出番は、後半13分に訪れた。「交代選手。ナンバー10、ウェイン・ルーニー!」のアナウンスが響くと、聖地ウェンブリー・スタジアムに駆けつけたサポーターは、スタンディングオベーションで主役を迎えた。目を潤ませながらファンの声援に応えるウェ…

 出番は、後半13分に訪れた。

「交代選手。ナンバー10、ウェイン・ルーニー!」のアナウンスが響くと、聖地ウェンブリー・スタジアムに駆けつけたサポーターは、スタンディングオベーションで主役を迎えた。



目を潤ませながらファンの声援に応えるウェイン・ルーニー

 この試合でゲームキャプテンを務めたMFファビアン・デルフ(マンチェスター・シティ)からキャプテンマークを受け取り、ルーニーがゆっくりとピッチに入る。最後の代表戦出場から約2年、代表引退発表から約1年3カ月が経過していたが、11月15日に行なわれた国際親善試合のアメリカ戦が事実上の引退試合に設定され、久しぶりにウェンブリー・スタジアムに舞い戻った。

 4−3−3の左FWの位置に入ると、投入から3分後に前線から自陣ペナルティエリア内まで敵を追いかけた。献身的にディフェンスを行なえば、後半26分にはペナルティエリア手前の位置から左足でシュート。さらに、センターフォワードにポジションを移していた後半アディショナルタイムに2度のゴールチャンスを掴んだが、いずれも決めきれなかった。

 試合後、ルーニーはスタンドを見渡し、サポーターの声援に拍手で応えた。「すばらしい夜。残念ながら得点できなかったが、この試合は記憶にずっと残る。ガレス(・サウスゲート監督)と選手たち、何年にもわたり応援してくれたサポーターに感謝したい」と感慨深げに語った。

 今回の引退試合でとくに目についたのが、ルーニーのサッカーセンスと万能性、献身性だった。

 昨シーズンまで在籍したエバートンで出番の少なさを訴え、今シーズンから米プロリーグMLSのD.C.ユナイテッドに移籍。主力としてD.C.ユナイテッドを牽引しているおかげで、身体は昨シーズンよりもフィットしているように映った。ただ、33歳の年齢には勝てず、全盛期に比べると身体のキレやスピードはやはり落ちていた。

 しかし、ボールタッチの柔らかさや攻撃センス、周囲を活かす動きは、まったくと言っていいほど錆(さ)びついていなかった。後半29分には、スルーパスで好機を演出。その際に見せた確かな技術と高いセンスに、ルーニーのうまさが凝縮されていた。

 しかも、「4−3−3」の前線すべてのポジションをこなす万能性も見せた。投入直後は左FWの位置に入ったが、3分後には18歳の新鋭FWジェイドン・サンチョ(ドルトムント)とポジションをスイッチ。右FWをこなした後、最後の10分間はセンターフォワードとしてプレーした。

 加えて、守備タスクもきっちりこなして懸命に敵を追いかけた。サウスゲート監督も「練習で身を粉にし、ミニゲームでもハードワークをこなす。試合では守備に走った。現代表選手たちも、ウェインのひたむきな姿勢を見習うことだろう」と手放しで褒めていた。

 イングランド代表の歴代最多ゴールスコアラーでありながら、守備も厭(いと)わない献身性を備え、味方を活かす利他性にも優れる――。ネットを揺らすことだけに徹していれば、イングランド歴代最多得点となる53ゴールをさらに上回っていたような気もするが、こうしたハイブリットなプレースタイルこそ、ルーニーの最大の持ち味だろう。

 筆者は香川真司のマンチェスター・ユナイテッド在籍時、2シーズンにわたり同クラブの密着取材を行なう機会に恵まれた。その際、目を奪われたのが、当時マンチェスター・Uに在籍していたルーニーのサッカーIQの高さだった。

 FWとして高い決定力を有していながら、「周囲を活かす技術」や「視野の広さ」もチームのなかで突出していた。香川の特性をもっとも理解していたのもルーニーで、誰とでも良質のコンビネーションを構築できる選手だった。強面とは裏腹に、器用で繊細なプレーができ、動きの幅も広い。そんな印象を抱いたのをよく覚えている。

 振り返れば、ルーニーは2003年に17歳で代表デビューを果たし、17歳と317日で同代表の得点最年少記録を更新した。以降、引退発表まで約14年にわたり、イングランド代表を牽引してきた。

 スティーブン・ジェラードやポール・スコールズ、リオ・ファーディナンドらを擁した「黄金世代」のひとりとしてチームの中核を担ったが、国際主要タイトルには手が届かなかった。しかし、ルーニー個人としてはイングランド歴代最多の53ゴールをマーク。ボビー・チャールトン(49ゴール)やガリー・リネカー(48ゴール)といった歴代先人たちの記録を上回り、イングランド代表史にその名を刻んだ。

 一方で、物議を醸す行動も少なくなかった。2006年のW杯ドイツ大会のポルトガル戦で退場処分を受け、チームもPK戦の末に敗戦。英国内で猛バッシングを浴びた。2010年のW杯南アフリカ大会でも、上位進出が期待されながらグループリーグで2試合連続のスコアレスドロー。サポーターの不満が爆発すると、ルーニーはテレビカメラに向かい、「自軍のファンがブーイングを浴びせるとは最高だな」と叫び、大いに批判された。

 代表で味わった栄光と挫折――。引退試合に先立ち、ルーニーが「いい試合もあれば、悪い試合もあった」と、代表キャリアを振り返っていたのが印象的だった。

 ただ、今回の最終試合で、ルーニーの顔には常に笑みがこぼれていた。これまでの代表キャリアについて、本人は「今、振り返ってみると、プレッシャーは相当に大きかった。それはファンやメディアからの重圧ではなく、自分自身に課したプレッシャーだった。過剰なプレッシャーが、プレーに影響を及ぼすこともあった」と明かす。

 たしかに、どこか窮屈そうにプレーしていた時代もあった。しかし、一夜限りで実現した代表戦では、前日会見もウォームアップ中も笑顔。無得点ながら、試合後も笑みを浮かべていた。

「もう一度、イングランド代表としてプレーできるなんて本当にすばらしい。ひとりのファンに戻る前に、このような機会を持てたことは本当に特別だ。この試合のことは決して忘れない」

 酸いも甘いも知ったルーニーの言葉は、間違いなく心の底から出た本心だった。そんなルーニーを、ウェンブリー・スタジアムの住民たちは拍手で送り出した。