高校時代、圧倒的な強さで常に世代を引っ張ってきた中谷雄飛(スポ1=長野・佐久長聖)。シーズン序盤は原因不明の不調に悩まされたが、駅伝シーズンには復調。出雲全日本大学選抜駅伝(出雲)、全日本大学駅伝対校選手権(全日本)の両駅伝で好走を見せる…

 高校時代、圧倒的な強さで常に世代を引っ張ってきた中谷雄飛(スポ1=長野・佐久長聖)。シーズン序盤は原因不明の不調に悩まされたが、駅伝シーズンには復調。出雲全日本大学選抜駅伝(出雲)、全日本大学駅伝対校選手権(全日本)の両駅伝で好走を見せると、主戦場とするトラックの5000メートルでも自己記録を更新した。東京箱根間往復大学駅伝(箱根)を前に、成長を続ける1年生エースの心境に迫った。

※この取材は12月5日に行われたものです。

「強くなるには周りと同じことだけをしていてもダメだ」


笑顔で話す中谷

――練習のスタイルが高校から大学で変わりましたが大学の練習はいかがですか

 初め入学してから数カ月は全体に合わせるようなかたちでやってきたのですが、やはり僕自身強くなるには周りと同じことだけをしていてはダメかなと感じました。そういうことは高校時代から感じていたり、先生方からも言われていたことでもあるので、少しずつ自分でオリジナリティを加えつつ、考えて練習してきました。

――その練習スタイルの移行に苦労することはありましたか

 ポイント練習の質がとても高くなったということが大学に入ってからの一番の変化として感じています。それがトラックシーズン前半はいいかたちで積めていたのですが後半はそれがオーバートレーニングというかたちで出てきてしまったので、前半にうまく練習を積めていた分、残念ではありました。でも高校からの練習の移行という面ではいいかたちで入れたのではないかと思っています。

――他大学の練習と比較して早大の練習の特徴を教えてください

 やはり自分の求めている練習、自分の意見を取り入れてやりたい練習をやらせてもらえているという面が大きいと思います。他大だと練習メニューが出されてその通りに行うという、どうしてもやらされている練習になってしまうと思うのですが、早大はある程度の枠組みがある中で自分たちがどうしたいかということも言えますし、その意見にしっかりと対応してもらえているというところがあるので、そこが他大との大きな違いであると思います。

――今季途中から朝練はクロカン走を行っているということですが内容は全体で行っている練習と同じですか

 クロカンでのジョグを始めた時は高校時代が約8キロだったのでそれをベースに練習をやっていました。ここにきて少しずつ距離を増やしていく中で、8キロのところを10キロにして自分のペースで行っているので、いいかたちでジョグはできているのと思います。

――クロカンを利用するメリットはどこにあると感じていますか

 ロードやトラックばかりを走っていると毎日同じような練習になってしまうところがあって練習の強度にどうしても変化がつけ難いと思うのですがクロカンを走ると起伏があるので登りでペースを上げたり、状況によって変化をつければ練習の効果も大きくなりますし、クロカンを走ることによって足腰も鍛えられるということも大きなメリットだと思っています。普段からそういった起伏のあるコースで走っていると、平坦で走った時に楽に感じるので、ある程度身体も追い込みつつ心肺機能も高められるので僕にとっては一番クロカンがあっているのかなと思います。

――大迫傑選手(平26スポ卒=現ナイキ・オレゴン・プロジェクト)は今のフォアフット走法はクロカン走で身に付いたと言っていましたがフォーム面で意識していることはありますか

 あまりフォームに関して意識は特別していないのですが、やはりクロカンを走るときは踵から着いた走りではなく、つま先から着く走りが身に付く感じはします。あとは、お尻などがしっかりと鍛えられると思っています。高校に入学した当初は、前ももを使って走るようなイメージがついていたのですが、高校時代からクロカン走をすることによってお尻をしっかりと使ったイメージの走りができるようになってきているので身体の全体的な筋肉の使い方がうまくできるようになっていると思います。

――兵庫リレカ(兵庫リレーカーニバル)のレース後には「本当は同学年の誰かにも出て(レースを引っ張って)ほしいという思いもあった」とコメントされていますが高校時代から引っ張るレースに苦しさを感じることはありましたか

 そうですね。やはり高校時代は自分がレースを作らないといけないことが多かったのでプレッシャーや苦しさを感じてはいたのですが、高校時代にそういったレースでレーススタイルが身に付いたと思うので、思い切ったレースができたり、1人でもペースを作り走る力が身に付いたと思っているので、高校時代にそのスタイルが確立できたのは今に活きていると思います。出雲や全日本では1人でも自分のペースで押して行ってただひたすら前を追っていくという走りにつながったと思いましたし、トラックレースでも苦しい局面でも前に出るという走りができるようになっているので当時は本当に苦しい時もあったのですがそういった経験がとても今に活きているとつくづく感じています。

