テニス界を沸かせてきた様々なライバル関係。それにより追われる者は強さを増し、追う者も戦いを通じて磨き上げられ、緊張感を増していく対戦に観客はいっそう熱狂する。時には社会をも動かすほど印象的なライバルたちの関係が築かれることもある。本稿では、…

テニス界を沸かせてきた様々なライバル関係。それにより追われる者は強さを増し、追う者も戦いを通じて磨き上げられ、緊張感を増していく対戦に観客はいっそう熱狂する。時には社会をも動かすほど印象的なライバルたちの関係が築かれることもある。本稿では、プロとして20年以上、それ以前も合わせると30年以上にわたり切磋琢磨し続けている姉妹、ビーナス・ウイリアムズ(アメリカ)VSセレナ・ウイリアムズ(アメリカ)のライバル関係を紹介していこう。

5人姉妹の4番目と5番目として生まれたビーナスとセレナ。セレナは今ではグランドスラム優勝23回と歴代最多まであと1回に迫るほどの存在になったが、先にスポットライトを浴びたのは15カ月年上のビーナスだった。ビーナスは1997年に17歳で「全米オープン」決勝に進出。当時16歳のマルチナ・ヒンギス(スイス)との対戦はオープン化以降のグランドスラム史上最も若い二人による決勝戦となった。ビーナスは2000年に「ウィンブルドン」でグランドスラム初優勝を果たすと、続く「全米オープン」も制覇。翌年もその2大会を制する。そのうち、2001年の「全米オープン」決勝の相手はセレナで、グランドスラムの決勝で姉妹が対戦したのは実に117年ぶりという快挙だった。ここからウイリアムズ姉妹の快進撃が始まる。

翌2002年はさらに姉妹対決が増え、「全仏オープン」「ウィンブルドン」「全米オープン」と四大大会で3つ続けて決勝で対戦。そのいずれもセレナが勝利と、この頃から妹が台頭していく。世界ランキングでは、同年2月25日にビーナスが初の1位に、6月10日にはビーナスが1位、セレナが2位と姉妹で初めてトップ2を占め、7月8日には「ウィンブルドン」で優勝したセレナが姉に代わってトップの座に就いた。そして2003年の「全豪オープン」決勝も姉妹対決(勝者はセレナ)となり、これで前年から数えてグランドスラム4大会連続と、この頃のビーナスとセレナはまさに頂点に君臨していた。

その後、ビーナスが病気やケガで徐々にランクを落としていくのに対し、セレナはますます強くなり、姉妹対決の勝率でも上回るように。2018年の「全米オープン」3回戦での姉妹対決は通算30回目、グランドスラムでは16回目だったが、ここでもセレナが勝利し、通算成績はセレナの18勝12敗(グランドスラムでは11勝5敗)。ただし近年は顔を合わせること自体が減少し、2010年以降では7回しか実現していない。

そんな二人は、ライバルであると同時に最高の相棒でもある。二人合わせてグランドスラム優勝30回というシングルスとしての活躍が有名だが、姉妹で組んだダブルスではグランドスラム優勝14回。五輪でもダブルスで3度金メダルを獲得している。2010年6月には姉妹揃ってダブルスで世界1位にも輝いた。また、お互いの試合を観客席で応援している姿もよく見られるし、私生活での交流も多い。

そのため、姉妹対決でも自分の勝利を喜ぶよりも相手を気遣っている。2001年の「全米オープン」決勝で妹を下したビーナスは「セレナのことが大好きだから、辛いわ」とコメント。その17年後に同じ舞台で再戦した際にも、勝利したセレナは「終わってくれてホッとしたわ。勝ち負けに関係なく、(姉妹対決が)終わると安心するの。姉と私は何があろうとも敵対したりしないから」と話している。

現在ビーナスは38歳、セレナは37歳。「この先、どれだけ対戦できるかわからない」と2015年の「ウィンブルドン」での対戦後にセレナが言ったように、本人たちも"ライバル"としての関係がどのくらい続くかを気にしているようだが、できるだけ長く多く、円満なライバル関係を見せてほしいものだ。(テニスデイリー編集部)

※写真は左からビーナス(Photo by Minas Panagiotakis/Getty Images)とセレナ(Photo by Julian Finney/Getty Images)