グループF最弱国とおぼしきトルクメニスタンに3-2。次に弱いと思われるオマーンに1-0。弱小国相手に最少得点差の勝利が続いたことを責めるつもりはない。万が一、勝ち点を落としても、それで今後の可能性が広がるのであれば、なんら問題はない。…

 グループF最弱国とおぼしきトルクメニスタンに3-2。次に弱いと思われるオマーンに1-0。弱小国相手に最少得点差の勝利が続いたことを責めるつもりはない。万が一、勝ち点を落としても、それで今後の可能性が広がるのであれば、なんら問題はない。勝ち点4でも、つまりオマーンに引き分けても、日本の決勝トーナメント進出は決定していた。アジアカップはきわめて緩い設定の中で行なわれている。グループリーグは「絶対に負けられない戦い」ではないのだ。

 問題はその逆だ。勝利を収めても、可能性が膨らんでいかなければ意味はない。日本代表に問われているのは今後の可能性だ。決勝となる7試合目を見据えながら、目の前の試合に向き合う姿勢がグループリーグの戦いには求められている。

 毎試合、新たな収穫を少しずつ得ながら次戦に向かう必要があるのだが、トルクメニスタン戦、オマーン戦で新たな収穫があっただろうか。この2戦を経て日本代表の可能性はどれほど広がっているか。戦い方の選択肢は広がっているか、総合力は上昇しているか。7試合目から逆算したとき、着実なステップを踏んでいるように見えるか。



原口元気のPKでオマーンに卒勝した森保ジャパン

 オマーンはトルクメニスタンに比べて強かったが、その差は小さい。低レベルに見えた理由は、パスの選択肢の数が2本以上ないケースがほとんどだったからである。パスは出し手と受け手の2者の関係にほぼ限定されていた。わかりやすいパスを繰り返していた。

 そんな弱小チーム相手に、森保ジャパンはゲームをコントロールできなかった。前半は実力差に相応しいチャンスの数を掴んだが、後半はまさにいい勝負。ボール支配率は55対45に終わった。

 決勝ゴールに繋がった前半28分のPKも、相手の原口元気(ハノーファー)への接触はファウルだったのか。怪しい限りである。逆に前半終了間際、相手が放ったシュートを長友佑都(ガラタサライ)がブロックしたシーンは、ハンドであることを認めないわけにはいかない。ロシアW杯のようにVARが採用されていたら、結果はどうなっていたかわからない。

 第1戦同様、弱者を相手に接戦をしてしまったわけだ。「2連勝で決勝トーナメント進出!」といえば、景気のよい話に聞こえるが、優勝しそうなイメージは湧いてきたかと言えば、答えはノーだ。試合後のインタビューでマイクを向けられた原口は、決勝トーナメントに向けて不安を口にしていたが、現実の厳しさは当事者である選手が一番、理解している。

 日本の問題として、この2戦で露わになったのは中心選手の不在だ。頼りになりそうな選手が見当たらない。大迫勇也(ブレーメン)が先発から外れると、その傾向はより著しくなる。

 持ち上げられている南野拓実(ザルツブルク)、堂安律(フローニンゲン)にしても、柱になれているかといえば、ノーだ。瞬間的に光るプレーを見せるが、コンスタントではない。真の地力はまだついていない。優勝した2011年大会当時、中心選手として圧倒的なプレーを見せた本田圭佑(メルボルン・ビクトリー)の域には遠く及ばないのだ。香川真司(ドルトムント)ほどのキレもない。

 また、南野、堂安以上に中心にならなければいけないのは柴崎岳(ヘタフェ)になるが、この選手のプレーにも冴えがない。ロシアW杯以降、停滞している印象だ。

 両サイドバック(SB)も活躍できずにいる。「SBが活躍したほうが勝つ」とは、現代サッカーではもはや格言になっているが、長友佑都、酒井宏樹(マルセイユ)はそれぞれ、原口元気、堂安律と良好な関係を築けずにいる。両サイドで、滑らかなコンビネーションプレーが発揮されていないのだ。それぞれ単体でプレーしていることと、ボール支配率が上がらないこととは密接な関係がある。ボールを奪われやすいサッカーなのだ。

 日本が、その辺りにこだわったサッカーをしているようには見えない。森保一監督には、サイドアタッカーを両サイドに各1人しか置かないサッカーを、監督職に就いてからずっと続けてきた過去がある。SBと両ウイングの良好ではない関係が示すとおり、日本は前後の一体感に欠けるのだ。志向するサッカーと布陣との不一致を見る気がする。

 次戦のウズベキスタン戦から相手のレベルは上がっていくが、とりわけ、第1戦でPKを与えたシーンのように、ボールを真ん中付近で奪われると危ない。

 監督采配への言及を続ければ、森保監督はこの試合でも選手交代枠を使い切らなかった。トルクメニスタン戦は1人で南野→北川航也(清水エスパルス)。そしてオマーン戦は2人で北川→武藤嘉紀(ニューカッスル)、堂安律→伊東純也(柏レイソル)だった。2試合でわずか3人しか代えない代表監督は、世界広しといえどザラにいない。

 しかも、相手は最弱国とその次に弱い相手だ。さらに加えれば、最悪、3戦目の結果次第ではあるが敗戦さえも許される緩い戦いだ。選手を試すにはまたとない機会である。理解に苦しむ采配だ。「7試合を戦うつもり」とか「総力戦」とか言いながら、その備えをする意志が見られない。敗戦を恐れるあまり、試せなかったのであれば、代表監督の適性に欠けると言わざるを得ない。

 試合後のインタビューで、今後の戦いについて問われた際に口にしたコメントには一瞬、耳を疑った。「できれば、全員の選手を使ってあげたい」。多くの選手を起用することは、選手のためにすることではない。チームのため。勝利するため。優勝するためだ。つまり森保監督自身のためだ。「総力戦」の意味をはき違えていると言うべきだろう。

 オマーン戦で森保監督がいじったスタメンは2人。大迫と北川、槙野智章(浦和レッズ)と遠藤航(シント・トロイデン)の入れ替えだ。前者は大迫のケガ。後者は、第1戦のPKを与えたシーンで槙野の対応に問題があったことに加え、遠藤の体調が回復したことがその理由だろう。きわめて順当な変更だ。そこに7試合目から逆算したテストの要素は入っていない。

 想起するのは、1戦目(コロンビア戦)、2戦目(セネガル戦)を同じスタメンで戦ったロシアW杯の日本代表だ。西野朗監督は、3戦目(ポーランド戦)でスタメンを一気に6人代え、そして4戦目(ベルギー戦)では再び、当初のメンバーに戻して戦ったが、このやり方では5戦目(準々決勝)のスタメンは見えてこない。ベルギー戦も逆転弾を打ち込まれる前こそが交代のタイミングだったが、西野監督は動かなかった。動けなかったのだ。その時、選択肢は手詰まりの状態にあった。

 森保監督は次戦ウズベキスタン戦をどう戦うのか。西野ジャパンの3戦目と被って見える。となると、4戦目(決勝トーナメント1回戦)のスタメンも見えてしまう。これでは7試合は戦えない。

 オマーン戦を日本のお茶の間に伝えたテレビ解説者は「メンバーを固定して戦った方が成長する」と述べたようだが、これが日本人の指導者に浸透しているスタンダードだとすれば、代表監督は即、外国人に戻すべきだろう。メンバーを固定して戦った時、成長するのはいったい誰なのか。11人のみが成長しても、トーナメントは勝ち抜けない。7試合目はない。2022年も期待できない。日本代表の強化にはまるで繋がらないのである。

 森保ジャパン、このままでは危ない。