ジュビロ磐田名波浩監督インタビュー(2)(1)から読む> 2018年J1最終節を終えて、J1参入プレーオフに向かうこととなったジュビロ磐田の名波浩監督は、自身の退路を断つべく、監督を退任することをクラブに告げていた。その思いは、J1参入…

ジュビロ磐田
名波浩監督インタビュー(2)

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 2018年J1最終節を終えて、J1参入プレーオフに向かうこととなったジュビロ磐田の名波浩監督は、自身の退路を断つべく、監督を退任することをクラブに告げていた。その思いは、J1参入プレーオフ決定戦で東京ヴェルディに2-0と勝利し、J1残留を勝ち獲ったあとも変わることはなかった。

 現役時代には日本代表の「10番」を背負い、さまざまな苦楽を経てワールドカップのピッチにも立った。所属のジュビロでも、数々の栄冠を手にする一方で、いくつもの悔しさを味わってきた。海外でのプレーも経験し、酸いも甘いも知り尽くしている。それは、2014年に指導者となってからも同様である。

 しかし今回の経験は、彼が生きてきた46年のなかで、何物をも凌駕するほどの失意だった。ゆえに、監督の座を辞することを早々に決断した。そしてそこから、監督続投を決意するまでの、彼自身が「怒涛の90分」と表現した濃密な時間を振り返る――。



J1参入プレーオフ決定戦で東京Vを下して残留を決めた磐田だったが...

――「自分の人生においても、怒涛の90分」と表現された、J1参入プレーオフ決定戦を終えたあとのことについて、お聞かせください。

「まず、J1最終節で川崎フロンターレに負けた日の夜に話を戻すと、クラブハウスで(強化部長の)服部(年宏)と話をしたとき、彼から『血も涙も出ないくらい(監督の仕事を)やり切れよ』と言われて、『もう、血も涙も出ねぇよ』と言ったの。そして、『自分は(監督を)辞めたくないのに、成績の責任を取って辞めるんだから、泣くんだったら、今ここで泣いているよ。でも、一滴も涙が出ねぇんだよ。だからもう、オレはやり切ったんだよ』と伝えていた。

 そこからまた、J1参入プレーオフ決定戦のヴェルディ戦が終わったあと、J1残留を決めて選手たちがピッチで喜びを分かち合っているとき、自分は(スタジアム内にある監督)部屋に戻って、服部と2人で話をしていたんだよね。そこで、すぐに自分は『お疲れ。(監督を)辞めるから』と。

 そうしたら、服部は『ちょっと待て』と。そこから、自分に対する評価、自分は表向きには言ってこなかったんだけど、主力の多くがケガしたなかでここまでやってきたこと、勝ち点41を挙げたこととか、延々と評価してくれた。そのうえで、『辞めるな』と言ってくれたんだよね。

 だけど、自分はそれでも『来年、このチームを好転させる自信がない。”自信がない名波浩”なんて、これっぽちも魅力がない』と言って、そこでもう涙を堪えきれなくなって……。服部も同様で、ふたりで大号泣して……」

――試合直後にそんなやりとりがあったんですね。

「そうなんだよ。ふたりで大号泣しながら、服部は自分より年下なんだけど、『それでもいいから(監督)やれよ!』『おまえがやらなきゃ、誰がやるんだよ!』って言ってきて……。

 それでも、自分は『自信がないから無理だ』って、『いいスタッフはいるから、勝てる監督を呼べよ』って言うと、そこでまた服部が『いいんだよ、ガタガタ言わずにやれよ!』『おまえが辞めるなら、オレも辞める』とまで言い出して。いつも冷静な服部も、あのときはさすがに感情的になっていたね。

 そうやって、ふたりが言い合っていると、鍵をかけていたドアがガチャガチャと鳴る音がして、ドアを開けると、社長が立っていた。それで、号泣して言い合っている自分たちを見て、社長も泣き出して……。

 で、しばらくすると、社長が自分に向かって、『4年間一緒に仕事をしてきて、おまえに命令したことはないけど、初めて命令する。おまえの親父とお袋に変わって言うからよく聞けよ』と言うと、ひと言『いいからやれ!』って叫んで、そのまま部屋を出ていった」

――そのやり取りは会見前の話ですよね。

「そう。結局(進退の)結論が出ないまま、まずは試合後のストレッチをこなしながら(自分を)待っている選手たちのところに行って、最初に謝った。そして、『みんなの力でチームを残留させてくれた。みんなの力で、来シーズンはチームを好転させてほしい』と伝えた。

 そのあと、自分としては(選手やスタッフに挨拶するのも)最後になると思っていたから、ロッカールームや風呂場も覗いて、みんなの顔をひと通り眺めてから、『(会見に)行ってくるわ』といった感じで、ポーカーフェイスを装って会見場に向かった。