――あえて後ろで様子を伺うレースも可能だったと思います

 ある程度の速いペースになれば記録会などで付いて行く展開のレースもあったのですが、どうしても周りに合わせるとペースが落ちたりということがあって、記録を狙うレースになるとどうしてもそれが嫌で、逆にそういった場面で前に出た時は最終的な結果も記録も良いですし、それが自分の持ち味なのではないかと感じています。

「選手はタイムで見るものではない」

――アジアクロカン(アジアクロスカントリー選手権)、アジアジュニア(アジアジュニア選手権)ではいずれも2位という結果でした

 アジアクロカン、アジアジュニアでは中国の同じ選手(索朗才仁)に負けてしまいました。彼は持ちタイムが14分30秒だ、と言っていて、その時の自分の持ちタイム的にも14分30秒のタイムの選手には勝てるだろうと思っていたところが正直ありました。でも強い選手というのは持ちタイムに関係なく、勝負所でしっかり勝つところがあると感じましたし、自分も速いタイムを持っているだけではなくそういった勝負強さを身に付けたい、身に付けなければいけない、そういう選手になりたいと感じましたし、選手はタイムで見るものではなく強さで見るものだということを強く感じるきっかけとなった2つの大会でした。

――その中国の選手との交流もあったと伺いました

 そうですね、アジアクロカンの時はそこまでしっかり話したという訳ではないのですが、アジアジュニアの時には向こうも覚えていてくれて少し話す機会もあったのですが向こうはやはり中国語なので通じないところは多少あって。そこは携帯の翻訳アプリを適宜利用しながら会話をしていました。文明の利器に頼ったというか、文明の利器を感じましたね(笑)。本当に色々なことを聞けて僕自身、勉強になったというか感じることや吸収できることが多かったのですごくいい経験になりました。

――その中で何か感じることはありましたか

 チベット出身ということで高地で練習しているとも言っていましたし、あまり大会に出られる機会も無いそうなので、そこまでのタイムは持ってはいないのですが長距離選手にとってはすごく良い環境で練習しているなと思いました。過酷な環境の中で練習している分、日本に来た時にはとても走りやすいと言っていました。そういった厳しい環境で普段やっている分、その強さが身に付くのかなと感じました。

――U20世界選手権では実力を発揮できずに終わってしまいました

 今シーズン一番目標にしていた、もっと言えば今まで陸上競技をやってきた中で一番目標にしていた大会でもあったのでそこで結果を残せなかったというのはとても悔しかったです。今思い返してもやり直せるのであればもう一度やり直したい部分はあるのですが、終わってしまったことなので今更ああすればよかったとか思っても戻ってこないことなので、そこで感じたことをいかに先につなげるかだと思っています。世界ジュニアでは不調の中出場したということもあり、結果を全く残せなくてタイムも全く良くなくて。その中でトップの選手は13分20秒台ということで僕のその時のタイムよりも1分以上早くて、スピードの違いを見せつけられたというか大きな差を感じたレースでした。ただ、銅メダルをとった選手はノルウェーの選手で今までの固定概念でケニアであったりアフリカの選手が強いというイメージがありましたが、そこに(アフリカの選手ではなく)ノルウェーの選手が割って入ったというところでは、アフリカの選手以外にも強い選手がまだまだいるなと感じました。そういうところを見ると、日本人ではトラックで戦えないと言われてはいるのですがそれは固定概念であって、やはり日本人にもチャンスはあるという風に改めて感じることができたレースでした。惨敗ではあったのですが、そういう選手を見て僕自身もそういう風にケニアの選手と互角以上に渡り合える強い選手になりたいと思えた経験でしたし、まだ自分の自己ベストと比べても現状ではまだまだ差があるので戦えないと思うのでいずれは差を縮めて対等に勝負できるような必ずつけたいと感じました。

