元スペイン代表FWダビド・ビジャ(ニューヨーク・シティ)のヴィッセル神戸入団が発表され、大きなニュースになった。37歳になったビジャは、どんな選手なのだろうか?ヴィッセル神戸入団を発表、チームから誕生日のケーキをプレゼントされたダビド…
元スペイン代表FWダビド・ビジャ(ニューヨーク・シティ)のヴィッセル神戸入団が発表され、大きなニュースになった。37歳になったビジャは、どんな選手なのだろうか?
ヴィッセル神戸入団を発表、チームから誕生日のケーキをプレゼントされたダビド・ビジャ
ビジャはこれまでスポルティング・ヒホン、サラゴサ、バレンシア、バルセロナ、アトレティコ・マドリード、メルボルン・シティ、ニューヨーク・シティに所属し、ゴールの山を築いてきた。マークを外すのがうまく、ボールを叩くインパクトに優れ、PKはほとんど外したことがないほど沈着冷静。プロデビュー以来、コンスタントにシーズン20得点以上を記録してきた。
サーラ賞(スペイン人得点王に贈られる賞)は最多の4回受賞を誇る。国内リーグ184得点は、現役選手としてはリオネル・メッシ(バルセロナ)、クリスティアーノ・ロナウド(ユベントス)に次ぐ記録だ。スペイン代表としても、ラウール・ゴンサレスの44得点を抜き、2014年ブラジルW杯オーストラリア戦で59得点目を挙げ、歴代最多得点記録を持つ。
ひと言でいえば、生粋のゴールゲッターである。しかし特筆すべきは、ゴールを叩き出すことでチームにタイトルをもたらしてきた点だろう。
ラ・リーガ(スペイン国内リーグ)優勝3回、コパ・デル・レイ(スペイン国王杯)優勝3回。チャンピオンズリーグ、クラブW杯でも頂点に立っている。さらに代表では、2008年ユーロ、2010年南アフリカW杯で優勝の栄光に浴した。個人記録以上に、チームタイトルが目立つのだ。
チームを勝たせるストライカー。それがビジャの実像である。
筆者は昔、ビジャの生まれ故郷、トゥイージャ(アストゥリアス県ラングレオ市にある8つの教区のひとつ)を訊ねたことがある。そこは80年代まで炭鉱の町として賑やかだった。しかし90年代に入ってから、炭鉱の閉鎖で人口は激減した。
「エル・グアッヘ」
スペイン語で、「炭鉱夫見習い」とビジャが呼ばれるようになった理由は、この町の出身であったことに由来している。
炭坑は地下800mでの仕事で、日の光も届かない。落盤事故や火事によって何人もが命を落としてきた。生き残っても肺病に苦しむ者がいて、命を懸けて入っていく。それだけに、絆や仲間意識は強い。ビジャの父も、誰からも愛される炭鉱夫だった。
「僕の役目はいつだって同じだよ。チームが勝つために全力を尽くす。チームのひとりになる、それだけだ」
ビジャは気持ちを込めて、チームの一員としての信条を語る。それは炭鉱夫としての心得にも通じるかもしれない。仲間の思いに応えられる選手だ。
それだけに、己には厳しい。
ビジャは4歳のとき、サッカーをしていて相手の全体重が右足に乗り、大腿骨を骨折した。歩行に障害が出てもおかしくない大ケガを負ったが、ベッドに座って父親が投げるボールを蹴り返したという。
炭鉱地の地方クラブだけに、雨が降ると土の炭が溶け、ユニフォームやスパイクは真っ黒になった。10代前半は、1部クラブのテストに落ち続けた。所属していたユースのトップは4部のクラブ。当地の冬の寒さは辛く、上に上がれない少年にとってはサッカーが遊びになったが、彼は一度も志を捨てなかった。
17歳で、ようやくスポルティング・ヒホンのユースに入団し、そこからめきめきと頭角を現した。
「ダビドは試合に負けて泣いたことはない。いつも怒っていたよ。ゴールを外してもそうだ。とても機嫌が悪くなった。あいつにとってはゴールをして勝つことが、人生そのものなんだよ」
ビジャの父は、懐かしそうな表情を浮かべて語っていた。
炭鉱の町で培った人生が、今も彼を支えているのか。ビジャは謙虚だが、闘志に溢れ、チームのために生死を懸けたような真剣さで勝負を挑める。献身的に守備をし、味方のためにスペースを作る動きも厭わない。味方にしたら、頼もしい男だ。
「なにごとも、まずは信じることが必要だ。サッカーは単純さ。能力のある選手が一丸になれば、当然、タイトルも狙える」
ビジャはあっけらかんと言う。幼い頃からその精神を貫いて、栄光を勝ち取ってきた自負があるのだろう。
37歳になるが、ビジャは今も世界有数のストライカーのひとりである。2016年度はメジャーリーグサッカーの年間MVPを受賞。2017年はシーズン24得点を叩き出し、9月には35歳にしてスペイン代表にも一度、復帰している。
「僕はチームのため、すべての力を捧げるだけだ。そうやって生きてきた。それしかできないんだよ」
ビジャは硬骨に言う。
2019年シーズン、ファン・マヌエル(ファンマ)・リージョ監督が率いる神戸は、かつてないほど優勝というタイトルに近づいたと言えるかもしれない。