「終わったなと思う人もいるだろうけど、僕は最後まであきらめません。そうじゃないってことを見せたいと思います」 1年前、ヨーロッパを離れる松下信治(まつした・のぶはる)はそう言って日本に戻ってきた。アブダビでのFIA F2テストで手応えを…

「終わったなと思う人もいるだろうけど、僕は最後まであきらめません。そうじゃないってことを見せたいと思います」

 1年前、ヨーロッパを離れる松下信治(まつした・のぶはる)はそう言って日本に戻ってきた。



アブダビでのFIA F2テストで手応えを掴んだと語る松下信治

 GP2時代を含めF1直下のFIA F2で3年間戦い、F1をテストドライブするところまでいったが、当時のチーム状況もあってスーパーライセンスを取得することはできず、松下のヨーロッパ修行は終わりを告げた。

 今年はスーパーフォーミュラという国内最高峰のレースに参戦することになったが、松下はその言葉どおり、F1への夢をあきらめてはいなかった。

 その松下に、来季ふたたびFIA F2へ参戦するチャンスが与えられた。それも、今季のチャンピオンチームである名門・カーリンからだ。

「そりゃあ(F1という)自分が一番行きたいところから一度遠ざかったわけですから、その現実を突きつけられた感じはしたし、それはつらかったですよ。周りの人たちも、F1という意味では終わったと思っていた人が多かったと思います。でも、僕はそう思っていなかったし、そこであきらめなかったから今、ここにいられるわけです」

 どうして松下なのか? どうして3年やって結果が出なかったドライバーに2度目のチャンスが与えられるのか? そんな声もある。

 実際、ヨーロッパ再挑戦を願い出た松下に、ホンダのモータースポーツ活動を統括する山本雅史モータースポーツ部長は「スーパーフォーミュラで勝ってから言え」といさめたという。

 競争が激しく、チーム力や運など様々な要素が絡み合うスーパーフォーミュラでは今季、目立った結果を残すことができなかった。しかし、第5戦・ツインリンクもてぎでの優勝争いなど、光る走りは見せた。何より、周囲の人々はきちんと松下の実力を評価してくれていた。

「それ(山本モータースポーツ部長の言葉)は理に適ったことだと思いました。でも(もてぎの快走など)勝てるポテンシャルは少しでも見せられたと思うし、その後の説得材料になったと思います。

 それから、周りの人が評価してくれたというのも大きかったと思います。(FIA F2に参戦している)DAMSのフランソワ(・シカール/チーム代表)もそうだし、国内でも(鈴木)亜久里さんをはじめとして評価してくれたみたいで、そういう人たちからの評価というのも大きな後押しになった」

 とくにDAMSは昨年、松下のチームメイトだったアレクサンダー・アルボンが今年彼らのチームで好走を見せてランキング3位に入りF1昇格(トロロッソ入り)を決めたことや、アルボンを介して昨年のARTグランプリのチーム状況や技術的アプローチに低迷の原因があったことを理解しており、ある意味ではホンダ以上に松下を高く評価していた。実際DAMSは、昨年のFIA F2で松下がランキング5位以内に入り、スーパーライセンスを手にするものと考えていたのだという。

 その一方で、もうひとつの決め手になったのが、松下自身によるヨーロッパ再挑戦への努力だ。

 今、FIA F2に参戦するには年間で2億~2億5000万円ものシート代が必要になる。その資金を自力で集め、ホンダの育成プログラムに頼ることなく自力で参戦しようと動いていたのだ。

「そういうアイデアを持ち始めたのは、(スーパーフォーミュラが)開幕して落ち着いた5月ごろですね。それから8月にスパ・フランコルシャンに行って、あの時はまだ(具体的な話は)何もなかったけど、とにかく現地に行っていいチームと言われているところには全部行って話をして。

 まずは日本国内でかなり動いていたんですけど、それだけの金額を集めるというのは今時の日本では珍しいことだし、そういう知り合いを増やさなければなりませんでした。自分だけで集められたわけではなくて、大勢の人が応援してくれてできたことだし、とても幸運だったと思います」

 8月のベルギーGPに行き、アポなしでFIA F2の有力チームの関係者に会ってシート状況を確認し、さらにレッドブルのヘルムート・マルコらにも会って自身の存在をアピールすることも忘れなかった。