――世界への思いを強く持っていらっしゃいますが、そのきっかけとなった出来事はありますか

 自分が高校2年生の時はインターハイ(高校総体)であと一歩のところで決勝に行けないという非常に悔しい思いをしました。その次の日に決勝があり1つ上の先輩の名取先輩(燎太、東海大)が進出していたこともあり特に注目して見ていたのですが、毎年のことではあるのですが留学生の選手が固まって先頭の方で走って日本人選手は日本人トップを狙って入賞争いをしているというのを僕自身も見ていて。やはり初めから留学生との勝負に行っていないというか日本人選手は留学生の選手との勝負を半ば諦めているような感じがしていました。やはり決勝に残ったのであれば、留学生に行けるところまで喰らいついてそこから勝負できるようなレースをしなければいけないなと思ったのが最初です。その年の都大路(全国高校駅伝)で自分は3区を走って留学生と争うことになり、(タスキを受けた時点で)約20秒差で後ろから追ってくるという展開だったのですが、その時に20秒以上のハンデはあったこともあって絶対に先頭は渡さないという気持ちでレースを走って、結果として最後競り合って勝って次のランナーに中継できたという経験もあって、やはり日本人選手が3区で抜かれてしまうパターンも最近では多いのですが、それを崩したいというか日本人でもやれるというところを見せたいと思ったし、やれるということも感じて、より一層高いレベルで世界の選手と戦いたいと思うようになりました。そういうこともあり、次の年のインターハイでは高見澤先生(勝、佐久長聖高監督)からも留学生選手が沢山いる中で、「前半突っ込んで、後半は潰れてもいい。必ず入賞しようとかそういうことではなくて、お前は勝負しにここに来たんだから攻めた結果入賞できなくてもいいからとにかく思い切って勝負してこい」という事を言われて、僕自身も思い切って勝負することができました。結果として3人の留学生選手には負けてしまったのですが4位という結果は残せて、その時に初めて少しずつではあるのですが留学生の選手とも戦える力は付いてきているのかなと感じて、そこからはずっとそういった選手に勝ちたい、勝負したいという思いが増していきました。

――実際に国際大会に出場されて気持ちの変化等はありましたか

 アジアクロカンやアジアジュニアはやはりアジアの中での大会という事でそこまで国際大会という意識はなかったのですが、それでもアジアで2番だったということは少なくとも1人以上はまだアジアに同年代で強い選手がいるということであって、その状態で世界に出て行ってもどれだけ戦えるのかなと感じる部分はありました。アジアで2番だったという悔しさも持ってU20世界選手権には行ったのですが、全く歯が立たなくてそこでも非常に悔しい想いもしましたし、やはり世界で感じた悔しさは世界大会でしか晴らせないとすごく感じたので、もう一度世界の舞台で必ずリベンジをしたいという思いを強く持っています。

「世界の舞台で必ずもう一度リベンジしたい」


エンジデビューの関カレでは25位に沈んだ

――対校戦では順位、タイムともにふるいませんでした

 関カレ(関東学生対校選手権)はかなり順位もタイムも悪くて、そこで同級生にも負けて、かなりあの時はへこんでしまいました。あの負けがあったからこそ、それまで自分のどこかにあったプレッシャーとかも背負う必要がなくなりましたし、相楽さん(豊駅伝監督、平15人卒=福島・安積)からも「ここからまた挑戦者として戦えるから頑張っていこう」という言葉もいただきました。ある意味、あの大会があったからこそそれまで背負っていたプレッシャーとかもなくすことができました。全カレ(日本学生対校選手権)は少しずつ状態が良くなってきて出場した大会ではあったのですが、そこでも全く歯が立たず僕個人としては惨敗してしまったのですが、そこで千明(龍之佑、スポ1=群馬・東農大二)が入賞したっていうこともありましたし、僕よりも前にいた同級生も多かったので、ここまで負けていた分、次は絶対に自分がやり返してやろうというか必ず同級生たちにもリベンジしてやるという気持ちになりました。非常に悔しい想いをした対校戦ではあったのですが、今となってはプラスにポジティブに捉えられているのでそれが結果として今につながってきていると思います。

――不調に陥ってしまった原因は今、振り返って何だったと考えていますか

 正確な原因というのはわからなかったのですが、相楽さんからは恐らく溜まってきた疲労がそういうかたちで出ているのだろうと言われましたし、色々な先生に診てもらっても恐らくそういうことだろうと言われたので、それからはしっかりと休養を取りながら、少しずつ練習を再開していきました。結果として、期間は長くて時間は少しかかったのですが、時間をかけて少しずついい形に戻っていったのかなと思います。

