それは昨年2月、オーストラリアの大会に参戦した日本人選手たちとともにした、酒の席でのことだった。 国内外のテニス大会を転戦しながら、日々感じていたことをお互い言い合ううちに、酒の勢いもあり、会話は徐々に白熱していく。個人的な不平不満に…

 それは昨年2月、オーストラリアの大会に参戦した日本人選手たちとともにした、酒の席でのことだった。

 国内外のテニス大会を転戦しながら、日々感じていたことをお互い言い合ううちに、酒の勢いもあり、会話は徐々に白熱していく。個人的な不平不満に似た吐露は、複数の選手の多角的な思いを反射しながら大局的な見地へと発展し、やがては「日本のテニスそのものは、どうすればよくなるか?」という究極の命題へと到達した。



全日本男子プロテニス選手会の初代会長に就任した添田豪

 日本のトップランナーである錦織圭は、圧倒的な知名度と人気を誇っている。その錦織以外にも、トップ100に複数の選手がいるし、男子国別対抗戦のデビスカップでは上位16カ国のみが出場できる「ワールドグループ」に定着して、すでに数年経った。

 だが、その一方で、錦織以外の選手の知名度や国内のテニス人気が上がったと、果たして言えるだろうか?

 たとえば、日本の最高峰大会である全日本選手権の集客力や、運営はどうだろうか?

 テニスという競技には、日本国内でも、もっと多くの観客の足を会場に運ばせるポテンシャルがあるはずだ。しかし今、この時を逃したら、テニス人気上昇の機は訪れないのかもしれない。ならば、誰かが変えてくれるのを待つのではなく、自分が動くべきではないだろうか……?

 それまで抱いていた種々の思いが、この時、添田豪のなかで、ひとつの像を結び始めたという。

 それが先日、発足を発表した「一般社団法人・全日本男子プロテニス選手会」の起点であり、彼を会長職へと導く熱源であった。

 現在34歳。世界ランキング最高位は、2012年に達した47位。

 錦織らが台頭するより以前の日本テニス界を若きエースとして牽引し、国内を拠点としながらトップ50の壁を突破した彼の背は、ある意味で錦織以上に、多くの日本人選手に希望と世界への道を指し示してきた。

 錦織圭の出現にともなう時代のうねりと、テニスを取り巻く常識や価値観の変換期にあり、添田ほどその変遷の一部始終を体感的に見てきた現役選手はいないだろう。

 彼がプロに転向した15年前は、松岡修造がグランドスラムで活躍した時代もすでに遠く、トップ100に日本男子選手のいない状況が長く続いていた。海外に練習環境を求めるという考え方が、今のように一般化していない時分でもある。

 プロ転向後も添田は、4歳から通っていたテニススクールを拠点としつつ、大学などさまざまなコートを渡り歩き、練習を重ねてきた。その当時に積んだ苦労は、必ずしも無駄ではなかったと添田は言う。自分で考え、工夫する力を養うことができたからだ。

 だが、日本のトップに至り、誰からも追われる立場になった時、国内では強い相手と練習できないもどかしさや、高いレベルでトレーニングできない歯がゆさとも直面する。

「24歳くらいまでは、やっぱり悩みましたよ。日本で一番になって、これからどうやって強くなるのかなと思った時に、もちろん自分で追い込むというのもあるけれど、自然と強くなるには環境が必要だなと思いました」

 その環境を求めて、イタリアやアメリカに短期的に滞在もした。だが、海外に完全に拠点を移すには、やはり言語や文化面も含めたストレスも多い。味の素ナショナルトレーニグセンター(NTC)が東京にできたのは、まさに、それらの葛藤を抱えていた折であった。

 NTCでトレーニングに打ち込む添田の姿は、多くの日本人選手たちの目に触れ、彼が20代後半にして次々と自己ベストを更新する報は、男女問わず「国内組」に高い目的意識を与えていく。

「添田さんが努力する姿は、いつも見ていた。その添田さんが世界のトップ50になったのは、刺激になる」

 彼がキャリアハイに達し、ロンドンオリンピック代表にもなった2012年には、とくにそのような言葉を多くの若手選手から聞いた。

 同時にこのころには、添田の口からも「若い選手にいろいろと伝えていければ」という思いが発せられるようになる。

 一見クールで、ともすると他人を寄せつけない孤高感をまとう添田ではあるが、その内には、後輩の活躍や日本テニス界の発展を願う、熱い思いがたぎっている。

 そのような添田の本質を象徴するのが、2015年に楽天ジャパンオープンの大会主催者推薦枠(ワイルドカード)を辞退した一件だ。理由は、直前のデビスカップ日本代表に、自身は名を連ねていなかったから。

「デビスカップに出る選手は、ツアー大会の賞金やポイントなど、いろんなものを犠牲にしている。ジャパンオープンのワイルドカードは、そのような選手に与えるべきだと思っている」

 たとえ自分の不利益になろうとも、己の信念や義は貫く……。そのような昔気質(かたぎ)の男臭さこそが、彼を今回、選手会会長職へと就かせた源泉でもあるだろう。

 現役として残された時間が限られることを自覚する今、添田は選手会会長として、環境改善やテニス普及の実現を目指すと同時に、自身の活躍も当然追い求めている。

「37歳のフェデラーが活躍しているのを見れば、年齢は言い訳にできない。自分も体力の衰えは感じないし、パフォーマンスを上げていけば、また100位内に行けるという思いもある」

 そう断言する添田には、最近獲得した新たな目標もあるという。それは、昨年誕生した子どもと一緒にグランドスラムへ行くこと――。

「家族を海外遠征に連れていこうかな、というモチベーションもあるので。外国の選手は家族との時間を大切にするし、それが結果にもつながっていると思う。僕もそういうふうになりたいですね」

 パパ業もして、あまり奥さんに怒られないようにしないと。怒られると、テニスにも影響があるので……。そう言い添田は、クールな相好を幾分崩して、照れた笑いを目尻に浮かべた。

 プレーヤー、選手会会長、夫、そして父親――。いくつもの草鞋(わらじ)を履きこなしながら、添田は第一人者として、さらなる道を切り開いていく。