 試合後の記者会見に臨むにあたっては、『今日は、質問はナシで』とお願いしていた。その分、小さな紙に話す内容のテーマを箇条書きしておいた。この日の試合の内容について、1年間の総括について、残留争いをしたなかでのメンタリティについて、それと自分の進退について……」

――自らの進退についても、ですか。

「選手たちのところでは言わなかったけど、会見の場で『(監督を)辞める』と言おうと思っていたから。それで、メモした紙を握り締めて会見場に向かったら、入口のところに妻が立っていたんだよね。聞けば、『社長に”ここに立っていてくれ”と言われた』って。『だから、意味もなく立っている』と。

 そこで、自分はピンと来て……。社長は、自分が会見で無謀なことを言わないようにさせようと。正気に戻らせるというか、冷静にさせるには、これしかないと思ったんだろうなって。それで、さすがに踏みとどまったというか……。結果的に会見では自らの進退については、濁した言い方をしたんだよね」

――監督続投へ、気持ちが傾いたのでしょうか。

「いや、まだ。会見を終えたあとも、まだ辞めるつもりだったんだけど、とりあえずお風呂に入ろうと思って、風呂場に行ったんですよ。すると、そこには試合に出られなかったベテランメンバーがいて……。松浦(拓弥)、宮崎(智彦)、八田(直樹)、藤田(義明)、(太田)吉彰ら、5、6人の選手たちがいたかな。

 それで、その選手たちがプレーオフの話じゃなくて、普通にバカ話をしているわけですよ。その光景を見ているだけでも泣きそうになったんだけど、その会話に自分も加わって話をしていたら、『あ~、こいつらとまた一緒にサッカーをやりたいな』って、純粋に思ったんだよね。

 そうしてそのあと、また服部と社長と話をしたんだけど、社長にいろいろと言われて……。その風呂場での話もしたら、社長が『そんないい話を聞いたら、なおさら(監督を)続けるしかないだろ』とか言って、懸命に自分を説得してくれて。

 そのとき、嫁さんを立たせてくれたのもそうだけど、こんなに成績が悪かったのに『まだ自分を(監督として)使ってくれようとしてくれているんだ』『そうやって、支えてくれるクラブがあるんだ』と思ってグッときたというか……。

 また、社長や服部の話を聞きながら、こんなに負けているのに『サポーターはいつもチャントを歌ってくれたよなぁ』とか思って。歌いたくない人も、(監督を)辞めろと思っている人もいただろうけど、『でも、そうやって応援してくれる人たちの気持ちに応えたいな』と、次第に思ったんだろうね。

 で、選手たちに訓示を述べて解散して、そこでは進退のことは言わずに、もう一度部屋に戻って(社長と服部)と話をしたときに、『やります。(監督を)続けます』って、そこで初めて続投することを告げた。その瞬間、服部はすぐに自分の部屋に戻って、すぐに契約書を持ってきた。ほんと、10秒ぐらいで(笑)」

――名波さんの気が変わらないうちに、と思ったのでしょうね。それにしても、確かに”濃い”試合後の90分間でしたね。

「いやぁ~、めちゃ濃かったよ」

――そう思うと、会見の前に奥様が立っていなかったら……。

「『辞める』って言ってたね。絶対、言ってた。それはもう、自信がある」

――それはまた、社長の”策”と言ったら失礼ですけど、名波さんの気持ちを静める方法がわかっていた社長がすごいですね。

「すごいね。確かに効果あったもん。今思えば、効果抜群だったよ(笑)」

――失った自信については、あれから少し時間が経って、徐々に回復しているのでしょうか。

「正直、今も自信は取り戻していない。以前が”100”だったとすれば、そこにはまだまだ及ばない。自信をなくしたことって、あります?」

――名波さんのような域にはありませんが、自信を失ったことはあります。

「そのときの気持ちを想像しながら、聞いてほしいんだけど、自分が持っていた”100”の自信と、みなさんが持っている”100”の自信は、おそらく大きく異なると思うんですよ。自分で言うのもあれなんだけど、自分は”超”がつくほどの自信家。それぐらい大きな自信がある。

 で、今シーズン起こったことは、その自信家である自分が46年間生きてきて、そのすべてを奪われるほどの出来事だった。投資で何億円失ったとか聞いても、そんなことは大したことじゃないって思えるくらい。

 だって、家の風呂場の鏡を見たとき、そこに映っている顔が自分じゃなかった。わかる? そういう感覚。そのぐらいの自信を、あの1週間で失った。まさにゼロになった。それは、簡単に取り戻せるものじゃないですよ」

(つづく)