今シーズンの最終戦であるATPツアーファイナルズが開幕する直前、『ニューヨーク・タイムズ』紙に「男子テニス界のベストショットの持ち主は誰?」と題された記事が掲載された。 これは同紙が10名の現役選手と、コーチや解説者ら25名の関係者を…

 今シーズンの最終戦であるATPツアーファイナルズが開幕する直前、『ニューヨーク・タイムズ』紙に「男子テニス界のベストショットの持ち主は誰?」と題された記事が掲載された。

 これは同紙が10名の現役選手と、コーチや解説者ら25名の関係者を対象に行なったアンケートを集計したもの。それら計35名の”エキスパート”には、「サーブ」「フォアハンド」などのショット別に、現時点でのベストと思われる選手の名を3名ずつ記してもらったという。



全米オープン後に戦った試合数はトップ10選手のなかで最多だった錦織圭

 結果、錦織圭は「両手バックハンド」でノバク・ジョコビッチ(セルビア)に次ぐ2位に選出。 「リターン」では4位、さらには「動きのいい選手」でも4位につけた。

 昨年8月に、右手首の腱を痛めて戦線離脱を強いられた錦織は、今年1月末、約6カ月ぶりにコートに帰還を果たした。しかし復帰初戦は、ツアーの下部大会である「ATPチャレンジャー」で、ランキング200位台の選手に苦杯をなめさせられる。

 その後、チャレンジャー大会での優勝はあったものの、試合勘の欠如やボールを鋭く打ち抜くかつての感覚が戻らず、もどかしい日々を過ごした。

 その葛藤のトンネルに光が射したのが、アレクサンダー・ズベレフ(ドイツ)やマリン・チリッチ(クロアチア)らを破り準優勝した、4月のモンテカルロ・マスターズ。つまりは、本人が「もう復帰過程とは言えない」と宣言したこの時からの7カ月間で、錦織は再び対戦経験もある選手やコーチ陣からの高い評価を獲得したのだ。なお、上記3部門でのランキング入りは、全体で5位タイである。

 モンテカルロ・マスターズ準優勝に、全米オープン・ベスト4……。数々の印象的な熱戦と戦績に彩られた復帰のシーズンで、ひとつ象徴的な大会を挙げるとすれば、それは初のベスト8入りを果たしたウインブルドンではないだろうか?

 錦織がウインブルドンで苦戦してきた訳は、サーブの優位性が高く、フットワークを活かしにくい芝のコートの特性にある。だが、それ以上に大きかったのが、ケガとの戦いだ。約2カ月間のクレーコートでの戦いを終え、芝へと移行した時、疲労と、それまでと異なる身体への負荷が重なり、ケガを引き起こす要因となってきた。

 その錦織が今年は、ウインブルドン開幕を控えた時点で「今のところ、どこも痛みはない」と、例年以上に状態のよさを口にしていた。

 実際に「テニスの聖地」で錦織は、芝巧者のバーナード・トミック(オーストラリア)や、ビッグサーバーのニック・キリオス(オーストラリア)らを退け、4回戦では強打自慢のエルネスツ・グルビス(ラトビア)をフルセットの熱戦の末に破る。準々決勝でジョコビッチに敗れるも、鬼門であった芝のシーズンをケガなく乗り越えたのは、これまで試行錯誤を繰り返しながら積み重ねてきたトレーニングが実を結んだ証左だろう。

 思えば、錦織がトレーナーのロビー・オオハシ氏にツアー帯同を依頼したのが、2年前のクレーコートシーズンである。遠征中もフィジカル強化に力を入れるためであり、さらにはその目的地を、「この先2、3年後が目安」と定めていた。

 あれから、2年――。手首のケガはあったものの、彼が望む「ケガの少ない身体」は今、たしかに築かれつつある。

 オオハシ氏の帯同のことで言うと、ハンマー投げの室伏広治を指導したことでも著名なこのトレーナーに錦織が望んだのは、強いフィジカルと同時に、速く動ける身体作りであったという。

 冒頭に触れたアンケートでも「動きのいい選手」の4位に入ったように、錦織のフットワークとスピードは誰しもが認めるところ。今季はとくに、どの選手も疲労に苦しむシーズン終盤戦にきても、錦織のコートカバー能力が際立った。ちなみに、今季の錦織が全米オープン後に戦った試合数は19。これはトップ10選手中、もっとも多い数字である。

 シーズン最終戦となるATPツアーファイナルズを戦い終えた時、錦織は「本当に、十分すぎる1年だった」と、朴訥な口調で今季を総括した。

「ケガもそうですし、メンタル的なこともそうですし。身体が強くなり、痛みが出なかったのも、今までなかったことなので……」

 胸の内をさぐりつつ、この10カ月を思い返し、訥々(とつとつ)と言葉を紡ぐ彼は、自分でもあらためて気がついたかのように、「いろんなことがケガから復帰してよくなったというか、乗り越えたこともあったと思います」と言った。

 キャリアを脅かしかねない苦境を乗り越えた先で、見える世界はこれまでとまた異なるだろう。

「今年1年がんばれたことは、ほぼ奇跡的なところもある。それは、我ながら評価できる」

 胸を張り視線を向けるその先を、ここから再び目指していく。