メルボルンシティの中心部から会場へと向かう通路に、叫ぶ彼女のポスターが踊る。 1回戦の舞台には、メインアリーナの掉尾(ちょうび)を飾るナイトセッションが用意された。 トップ選手に課される大会開幕前の会見で、彼女の名がプレスルームにアナ…
メルボルンシティの中心部から会場へと向かう通路に、叫ぶ彼女のポスターが踊る。
1回戦の舞台には、メインアリーナの掉尾(ちょうび)を飾るナイトセッションが用意された。
トップ選手に課される大会開幕前の会見で、彼女の名がプレスルームにアナウンスされると、各国の記者たちはボイスレコーダーを片手にインタビュールームへと急ぐ。
町全体が全豪オープンの色に染まりゆくなか、直近のグランドスラム優勝者である大坂なおみを取り囲む喧騒と期待は、かつてないまでに高まっていた。
リラックスした表情で会見に応じる大坂なおみ
多くの視線を浴びながら、会見室の壇上にゆっくり上がる彼女の表情には、しかしいつもと異なる感情の気色はない。シャープになった顎(アゴ)のラインや、筋肉が隆起する肩回りに、オフシーズンのトレーニングの跡が刻まれるのみである。
「この大会を迎えるにあたっての調子は?」
その質問には笑みを浮かべ、「ここは私が予選を突破し、初めて本戦に出たグランドスラムなので、来るたびにいい気分になれる。特別な思い出がたくさん宿る場所だから」と答えた。
全米の優勝がもたらした変化について問われると、「私自身は、何も変わったと感じない。たった3カ月で人が変わったりしたら、それって残念なことじゃない?」と返す。
「変わったことと言えば……そうね、会見がメインインタビュールームで行なわれるようになったこと!」
あまりに無邪気なその笑顔に、記者席から笑い声があがる。大坂の代理人も、「僕からは、彼女にメディア対応の指導など、何ひとつしなかった。それでも彼女は、あれだけの自然体。本当に大したものだよ」と、うれしい驚きを覚えるほどの佇(たたず)まいだった。
ただ、彼女が抱える変化が顔をのぞかせたのは、会見が英語から日本語に切り替わった時のことである。
ベスト4の結果を残した今季開幕戦のブリスベン国際について問われると、彼女は「あの大会での私は、優勝することを考えていた。いつもは1試合ずつ集中し、それがうまくいっていたのに……」と、眉を寄せて述懐する。
「すごく勝ちたかった。シーズン最初の大会だし、とてもよいオフシーズンを送っていたから、シーズンのスタートで優勝できたらと考えてしまった。準決勝に行った時は、その試合ではなく、すでに決勝のことを考えてしまった。それが問題だった」
全米を制した事実は、彼女の視線を自ずと遠くへ向けさせる。充実の仕上がりも、自身に向ける期待値を、本人も気づかぬうちに高めていた。
大坂のパフォーマンスコーチのアブドゥル・シラーは、昨年最後の試合が終わった時に「オフシーズンはみっちりトレーニング。楽しい時間になるだろうね」と不敵な笑みを浮かべたが、その成果は大坂本人にも「もっと速く動ける身体になった」と自覚させる。だからこそ、メルボルンでの彼女は、集中しきれないまま戦った準決勝で、心のざわめきを抑えることができなかった。
「とても恥ずかしい態度をコート上で取ってしまいました。試合を観ていた方たちに謝りたい」
試合後に大坂は、SNSに謝罪の自省の言葉をつづっていた。
「人間としてもっと成熟することが、今の私の最大の目標」
全豪前の会見の席で、大坂は明言する。
「そのためにも最近は、寝る前にジョークをノートに書きつづっているの。そうすれば、会見でも使えるでしょ?」
だったら、何かジョークを披露して――? そう水を向けられると、大坂は表情ひとつ変えずに即答した。
「今のはジョークよ、ごめんなさい」
会見室が再び爆笑に包まれたのは、言うまでもない。
21歳を迎えた今、もしかしたら彼女は、変わろうと自覚的に努めているのかもしれない。そうでなければ、ブリスベンで優勝にとらわれてしまったように、自分の中の何かが変わってしまうから。
変わらないために、自分を変える――。その矛盾した論理の解を見つけることが、今の大坂が自分に課す、新たなステージに上がるためのタスクなのだろう。
今大会での「ゴール」を問われた時、大坂は次のように答えている。
「ひとつずつ、ステップを上がっていくこと。誰しも初戦では負けたくない。だから、そこを勝つことが直近の目標ね」
そうして勝ち上がっていけば……と彼女は続ける。
「できれば準決勝に行きたいし、それから決勝で勝つことを考えるわ」
目の前に集中しつつも、同時に、頂点に立つことをも視界に入れる――。
矛盾の解を求める旅を、すでに彼女は歩みはじめている。