今年5月、W杯ロシア大会が開幕する前に『VOGUE Wedding』がドラガン・ストイコビッチ(愛称ピクシー)の愛娘アーニャのウエディング・パーティを特集した。アーニャがかつて名古屋にいたころ、『VOGUE JAPAN』のインターンを…
今年5月、W杯ロシア大会が開幕する前に『VOGUE Wedding』がドラガン・ストイコビッチ(愛称ピクシー)の愛娘アーニャのウエディング・パーティを特集した。アーニャがかつて名古屋にいたころ、『VOGUE JAPAN』のインターンをしていたことから実現した企画である。
名古屋グランパスエイトでは選手だけではなく、監督も務めたストイコビッチ
誌面ではセレブが集う南仏コート・ダジュールでカップルを祝う宴の様子が展開されている。ドレス姿のアーニャを見ると、父親が現役を引退した2001年、家族揃って名古屋を去る際、小牧空港でインターナショナルスクールの友人たちに最後まで手を振っていたあの小さかった女の子が、と思えて感慨がひとしおであった。またその新婦と腕を組んでヴァージンロードを歩くストイコビッチの少してらいを含んだ晴れやかな表情は、「家族はサッカーよりも大切」と言い切った男の生き方を醸し出していた。
思えばアーセン・ベンゲル(元グランパス監督)にアーセナルに誘われても、断って7年も日本でプレーを続けたのは、日本での生活を気に入った家族のためでもあった。
Jリーグの黎明期を支えた外国人選手の中では人気、実力ともにベストであろうストイコビッチも今では信じてもらえないかもしれないが、24年前、名古屋グランパスエイトに加入し、来日した当初は徹底的にヒール(悪者)にされていた。
1994年セカンドステージ、サンフレッチェ広島とのデビュー戦ではイエローカードを2枚もらい18分でいきなりの退場。プレーそのものよりも審判に異議を唱えてはイエローカードを収集するということを繰り返し、翌95年もファーストステージは出場停止をくらい続けた。
Jリーグの審判のレベルの低さに対する苛立ちがまずあった。ベンゲルはその苦悩を見抜いてこう言っていた。「ピクシーは非常に優れた才能の持ち主だから、いいものと悪いものを人よりも早く判断できる。その繊細さゆえにジャッジに怒りを覚えるのだ。審判は本来、プレーのファウルに対して警告を発すべきなのに、日本の審判はファウルではなく選手の言動にイエローを出す。これは明らかに間違っている」
地元名古屋の中部日本放送はイングランド紳士ゲーリー・リネカー(元グランパス)がどれだけ手を使っても警告は出されないのに、ストイコビッチには遠慮会釈もなくカードが突きつけられる理不尽さを、実際に映像を使って報道枠『ニュースワイド』の中で検証していたほどだ。
さらにイライラの要因としてもうひとつあったのが、当時キャプテンとして牽引したユーゴスラビア(現セルビア)代表の置かれた状況であった。
ユーゴはボスニア紛争に対して国連からスポーツ制裁を科せられ、2年半に渡ってあらゆる国際大会への出場を禁じられていた。この措置は、今振り返っても奇異に思える。サダム・フセインがクウェートを侵攻したときのイラク、そしてアサド政権下で泥沼の内戦状態にある現在のシリアでさえW杯予選には出場が許されている。一説には反セルビアの米政府が1994年のアメリカW杯大会に出場させたくなかったからとも言われている。いずれにしても政治によってサッカー選手としての存在自体を否定されたストイコビッチは92年、96年の欧州選手権を含む主要国際大会への出場も叶わず、キャリアの貴重な時間を無為に過ごさせられていた。
ストレスの溜まる状況下、さらにはヨーロッパから遠く離れた日本でのプレーは「妖精」と呼ばれた男から冷静さを奪っていた。当時のストイコビッチのパブリックイメージは「抜群に上手いけれどキレやすいエゴイスト」というようなものだった。サッカー専門誌では激怒している顔のイラストが定番として掲載されていた。実際、私自身も「確かにスーパーなプレーは連発するが、周囲の人望は無いだろう」そんなふうに思っていた。
それが一気に変わったのは、セルビアの首都ベオグラードにW杯フランス大会予選のスペイン戦を観戦に行ったときである。サッカー協会関係者のみならず、一般市民までが「ピクシーは人格者」と口を揃えた。イメージのギャップに驚いたが、試合の翌日に本人に遭うとさらにその表情の温和さに吃驚(びっくり)した。アポも取らずに夫人の経営するブティックに突然現れて取材を迫ったにも関わらず極めて紳士的な対応でインタビューに答えてくれた。質問の意図を考えながら物静かに言葉を選ぶ。これがあのイエローを出した審判のカードを奪って逆に突き付けた男なのか。先入観がいかに目を曇らせられるのか。
同時にまた現地を歩いたことで、当時ユーゴ紛争の解釈において広く流布されていた「セルビア悪玉論」も過ちであることに気づかされた。ベオグラード郊外ではセルビア人の難民があふれかえっていた。ボスニアのボゴシチャやクロアチアのクライナから、家を焼かれて追われてきたその背景を聞くとセルビアだけが一方的な加害者という思い込みは覆された。ところが、その戦争被害者たちの存在は無視され、取り上げるメディアは皆無であった。今でこそ「セルビア悪玉論」は「戦争広告代理店」の暗躍などで喧伝されていたことが明らかになっているが、当時はまだ西側のバイアスがかかった報道が一般的に流通していた。
