フットボール・オーナーズファイル(8)リナト・アフメトフ/シャフタール・ドネツク フットボールクラブに新たなオーナーが誕生する時、予期せぬ物事が発端となることが多い。 たとえばマンチェスター・ユナイテッドでは、アレックス・ファーガソン元…
フットボール・オーナーズファイル(8)
リナト・アフメトフ/シャフタール・ドネツク
フットボールクラブに新たなオーナーが誕生する時、予期せぬ物事が発端となることが多い。
たとえばマンチェスター・ユナイテッドでは、アレックス・ファーガソン元監督が競走馬に関してふたりの大株主と争ったことが引き金となり、グレイザー家がオーナーシップを握ることになった。またマンチェスター・シティでは、タイの元首相であるタクシン・チナワットが経営権を握っていたものの、祖国で軍のクーデターにより資産が凍結されたことが、アブダビのシェイク・マンスールの買収につながっている。
現在のウクライナ最大のクラブ、シャフタール・ドネツクでは、はるかに悲惨な事件がオーナーを変えた。1995年、当時のオーナーはクラブのホームスタジアムに仕掛けられた爆発により命を落とし、その後を現オーナーのリナト・アフメトフが引き継いだのである。
今季もCLに出場したシャフタール photo by Getty Images
当時のウクライナには、典型的なソ連崩壊後の世界が広がっていた。腐敗、暴力、組織的犯罪、自由放任主義的な資本主義がまかり通り、無秩序な状況を逆手に取った機転の利くひと握りの男たちが、巨額の資産を分け合っていた。その多くは、天然資源の民営化の際に廉価でその権利を手に入れた者たちだ。
ロシアでロマン・アブラモビッチがしたように、アフメトフもしかるべき時にしかるべき場所におり、大きな利益を手にした。アフメトフは、現在のウクライナでもっともリッチな人物だ。彼は何度も最大の年間納税額者となり、最大の雇用主になった。
シャフタールを手に入れた彼は、ウクライナ・フットボールの勢力図を塗り替えた。1996-97シーズン以降に国内カップを11度制覇し、2001-02シーズンにリーグ初制覇を果たしてから現在まで、国内リーグも11度優勝している。2000年代に入ってからは、チャンピオンズリーグのグループステージに13回参戦。2009年にはUEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)の最後の大会を制し、国家独立後初の欧州タイトルも獲得した。
アフメトフは巨額の費用を投じてチームを強化し、クラブのインフラを整えた。2009年には当時の最先端の技術を駆使して建設されたドンバス・アリーナがオープンし、EURO2012のホストスタジアムとなった。大量の資金と国内外での成功により、シャフタールはひとつのビジネスモデルを確立している。ブラジルを中心として南米にスカウト網を張り、優れた若手を獲得し、国内リーグとチャンピオンズリーグで成長させて高額で売却している。
チェルシーのウィリアン、マンチェスター・シティのフェルナンジーニョ、ユベントスのドウグラス・コスタらは皆、欧州での最初のクラブにシャフタールを選んだ。現在のチームにも、9人のブラジル人選手が在籍している。
シャフタールの成功により、アフメトフはウクライナ東部で人気者となった。しかし彼にはそれ以外の顔もある。政治的陰謀、汚職、クーデターとの関与が疑われているだけでなく、あのドナルド・トランプの元アドバイザーとのつながりもあるのだ。
アフメトフは1966年に、まだソ連だった頃のドネツクで生まれた。母は掃除婦で、父は炭鉱労働者。ウクライナ東部における最大の経済的資源である石炭は、当地で非常に重要視されており、シャフタールのエンブレムにも交差するふたつのハンマーが描かれている。
1991年のソ連崩壊後、ウクライナは経済に関してロシアと同じ道を辿った。オリガルヒ(新興財閥)が台頭して豊富な天然資源の権益を握り、権力まで手にした。とくに鉱物が豊かな地域は同国東部に広がり、そのあたりとクリミア半島を含む南部は、言語的、文化的にロシアと強いつながりがある。
ドネツクにはひとりの”ゴッドファザー”がいた。「ドネツク・クラン」と呼ばれた犯罪組織の長、アハト・ブラギンは1990年代中頃のウクライナ東部で、もっともパワフルで大きな影響力を持った人物だった。彼もサッカーが大好きで、シャフタールのオーナーとしてチームに資金援助していた。
ところが1995年に当時の本拠地、ドネツク市民スタジアムで爆発物によるテロに遭い、5人のボディガードと共に文字どおり消された。その爆破は凄まじく、警察の捜査で見つかったものはただひとつ。金の腕時計がついたままの、ブラギンの腕の一部だった(のちに警官も組織犯罪に関わっていたことが判明している)。
