センチも背の高い相手とも対等に戦うその姿は多くに人に勇気を与えてきた。4年間常に早大の中心であり続け、誰よりも早大のバレーを知り尽くした喜入。その4年間はどのようなものだったのだろうか。

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第20回 芹澤友希/女子バレーボール(2月18日)
 

 その選手はいつもコートの中央にいた。誰よりも声を出し、誰よりも笑顔で。その選手は、天真らんまんな姿に加え、仲間に対しての気配りを欠かさない。その姿から全幅の信頼を置かれ、早大女子バレーボール部の主将となった。その人物こそ芹澤友希(スポ=茨城・土浦日大)だ。高校時代の淡青色のユニフォームから打って変わり、エンジを身にまとった司令塔が見た大学バレーの景色は、一体どんな色合いだったのか。

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第19回 加賀優太/男子バレーボール(2月18日)
 

 秋季関東大学リーグ戦(秋季リーグ戦)完全優勝、全日本大学選手権(インカレ)優勝。華々しい戦績で早大バレー部は今季を終えることとなった。その全試合で、唯一の4年生スタメンとしてコートに立ち続けたのは、加賀優太(商=東京・早実)。MIP賞を始め数々の賞を受賞した。「めちゃくちゃプレッシャーがあった」と笑顔で語る彼は、早大で誰よりも色濃い4年間を過ごした。

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第18回 末廣祥彦/空手(2月17日)
 

 

 大学を代表する、東京都を代表する、道場を代表とする。今まで数々の期待を背負ってきた末廣祥彦主将(スポ=東京・世田谷学園)。しかし、それをプレッシャーと捉えずに「責任として捉える」ことによってマイナスに考えなかった。どんなときも手を抜かず、常にチームのことを考え、チームを引っ張り続けた末廣の思いとは。

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第17回 竹中貴一/体操(2月16日)
 

 

 昨年11月、全日本団体選手権8位入賞。竹中喜一(スポ=福井・鯖江)は最高の形で長い競技人生の最後を終えた。「僕、頑張ることしか取り柄無いんで(笑)」と語る竹中は、どんな時もとにかく笑顔で明るい印象の持ち主だ。そんな彼は一体どのような競技人生を送ってきたのだろう。今回は彼の体操人生を振り返る。

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第16回 井上稜介/ボクシング(2月15日)
 

 

 今シーズン主将として早大ボクシング部を率いていた井上稜介主将(スポ=東京・八王子東)。「ボクシング=痛み、99%は辛い」と柔らかい表情で答える井上。決して楽なことなどなかった4年間の道のりとは。

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第15回 三川莉奈/馬術(2月14日)
 

 

 「(馬術には)人と馬の掛け合わせみたいな部分がある」。そう三川莉奈(基理=東京・東農大一)は語った。たとえ選手の技術が高くても、馬の調子が悪いと結果は残せない。その一方、三川は自身の調子が悪いとき、担当馬のカプチーノAに助けられたこともあった。馬術は個人競技ではあるが、決して『1人』では成り立たない。そしてそれは馬術部主将として部を1年間けん引してきた三川にもいえることだ。

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第14回 石原卓/男子バスケットボール (2月13日)
 

 

 「バスケを楽しむ」、ムードメーカーとしてどんなときもチームを盛り上げてきた石原卓(社=東京・京北)がよく口にしていた言葉だ。自分だけではなく周りの人にも楽しんでもらえるようなプレイを常に心掛けてきた。早大バスケットボール部を『楽しめた場所』と表現した彼の競技人生を振り返りたい。

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第13回 小島由希子/女子バスケットボール (2月13日)
 

 

 「ベンチから良い流れをつくる」。その言葉通り笑顔とチームを大切に思う気持ちでチームを引っ張ってきた小島由希子(教=岩手・一関学院)。ケガやチームづくりに苦戦しながらも、チームのために駆け抜けたバスケットボール生活を振り返った。

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第12回 内門沙綾/ウエイトリフティング(2月12日)
 

 

 2017年12月に開催された第63回全日本大学対抗選手権。早大ウエイトリフティング部の四年生にとって、引退前最後となる重要な大会だ。この大会でワセダは男子団体4位・女子団体1位という輝かしい成績を収めた。その女子選手陣の中心に立ち、部をけん引してきた選手がいる。その名は内門沙綾(スポ=宮崎・小林秀峰)。早大ウエイトリフティング部女子主将だ。

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第11回 森川芳樹/ウエイトリフティング(2月12日)
 

 

 地面に置かれたバーベルを勢いよく引き上げ、その挙上重量を競い合う競技、ウエイトリフティング。一見単調に見えるこの競技だが、フォームやテクニック、そして裏での駆け引きに至るまで、その実は奥深い。そのウエイトリフティングに、大学生活のすべてをかけてきた男がいる。その名は森川芳樹(スポ=兵庫・明石南)。この一年間、主将として早大ウエイトリフティング部をけん引してきた。

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第10回 鬼谷智之/相撲(2月11日)
 

 

 「とても濃い4年間でした」。鬼谷智之(スポ=愛知・愛工大名電)はワセダでの相撲生活をそう振り返る。彼が早大の門を叩いたとき、先輩部員はわずかに3人。2部リーグでの団体戦出場もままならなかった。そんな相撲部も今では1部リーグで強豪校相手に善戦するまでになった。この躍進の中心にいたのは、創部100周年という記念すべき代の主将を務め上げた鬼谷である。決して大きな体ではなかった彼が第一線で活躍し続けられた、その土俵にかけた半生に迫る。