――そこからまた復活できた要因は何だったのでしょうか

 やはり一番はいつも変わらずに応援してくれている両親や同級生がいて、とても落ち込んでいる時もあったのですがいつも励ましてもらって、とても力になりました。結果が出ていなかったときにレースに対して「一番は楽しんで走った方がいいよ」という風に言ってもらって、それまでは良く考えると、どこかプレッシャーを感じながらというか、レース自体を楽しんで走るということが無くなってきていました。やはり両親などから「結果はどうであれ楽しんで走ることができればいいんじゃない」という風に言ってもらえたということがとても大きくて、気持ちの面で楽になったというか、落ち着いてレースに臨めるようになりました。あとはやはり同級生の活躍というところも自分にとっても大きくて世界ジュニアやアジアジュニアにも出て多く活躍している選手がいて、実業団駅伝も全日本大学女子駅伝でもそうですし、箱根駅伝の予選会でもそうですし、そういった大会を見る中で自分自身も刺激をもらって、負けていられないという思いが強くなりました。

――高校時代には貧血で走れない時期もありましたがその際と気持ちの面での違いはありましたか

 高校時代は貧血になって走れなかったときも、へこみはしたのですがはっきりと原因が貧血だと目に見えるデータとして出てきて分かっていたので貧血さえ治れば、という気持ちの面での余裕もありました。ただ今回は、血液検査も含めて色々な検査をしたのですがそれでも数値として何もあらわれなかったので、どうすればいいかわからず迷う部分が多く、焦りもありました。その期間に自分を見つめなおすことができたというか、その経験があったからこそ自分でしっかりと考えて練習をしたり、周りにすぐに流されないようにしたりだとか、そういったところにつながることができたと思います。今思えばいい機会だったのかなと思います。

――ここまで大きなケガ無く競技を続けられていると思いますが何か気を遣っている部分はありますか

 特別なにか意識したりはしてはいないですが、高校時代から大きなケガというのが無くて、特に骨折も全くないので本当に丈夫な体に産んでくれて育ててくれた母親に感謝しています(笑)。

――大学入学後、使用するシューズのメーカーを変えられました

 そこまで変わった感覚は無くて、自分に合うというか自分の追い求めていたシューズの結果がナイキのシューズでした。やはり普段のジョグから質の高いジョグをしたいと考えを持っていて、そうするとどうしても足に負担がかかってしまうこともあるので、その中でも足に負担のかかりにくのがナイキのシューズは全体的に底が厚くてクッション性があるのでいいなと思いました。レースシューズも底が厚いシューズがあるので今までは長い距離のレースの翌日にはふくらはぎなどに疲労がくることもあったのですが、今はそこまでダメージが無くて継続して練習を行うことができているのでそこがいい所だと思っています。

――レース用スパイクは特殊なスパイクを履いていますがこだわりがありますか

 もともとスパイクだけは合わないところがあって今までのナイキの長距離用スパイクだと4本しかピンが付いていなくてスピード出したりするとどうしてもつま先部分に負荷が大きくかかる感覚があって、足底が張って痛みが出てしまうこともあったのでそこの部分だけはお願いして、ピンの多めのソールをつけてもらってからずっといい感じで走れてきているのでそれ以来ずっとそれで作ってもらっています。

「僕は僕なりの道で」


駅伝デビューの出雲では3区に抜てきされた

――高校、大学の先輩にあたる大迫選手と比較されることも多いと思います

 そうですね、もちろんタイムの面で気にすることはあるのですが、大迫さんが大学時代にこの練習をやっていたから自分もその練習をやろうとかそういうことはなくて、僕には僕に合う練習というか僕なりのアプローチの仕方があると思うので、自分がしっくりときている練習をただひたすらに継続してやっていくことが大事だと思っています。その結果として目標としている大迫さんの学生時代の記録を超えていけるような選手になれればと思っています。

――監督やコーチから話を聞くことはありますか

 相楽さんから時々聞くことはあるのですが、もちろん目標の選手ではあるのですがそこまで意識していないというか、竹澤さん(健介、平21スポ卒)の話も、「この練習はこれくらいのタイムでやっていた」という話もよく出てくるは出てくるのですが、それも頭に置いておきながら僕は僕なりの道でいけたらと思います。例えば竹澤さんがこれくらいのペースで練習していたなら自分は少し早いペースでしてみようとかはもちろん多少は意識する部分もありますが、全く同じ練習、全く同じタイムで練習をしようという風に考えたことはないです。

――駅伝シーズンでは個人順位に対してチーム順位が振るわない駅伝が続きました。もどかしさなどはありましたか

 チームの順位に関しては確かに高くはなくて、もどかしさというか、早大が下位で勝負してはいけないと思いましたが、僕自身のチームとしての役割はある程度果たせたと思いますし特に後から振り返ったり、ということはなかったです。