当時、アフメトフはまだひとりの若者に過ぎなかったが、ブラギンの助手を務めていたことから”ビジネスの帝国”を引き継ぐことになり、その中にシャフタールも含まれていた(その際の詳細は明かされていないが、アフメトフは犯罪や汚職への関与を強く否定している)。
アフメトフはブラギンよりも、はるかにビジネスの能力に長けていた。ウクライナの鉄鋼所や鉱山の半数以上を保有しながら、メディアや不動産などの事業も展開。政界進出も果たし、親ロシア系の政党に多額の経済的サポートをすると共に、ビクトル・ヤヌコビッチの大統領選挙も援助した。
ヤヌコビッチは若い頃に暴力事件で刑務所に入ったことのあるチンピラだったが、政界でのし上がると、大掛かりな得票操作によって2004年の大統領選に一度は勝利。しかしウクライナ国内では、投票に不正が働いたとして「オレンジ革命」と呼ばれる反体制運動が起こり、決選投票のやり直しによってヤヌコビッチは敗れた。
これによってヤヌコビッチの政治生命は終焉に向かうと思われた。しかし、アメリカの政治コンサルタント、ポール・マナフォートのアドバイスと、アフメトフの資金援助により、2010年の大統領選で衝撃的なカムバックを果たした。アフメトフとマナフォートは「友達」と呼び合う仲で、のちに一緒に写真に収まっている。
マナフォートは2016年に、アメリカ大統領選でトランプのチーフアドバイザーを務めたが、ウクライナでの政治顧問として得た報酬額を偽って申告していたことが問題視されて辞任。米大統領選でロシアがトランプ陣営に肩入れしたとされる「ロシア共謀容疑」に関わっていた疑いも浮上するなど、18もの罪状で起訴された。
一方のアフメトフは、ウクライナの国会議員となった。彼に対する汚職容疑はまだ晴れていないが、立場上、刑の執行は免除されることになったのである。ウェブサイト『ウィキリークス』が明かしたところによると、2006年にキエフのアメリカ大使館で、当時のユリア・ティモシェンコ大統領──オレンジ革命の顔だった女性指導者──が、アフメトフが初めて国会でスピーチした時のことを次のように回想したという。
「アフメトフがドネツクで人気があるのは、”地元出身の少年の愛国心”によるものだが、この国の他の地域では犯罪者と見なされている。ルハンスクやクリミアなど、彼の政党を支持する人の多いエリアでさえそうだ。つまり多くの人々にとって、アフメトフは”良き代弁者”ではなく、”国会議員になった重犯罪者”なのである」
のちにティモシェンコはヤヌコビッチの差し金により、ロシアとの天然ガスの取引に汚職があったとされて投獄された。刑務所では拷問や暴行を受けていた可能性が高く、それを知ったウクライナ西部の人々の多くは、ポーランドと共催したEURO2012に興味を失ったという。
その後、民衆の怒りが沸点に達する出来事があった。
2013年にウクライナが欧州連合(EU)との政治・貿易協定の仮調印を済ませると、怒り狂ったウラジーミル・プーチン大統領は”仲間”であったヤヌコビッチにそれを覆すように圧力をかけた。ヤヌコビッチがこれに従うと、キエフでは大きな反対デモが起こった。
「ユーロマイダン」と呼ばれる民衆蜂起によってヤヌコビッチは失脚し、彼が実権を握っていた際に手にした多くの財産が白日のもとに晒されている。その中には、金のゴルフクラブやプライベートな動物園などが含まれていた。
ヤヌコビッチはロシアへ飛び、今もプーチンの保護下に置かれている。のちにロシアはウクライナに侵攻し、クリミアを併合。この紛争により、ウクライナ東部では数千人の死者が出ている。
一方、アフメトフはウクライナにとどまっているが、キエフに住む多くの人々は、ヤヌコビッチを支援した彼を憎んでいる。またクリミア紛争の際には、親ロシア派を資金援助したとも言われている(本人は強く否定)。
その紛争では、アフメトフが所有するシャフタールの本拠地ドンバス・アリーナも砲撃に遭った。そのため、シャフタールは現在もドネツクではなくキエフでホームゲームを戦っている。また、アフメトフが保持していた鉱山や会社は国営化され、一時期は310億ドルと言われていた彼の資産は現在、55億ドルへと大幅に減少した。
「アフメトフはフットボールを心から愛している。(シャフタールへの投資は)同地域の人々の共感を生み出そうとしたものだ。自分がいかに地元のことを配慮しているかを証明しようとしてね」
イギリス王立国際問題研究所でロシアとウクライナについて研究するオリシア・ルチェビチはそう話した。
アフメトフは今も健在で、シャフタールも厳しい状況で好成績を挙げ、昨季のチャンピオンズリーグでは決勝トーナメントに進出した。しかし紛争は今でも続いており、アフメトフにそれを阻止する力はない。一時期に比べると、彼の権力も富も大きく目減りした。
前述のルチェビチは次のように締めくくった。
「キエフでは、彼は裁きを受けるべきと思われている。ヤヌコビッチを獰猛な政治屋に仕立て上げた罪は、どれほど大きなものになるだろうか」