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第9回 倉持洵/弓道(2月10日)
 

 

 体育各部の中で最も長い歴史を有する弓道部。倉持洵(スポ=東京・国学院久我山)は4年前、全国制覇を目指し弓道部に入部を決めた。しかし、そこには激しい競争と、時に逃げ出したくなるほどのプレッシャーのかかる日々が待っていた。選手として、主将として弓に誰よりも真っすぐに向き合った倉持の4年間とは。

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第8回 下田将大/柔道(2月9日)
 

 

 「負けない柔道」。今年度の早大柔道部を表す一言だ。「負けない」というと消極的な印象を受けるが、団体戦においては1つの失点が試合の勝敗を分けることになる。「負けない」ことは勝利への最低条件なのだ。昨年よりも人数も少なくなり、最初は戦力が落ちることを心配された柔道部。そんなチームを勝利へと導くために、「負けない柔道」を定着させ、部を支え続けた男がいる。今年度主将・下田将大(スポ=三重・四日市中央工)だ。

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第7回 木野田沙帆子/漕艇(2月8日)
 

 

 実力者揃いと言われながらも、全日本大学選手権(インカレ)総合9連覇が途絶えた2017年。木野田沙帆子(スポ=青森)は、主将を務めたラストイヤーで初めてインカレでの敗北を味わった。「戻れるなら戻りたい過去」――。喜びと悲しみの入り混じった一年間を終え、木野田は今、何を思うのか。

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第6回 内田達大/漕艇(2月8日)
 

 

 内田達大(スポ=山梨・吉田)はストイックな男だ。「他人が1練習したら、自分は10やる」という言葉からもその厳格さがうかがい知れる。ストローク、バウ両サイドをこなす高い漕ぎのスキルを持ちながら、それでも力を求め続けた内田。主将になってからもその態度は変わらず、常に実力でトップに立ち、背中で引っ張ることを心掛けた。誰よりも強くなることに熱心だった男の、漕艇人生を振り返る。

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第5回 細沼千紗/庭球(2月7日)
 

 

 「楽しいって気持ちが原動力になるんです」。細沼千紗(スポ=東京・富士見丘)の4年間はこの一言に集約されている。団体戦で無類の強さを誇り、早大に数々の勝利をもたらした細沼。常に試合を楽しみ、伸び伸びとプレーができていた3年目までとは裏腹に、主将のプレッシャーに押しつぶされそうになり、楽しさを見失った時期もあった。それでも苦しんだ末、待っていたのは全日本大学対抗王座決定試合(王座)での12連覇。どん底を経験した細沼が最後に強くあれたのは、笑顔で楽しくプレーできたこと、そして信頼できる大好きな仲間の存在があったからだ。

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第4回 小倉孝介/庭球(2月7日)
 

 

 名門・早大庭球部の主将・小倉孝介(スポ4=神奈川・湘南工大付)。部室でも、テニスコートでも、インタビューをしようと彼を探すと、彼の周りにはいつも人の輪ができていた。これまでの主将とは違い、団体戦ではいわゆる『ベンチ主将』だった小倉。それでも部員からの信頼は厚く、「日本一の主将」と誰もが口をそろえてたたえるほど。そんな「誰からも愛される主将」は、どのようにして生まれたのだろうか。

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第3回 柳澤一輝/野球(2月6日)
 

 

「自分のピッチングをすれば勝てる」――威力のある直球と、マウンド度胸が持ち味の柳澤一輝(スポ=広島・広陵)はこの4年間、度々この言葉を口にした。柳澤の大学野球生活は、決して順風満帆なものではなく、2年生のときにはけがに見舞われ全く活躍することができなかった。しかし柳澤はこの挫折を「大きな転機だった」と言う。けがを機に自身のスタイルを見直し始め、その後の3年秋や4年時は好調に。プロに行くかともうわさされたが、悩んだ末に柳澤が選んだ道は社会人野球で経験を積むことだった。

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第2回 大竹耕太郎/野球(2月6日)
 

 

冷たい雨が降りしきる秋の早慶戦。1人の男の名がアナウンスされると、神宮球場は拍手と歓声に包まれた。「ピッチャー、大竹君。背番号13」―――。ワセダの黄金期を支えた大竹耕太郎(スポ=熊本・済々黌)の雄姿に観客の視線が集まった。球場の注目を一身に浴び、彼は長く伸びたリーチから淡々と白球を投げ込む。ひょうひょうとしたマウンドさばきに見えるが、ここにたどり着くまでには苦難の道のりがあった。

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第1回 佐藤晋甫/野球(2月6日)
 

 

 70年ぶりの最下位。昨季の早大の結果である。前年無冠に終わり、王座奪還を目指した昨年のチーム。その主将こそ、他ならぬ佐藤晋甫(教=広島・瀬戸内)であった。プレーヤーとしても、伝統あるチームをまとめる主将としても高いレベルを求められ、多くの葛藤があったこの一年。人の前に立ち、積極的に発言するタイプではないことから、「自分は(主将をするような)タイプではない」と話す一方で、チームをまとめる良き主将であろうと努力してきた。憧れ続けた早大で担った大役は、佐藤晋にとってどのようなものだったのだろうか。

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