 こうした執念とも言える強い気持ちは、ヨーロッパの荒波のなかで戦っていくためには欠かせないものだ。

 その思いの「強さ」と、実力を知る人々から評価された「速さ」が、ホンダを動かした。シート代のすべてを自力で集めることは難しくとも、ホンダの育成プログラムの一員として松下をふたたびヨーロッパへ送り込むことを決めた。

「異例な2回目のチャンスだと世間では言われていますけど、それにはそれ相応の理由もあるし、だからこそこのチャンスは生かしたいなと思います」

 日本に戻されたときも、松下はあきらめなかった。あきらめなかったからこそ、このチャンスが巡ってきた。ヨーロッパに戻れるか戻れないかというようなことは一切、考えなかったと松下は言う。

「そんなことは何も思っていなかったですね。可能性がどうとかじゃなくて、やるかやらないかだと思っていたので。やってダメだったら、まだあきらめもつくけど、やらないでダメだったっていうのは嫌だったんです。だから、やっただけです。何パーセントかなんて、考えていなかったです」

 そんな経緯を経て、松下は11月29日から3日間、アブダビで1年ぶりとなるFIA F2のテストに参加した。カーリンという新しいチームで、F2/18という新しいマシン。そのすべてを学ぶことを最優先に走り、しっかりとした手応えを掴んだ。

「3日間全体の自己評価としては、かなりいい感じでした。いろんなテストをしましたけど、一番大事なレースシミュレーションがうまくいきました。正直、最終日の最後はトップタイムを狙っていたんですけど。

 ただ、1年あのクルマに乗ってきてクルマを知り尽くしているチームメイトに比べて、今回初めて乗った僕が細かな部分を詰め切れていないのは事実。これから詰めていかないといけませんね。そう考えれば、今はまだ気にしなくてもいいくらいの差だったと言えると思うし、レースシミュレーションはむしろ僕のほうが速いくらいだったので」

 イギリス主体のカーリンは、フランス主体のARTグランプリとは明らかに違う雰囲気だった。技術的アプローチもまったく異なっていた。

 それが自分には合っていると、松下は語る。

「ARTとは違って、向こうから『これはどう? こっちはどう?』ってくる感じ。データもたくさん見せてくれて、タイムが0.3秒遅かったら、『ここがこれだけ遅いんだよ』『ここがダメだよ、ここはこうしたほうがいいよ』っていう解説もしてくれる。

 それに、各マシンにレースエンジニアがいるだけじゃなくて、2台を統括するチーフエンジニアがいるシステムなので、チーム体制もいいですね。チームとしてオーガナイズされていて、しっかり面倒を見てくれる感じがします。

 ARTの場合は、タイムがいいとそこで満足してセッティングを変えないのですが、カーリンはタイムがよくても思いきってデフを変えたりというチャレンジングなこともしていた。なので、週末を通して沈みっぱなしっていうのがなくて、沈んでもそこから必ず抜け出すような感覚は覚えました。テストの内容もよかったし、カーリンで走れることになってよかったなと思いました」

 ARTグランプリ時代の松下はセッションが終わったあと、いつもレースエンジニアとふたりでトランスポーターにこもり、誰よりも長く、夜遅くまでデータを見ては分析していた。逆に言えば、それを自力でやらなければならない環境だった。しかしカーリンならば、チーム全体としてそれをサポートしてくれる環境が整っている。

 ホンダもHFDP(ホンダ・フォーミュラ・ドリーム・プロジェクト)のヨーロッパでのマネージメント体制を一新して、これまで以上に現場により沿った環境を整えようとしている。ドライバー個人のケアはもとより、F2やF3のパドック内での政治的な駆け引きも上位争いに加わるためには重要な要素であるだけに、これまでHFDPに足りなかったこうした部分の進歩にも期待がかかる。

 来季、松下はFIA F2でランキング4位以内に入ればスーパーライセンスを取得する要件が整う。

 2度目の挑戦に世間では批判的な声があることも知っている。しかし、松下は2019年の結果で応えると言い切った。

「これが最後のチャンスだと思うし、気分は楽ではないですよ。でも、今の僕はあの時よりももう少し肩の力を抜いて楽しくレースができると思うし、そのプレッシャーを今までよりも楽しめそうな気がしています。

 まずは自分の実力を100%出し切ることが目標ですね。今は『まぁ見ていてください』としか言いようがないけど、とにかく(今年の結果ではなく)来年の僕の走りを見て判断してほしいです」

 2019年、F1という夢へ向け、最後の挑戦をする松下信治に期待したい。