「すべての民族が加害者であり、すべての民族が被害者である」というのが、ユーゴ紛争の真実でありながら、西側報道はあまりに一方的な善悪二元論で絶対的な悪者を作り上げていた。それはまた私の脳内にあるピクシーの「なぜ正当に裁いてくれないのか!」と苛立つ姿にシンクロした。
微力ながらこの不可視に置かれたユーゴの内情を目に見えるかたちで伝えたいと考えた。
そこからが、新しい取材のスタートだった。世界の悪者にされたストイコビッチ率いるユーゴ代表の98年フランスW杯を追っていくと、期を同じくしてセルビア内でコソボ紛争が激化した。内戦状態のコソボに分け入り、対立するセルビアとアルバニアのそれぞれ支配地を何度も往還した。コソボでは多数派のアルバニア人選手たちが、ユーゴ代表でのプレーをボイコットしていた。
1999年6月、KLAの解放区マレーシャボ。戦死した司令官の追悼式。当時テロリストと言われたKLA兵士が現在のコソボ政府の閣僚である photo by Kimura Yukihiko
1999年3月、NATO軍によるユーゴ空爆が始まる。米国が主導して国連を迂回して行われたこの軍事行動は在ベオグラードの日本大使館でさえ「不当な攻撃である」と霞ヶ関の本省に公電を送るほどその大義に疑問符が付けられるものであったが、それを指摘するメディアはほとんどいなかった。セルビアは世界で孤立していた。ストイコビッチがヴィッセル神戸戦でアシストを決めた後に「NATO STOP STRIKES」(NATOは空爆を止めろ)と記したTシャツをさらしたのはこのとき(3月27日)である。ストイコビッチはコソボで兵役を過ごしており、その複雑な背景を当事者として知る立場にあった。
戦闘機の出撃回数のべ3万5219回という激しい空爆の結果、セルビア治安部隊が撤退して、コソボはアメリカ政府の後押しで独立への道に進んでいく。そして今度はそこに暮らす非アルバニア人の少数民族が迫害を受ける。
20年前、今ほどの出版不況ではないにせよ、どこの雑誌も載せてくれないようなこんなレアなテーマの記事を週刊青年漫画誌の『ヤングジャンプ』が連載させてくれた。(人気アンケートでは見事に毎回最下位だった。1位は『サラリーマン金太郎』)
現在のコソボはアルバニアの民族主義が燃え盛り、民族共存どころか、セルビアやモンテネグロにまで領土を拡大しアルバニア本国との合併を主張する「大アルバニア」が勃興している。すべてはNATOの空爆が発火点だ。
今年のロシアW杯、スイス対セルビアの試合でスイスのコソボ移民二世の選手、グラニト・ジャカとジェルダン・シャキリがそれぞれゴールを決めた後に両掌を胸の前で交差させて扇ぐジェスチャーをした。それはアルバニア国旗にある双頭の鷲を示す「大アルバニア主義」を表すもので当のコソボ代表が禁止しているポーズである。
なぜスイス代表を選んだ選手が「大アルバニア」を主張するのか。FIFAは政治的な主張としてペナルティを科した。ジャカとシャキリは言うまでもなくすばらしい選手だ。紛争時はまだ6歳前後だった彼らがなぜ憎悪の中にまだ閉じ込められているのか。二世の選手がおそらくは教育の過程でがんじがらめにされているアルバニア民族主義にこそ注視しなくてはいけない。彼らを自由にしなくてはいけないのに、日本の報道ではむしろいさめるどころか、「あれはルーツに対する思い」「アイデンティティの発露」と言った論調ものが散見された。
しかし、2人はセルビア戦以外ではあのポーズを取っていない。アイデンティティというよりも対立していた民族への挑発行為でしかない。悲しいのは、W杯であのような屈辱的な挑発をされたセルビア人選手の側に立った視点が皆無だったことだ。ストイコビッチの口惜しさがまた蘇る。「セルビア悪玉論」はまだ生き残っている。
『悪者見参 ユーゴスラビアサッカー戦記』が新版で出るにあたり、セルビアとコソボのサッカーの関係を通じてなぜジャカとシャキリがあのような行動に出たのかを感じてもらえれば幸甚である。
そしてあらためて思う。フリーランスを攻撃する「自己責任論」がまたぞろ出て来たが、冗談ではない。現場に行かなければ私自身も悪玉論に傾倒していたままであったろう。コソボの北ミトロビッツァはいまだに外務省の渡航中止勧告『レベル2』が出ている。しかし、こと旧ユーゴスラビアに関して言えば、日本人はあらゆる民族から信頼を受けている。現場に置いて、CNNやロイターはセルビア人が拒絶し、ロシアや中国の通信社はクロアチア人やアルバニア人が信頼しない。両者に話が訊ける日本人にしかできないことがある。換言すればそれは日本人がやらなくてはいけないことだ。大手メディアが社内コンプライアンスに縛られて現場を踏めなくなった以上、フリーがその任に就くしかない。私はドブロシンというテロリストを養成する村に入ったことがばれて逮捕、拘束、強制退去という処遇にあったが、それでも現場に行かせ続けてくれた『ヤングジャンプ』に改めて感謝したい。”ジャンプ繋がり”だが、安田純平さんの言うとおり、「あきらめたら試合終了」なのだ。