オーナーズファイル(7)デイビッド・ゴールド、デイビッド・サリバン/ウェストハム・ユナイテッドFC() 旧ソ連のオリガルヒ(ロシアの新興財閥)や中東の王族がトップレベルのフットボールにほぼ無制限の投資をする現在、エリートクラブのオーナー…
オーナーズファイル(7)
デイビッド・ゴールド、デイビッド・サリバン/ウェストハム・ユナイテッドFC
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旧ソ連のオリガルヒ(ロシアの新興財閥)や中東の王族がトップレベルのフットボールにほぼ無制限の投資をする現在、エリートクラブのオーナーシップに英国のスーパーリッチたちの影は薄い。そんななか、プレミアリーグで異彩を放っているのが、ウェストハム・ユナイテッドFCの経営権を握るデイビッド・ゴールドとデイビッド・サリバンだ。出身地はロンドンとカーディフで、どちらもアダルト業界で財を成した。
試合中にファンがピッチに乱入した、今年3月のバーンリー戦
photo by Getty Images
2010年、2人はアイスランド人の前オーナー、ビェルゴルフル・グズムンドソンからウェストハムの株式の50%を、1億500万ポンド(約175億5000万円=当時のレート:以下同)を少し超えるくらいの額で購入。グズムンドソンはアイスランドのランズバンキ銀行を所有していたが、2008年の経済危機によって同銀行が事実上の経営破綻に陥って国有化され、10億ドルの個人資産のすべてを失うことになった。ウェストハムも存続の危機に直面したが、サリバンとゴールドが手を差し伸べたのである。
現在、2人は同クラブの株式の85%を保持している。しかし彼らはクラブ史上最大とも言える物議を醸したオーナーでもある。歴史的なホームスタジアム、ブーリン・グラウンドからロンドン・スタジアム(2012年のロンドン五輪で使用されたスタジアム)へと本拠地を変更したのだ。
デイビッド・ゴールドはブーリン・グラウンドの目と鼻の先で、ひどく貧しいユダヤ人一家に生まれた。彼は自伝『Solid Gold』の中で、「幼少期はいつも空腹で、希望を失っていた」と述懐している。父は地元のチンピラで長く投獄されていたため、ゴールドはほとんど父がいない子供時代を過ごした。また、ユダヤ人差別や偏見にもさらされ、財を成した後には英国のネオナチ集団『コンバット18』から殺人予告を受けてもいる。
生まれ落ちた場所による宿命か、ゴールドは熱狂的なウェストハム・サポーターとなった。そしてクラブのアカデミーに所属し、小柄ながらすばしっこい左ウイングとして鳴らし、”ウサギ”のニックネームで呼ばれていた。ところが、練習生としての契約を提示されながらも、父がサインを拒否。のちにチャールトン・アスレティックFCからも同じようにオファーされたが、同じように父の反対に遭った。
結局、才能を秘めたゴールドのフットボーラーとしてのキャリアは、本格的に始まる前に終焉を迎えた。その後、レンガ施工者の見習いとして短期間働き、そこで得た資金を元に本屋を開業。兄弟の助言により、当初はSFに特化していたという。
ロンドンのチャリング・クロス駅にほど近いその店で働いている時、ゴールドはひとつのことに気づいた。そこでもっとも売れ行きがいいのは、けばけばしい表紙のエロティックな三文小説『ハンク・ジャンソン』だということに。アダルト系に方向転換したことで店はソーホー付近で4つに増え、売り上げは年間100万ポンドを超え、1972年には経営が傾いていたセクシーショップ「アン・サマーズ」を買収した。
さらに「ゴールド・スター出版」を立ち上げ、『エロティカ』誌を発行。彼らはこの雑誌をポルノとは異なるものと主張したが、のちに刊行された『ホワイトハウス』や『スウィッシュ』を含め、完全なる”フェティッシュマガジン”だった。
出版業への進出によりゴールド兄弟は億万長者となったが、本の性質により警察当局から目をつけられた。1973年にはわいせつな出版に関する法律に抵触し、最高裁に2度出廷したほどだ。ただし腕利きの弁護士に守られ、投獄は免れている。
1970年代の終わり頃、ゴールド兄弟に予期せぬ電話がかかってきた。声の主はデイビッド・サリバン――同兄弟と並ぶセクシー出版業界の有力者だ。しかし最大のライバルのひとりは、いがみ合うのではなく「手を組もう」と提案。その後、両者の関係は40年以上にわたって続くことになる。
サリバンはウェールズの首都カーディフで労働者階級の家に生を受けた。ゴールドのような貧しさはなく、ロンドンの大学へ進学し、その頃にウェストハムを好むようになった。
2010年の『ウェスタン・メール』紙でのインタビューで、サリバンはアダルト業界に進んだきっかけを明かしている。週給30ポンドでガソリンスタンドに雇われていた時、『ペントハウス』誌の創業者ボブ・グッチョーネのインタビューを『ニューズ・オブ・ザ・ワールド』紙で読み、即座にフォトグラファーとモデルを雇った。そしてヌード写真を1ポンドで売るところからスタートしたという。
「私は自分がしてきたことを恥じていない」とサリバンは語る。「自分の職業を出版業と言ったりもしない。アダルト・エンターテインメントを生業とし、複数のラブリーな女性と出会い、多くのカネを手にしたのだ」
