「子どもの頃の記憶は全部車いす。3歳から乗ってます」北間優衣の障がいは先天性の二分脊椎。補装具を付けて歩いているリハビリ中の写真だけは残っているが、まったく覚えていない。ママっ子だった優衣を、両親は周りの子どもと同じように育ててくれた。「小…

「子どもの頃の記憶は全部車いす。3歳から乗ってます」

北間優衣の障がいは先天性の二分脊椎。補装具を付けて歩いているリハビリ中の写真だけは残っているが、まったく覚えていない。

ママっ子だった優衣を、両親は周りの子どもと同じように育ててくれた。

「小学校も一人で通学していたし、中学校になって友だちとの行動範囲が広がっても、電車やバスで行って帰ってこれるんなら遊んできていいよって。障がいのない子どもが当たり前にすることを、過度に心配することなく、私にも自由にやらせてくれたんです。すごく大切な経験をさせてもらったんやなって、感謝していますね」

小学校も中学校も普通校。同級生はみんな健常者だったが、車いすが理由で嫌な思いをしたことはなかった。

「みんなが私を入れて一緒にやるならどうすればいいんやろって考えてくれたんです。ドッジボールなら車いすに当てるのはナシとか、サッカーならホウキ持ってやったりとか。同級生に恵まれてたから、毎日、学校に行くのは楽しかったですね」

そんな優衣が車いすバスケと出会ったのは中学1年のとき。バスケ部の顧問の先生に連れられて行った、地元チーム・伊丹スーパーフェニックスが開催している地域大会だった。

「伊丹は男子のチームだったので、ぶつかるのも転倒するのも激しくて、『同じ車いすやけど、こんなん絶対に無理やん・・・』って思いました(笑)。そうしたら顧問の先生が、『まずやってみて決めなさい。やる前に無理やと決めつけるんはチャンスを逃してるのと同じやで』って言ってくれて」

伊丹でキャリアをスタートさせた優衣は、女子チームのカクテルにも所属して車いすバスケに夢中になった。2年後には、中学3年生で代表合宿にも初招集される。

「自分が一番年下で、一番下手なことはよくわかっていたんで、先輩の技術をちょっとでも身に着けて、ちょっとでも上手くなって帰ろうと思いました。先輩方がのびのびやらせてくれましたね」

優衣は2010年の広州アジアパラから代表に定着、選手としても着実にレベルアップしていった。しかし、女子日本代表は2011年のロンドンパラリンピック最終予選で、わずかの得失点差で出場権を逃す。リオパラリンピックでも集中的な強化で世界のトップに食い込んできた中国の前に、世界の舞台への道を阻まれることになった。

「大学4年間はリオを目標にバスケだけに集中するようにしていました。でも、リオ出場が断たれて大学も卒業で、いろいろ悩みましたね。日本代表での役割も大きくなってきているので、働きたいけどフルタイムだと東京パラリンピックを目指すのは難しいやろなって・・・。アスリートとして就職する選択肢もあったけど、ちゃんと社会人として仕事もしたいなと思って、その希望を理解してくれた日本生命に就職しました」

会社には週に2日出勤。人事課に所属して、社員研修などを担当するチームで業務にあたる。

「バスケばかりでバイトもしたことがなかったから、働くことがすごく楽しいです。会社のみなさんも応援してくれるので、バスケの練習にも気持ちが入ります」

生まれて初めて自分が働いてもらった給料で、家族そろってイタリアンを食べに行った。

「夜に練習があったからランチでした。お会計のときに、前から言ってみたかったひと言を言ったんです。『あっ、いいよ。私が出すから!』って(笑)。あとは自分にネックレス・・・。すっごい選んで、ケイト・スペードのネックレスを買いました。もう社会人なんやし、大人っぽいアクセサリーくらいは欲しいなって」

仕事とバスケを両立させるために、優衣が意識しているのは “切り替え”。

「会社はオフィスカジュアルですけど、清潔感とか社会人としての身だしなみには気を付けています。お化粧やアクセサリーが仕事モードのスイッチかな。バスケのときはノーメイク&ジャージですからね(笑)。でも練習の前後はちゃんと私服に着替えることで、またスイッチを切り替えています。私服はもっとカジュアルで、ローリーズファームとかページボーイとか好きで着ていますね」

働きながらバスケで結果を出したい――。社会人としての自覚、日本代表の中心選手としての自覚が、優衣をまたオトナにしてくれた。2020年東京パラリンピックでは、コートに響き渡る声と献身的なプレーでチームを引っ張る優衣の勇姿と、最高の笑顔が観られることだろう。

【プロフィール】

北間優衣さん

きたま・ゆい●1994年10月4日生まれ、兵庫県伊丹市出身

クラス:1.0/ポジション:フォワード/所属チーム:カクテル

先天性の二分脊椎で、中学1年生から車いすバスケを始める。持ち前のバスケセンスを評価され、高校時代から日本代表入り。車いすバスケでは障がいの最も重度なクラス1.0のローポインターだが、障がいの軽いハイポインターの選手を活かすインテリジェンスなプレーが得意。相手の隙をついて放つシュートも隠れた武器となっている。

※パラコミックとインタビュー、レポート記事、グラビアと全方位的にパラスポーツの魅力に迫った『パラリンピックジャンプVOL.2』(集英社)では、『リアル』の井上雄彦氏による、車いすバスケ日本代表の密着レポートを掲載。そちらもあわせてチェックを!