――特に全日本では同じくトラックレースを主戦場とする東海大の館澤亨次選手にわずか10秒差の区間2位でした。かなり手ごたえを感じた部分もあったと思います

 チーム順位も13位から6位まで上げることができて、いいかたちでは走れたと思うので自分としての仕事は9割方果たせたと思いはしたのですが、個人としてやはり区間賞を取りたかったので悔しさの方が大きかったです。その中でも他大のエース格の選手に勝てたのは自信にもなりましたし今まで自分自身で取り組んできた練習が結果として出たことは今後につながるレースだったと思います。でもやはり全日本は区間賞を獲りたい想いが強かったので悔しさがかなりあって、出雲とはまた違って(区間1位の選手と)10秒も開けられているので力の差を感じたというか正直完敗でした。それがあったからこそ次にリベンジの気持ちも強くなりました。

――この1年間で競技成績以外で成長したと感じることはありますか

 高校時代までだと言われた練習をこなしてさえすればある程度走ることができたのですが、大学に来てから良くも悪くも周りに影響されることも多いので僕自身は人と同じ練習をやっていては成長しないと強く感じましたし、一つのことを決めてそれを継続することの大切さを感じたのでそういったところで自分なりの考えや意見を持てるようになりましたしそれが結果としていいかたちに出てきたので、自分の意志を確立できたことが大きいと思います。

――トラックレースを重視した練習の中で箱根へはどのようにアプローチしていこうという話をしていますか

 まずは個人の目標として、箱根というよりも来年度のユニバシアード、日本選手権というところを見据えているのでそれに向けても取り組んでいるのですが、その途中で箱根駅伝という大会もあるので、トラックというかスピードを重視した練習をしながらもしっかりと箱根の距離に対応できるアプローチをしようと考えています。僕の中ではただ長い距離を走っていれば長い距離が走れるようになるかといえば、必ずしもそうではないと考えていて、違うアプローチの仕方でも箱根で戦うことができると思っているので距離走をするにしても20キロまでということを決めています。ただ、20キロを走るときでも、単に平地で20キロを走るのではなくクロカンを使って走ってみたり、アプローチの仕方を変えて箱根に臨んでいるという感じです。

――本日(12月5日)のメニューは他の選手と合流した練習でした

 きょうは大体同じような練習内容ではあったのですが、周りは1万6000メートル走ってから400メートルのスピードを入れる練習のところを、自分は朝あまり距離が踏めていなかったので1万8000メートルまで距離を踏んで、その分足への負担を考えてスピードは毎朝できているのでそこはカットしました。

――これまで20キロ以上の距離のレースには出場経験がありません。箱根では距離が長くなりますが、その辺の不安はありますか

 今までレースで走ったことのない距離なので不安が全くない訳ではないのですが、これまでの練習に比べると確実に長い距離を練習でも走ってきているのでこのまま練習できれば箱根でも勝負できるという手ごたえは間違いなく掴めてきているので箱根までにはしっかりとその不安を取り除けるように練習していければいいかなと思います。

――大学入学前に箱根に対する憧れや出場したいという思いはありましたか

 そこまで箱根駅伝を前から見ていたわけではなく、高校時代からしっかり見始めた感じでした。早大だけでいえば長い距離で強さを見せる大学だというイメージもありました。注目度が高くてとても盛り上がる大会だと思っています。

――将来的にマラソンなどに距離を伸ばしていくことは考えていますか

 できるところまではトラックで頑張りたい気持ちがあるのでトラックで結果を残せたら、そういう風にマラソンとかに距離伸ばしていってもいいのかなとも思いますが、今のところはマラソンを考えたりすることもないですね。まずは納得いくまでトラック種目を突き詰めてやっていければと思います。

――最後に箱根に向けての意気込みをお願いします

 希望として3区を走りたい気持ちはあります。恐らく出雲、全日本よりも前の順位では回ってくると思うのでしっかり自分の区間で上位進出を図れるような走りができればと思いますし、出雲、全日本からゲームチェンジャー的な役割を確立しつつあると思うので箱根は距離は伸びますが流れを変える走ることが自分の役割だと思うのでその走りができればと思います。

――ありがとうございました!

(取材・編集 斉藤俊幸)


世界へ飛び立つため、まずは箱根でしっかり走ります!

◆中谷雄飛(なかや・ゆうひ)

1999(平11)年6月11日生まれ。169センチ、57キロ。長野・佐久長聖出身。スポーツ科学部1年。自己記録:5000メートル13分45秒49。1万メートル29分07秒77。肉よりも魚が好きで、中でも「寮飯」の、鯖の味噌煮が一番の好物だという中谷選手。試合前のゲン担ぎは特にないそうですが、唯一高校時代から試合当日の朝は白米を食べることにしているそうです。果たして箱根の前日は何を食べるのでしょうか。