1970年代後半には、イギリス国内のアダルト雑誌の約半分のシェアを獲得し、セクシーショップのチェーンも大きく拡大。サリバンがゴールドに電話をかけたのは、そんな時だった。
「我々はどちらも売れ行きのいい複数の雑誌を持っていて、各書店のもっとも目立つ棚を奪い合っていた」とゴールドは振り返る。「しかし、その一本の電話がすべてを変えた」
手を組んだゴールドとサリバンはその後、40年にわたって利益の高いビジネスを共同で続けている。
ただし、物事が常にスムーズに進んできたわけではない。ポルノグラフィーはしばしば、女性を不当に利用したものと糾弾され、露骨な性描写によって儲けるビジネスの倫理面を問題視されてきた。前述したとおり、ゴールドはそれらの件で咎められながらも腕利きの弁護士に救われてきたが、サリバンには塀の中で過ごした期間がある。1982年に不道徳な稼業で有罪判決を受け、71日間、刑務所に入った。
彼らが最初に着手したのは、全国紙『サンデー・スポーツ』と『デイリー・スポーツ』の創刊だった。どちらもヌード写真やセクシーな広告、大げさなヘッドラインで溢れ、ゴールドに言わせると「カルト的な人気」を博し、全盛期には週に150万部を販売。彼らは2007年に5000万ポンド(約117億5000万円)で2つの新聞の権利を売り、2011年には廃刊となっている。
2人がフットボールの世界に足を踏み入れたのは1991年。ウェストハムの株式の29.9%を取得した。だが、クラブ側から無言の反対を貫かれてそれ以上のシェアの獲得はできず、取得した分を2年後に275万ポンド(約4億5000万円)で売却し、それを元手にバーミンガム・シティFCの経営権を手にしている。
当時のバーミンガムは3部降格の危機に瀕し、本拠地セント・アンドルーズ・スタジアムは改修が必要とされていたが、ゴールドとサリバンはこのクラブを”眠れる巨人”と見ていた。新たな経営陣のもと、スタジアムには真新しい座席が取り付けられ、財政難も払拭し、最終的にはプレミアリーグへ昇格。しかし、ファンは最後までゴールドとサリバンを受け入れなかった。そして2009年に香港の投資家がバーミンガムに興味を示すと、彼らは8100万ポンド(約118億3000万円)でチームを売却している。
ゴールドとサリバンはその後、前述したとおり、2010年1月にウェストハムの株式の半数を手にした。当初、ファンは彼らを歓迎したが、ロンドン・スタジアムへの本拠地移転の契約が明るみになると、人々の心は離れていった。
スタジアムは約7億100万ポンド(約1367億円)をかけて建造されたが、ウェストハムが支払ったのは改修費の1500万ポンド(約29億3000万円)のみ。残りは税金と、地元議会、政府などの支払いでまかなわれたことになる。そのスタジアムはウェストハムに99年間リースされることになり、年間の支払いはたったの250万ポンド(約3億7000万円)だ。
ウェストハムだけがこれほど有利な条件を受けることになり、近隣のトッテナム・ホットスパーやレイトン・オリエントFCは憤慨した。しかしながら、いくつかの法廷闘争はあったものの契約は履行される運びとなり、ウェストハムは2016-17シーズンから6万人収容のホームスタジアムを得た。
だがそこには失われたものもある。試合日のブーリン・グラウンドの内外にあった刺激的な雰囲気は、近代的でビジネス色の強い空気に変わり、ピッチを囲むトラックは観客と選手の距離を遠くした。多くのサポーターは不満を隠さず、チームのパフォーマンスも低調。今年3月にバーンリーに0-3で完敗した際には、怒気を含んだ大きなブーイングがゴールドとサリバンに浴びせられた。
その後、降格を免れたクラブはオフに多額の資金を投じて複数の新戦力を獲得。マヌエル・ペジェグリーニを新監督に迎え、新エース候補のフェリペ・アンデルソンにはクラブレコードとなる3500万ポンド(約49億8000万円)の移籍金を費やした。
それでも足取りは相変わらず不安定で、リーグ第12節を終えた時点で3勝3分6敗の13位。ゴールドとサリバンはたしかにクラブを財政難から救ったが、新たな本拠地への移転は多くの敵をつくり、チームの成績もあまり変化はない。伝統を失ってまで近代化を推し進めたクラブは、どこへ向かっていくのだろうか。
■著者プロフィール■
ジェームス・モンタギュー
1979年生まれ。フットボール、政治、文化について精力的に取材と執筆を続けるイギリス人ジャーナリスト。米『ニューヨーク・タイムズ』紙、英『ワールドサッカー』誌、米『ブリーチャー・リポート』などに寄稿する。2015年に上梓した2冊目の著作『Thirty One Nil: On the Road With Football’s Outsiders』は、同年のクロス・ブリティッシュ・スポーツブックイヤーで最優秀フットボールブック賞に選ばれた。そして2017年8月に『The Billionaires Club: The Unstoppable Rise of Football’s Super-Rich Owners』を出版。日本語版(『億万長者サッカークラブ サッカー界を支配する狂気のマネーゲーム』田邊雅之訳 カンゼン)は今年4月にリリースされた。