11月10日のレスターは、タイ人オーナー・ヴィチャイ氏の追悼ムード一色に包まれた。 ヘリコプター墜落事故により、ヴィチャイ氏を含む5人の搭乗者が亡くなったのは先月27日のこと。2010年に当時2部に在籍していたレスター・シティを買収したヴ…
11月10日のレスターは、タイ人オーナー・ヴィチャイ氏の追悼ムード一色に包まれた。
ヘリコプター墜落事故により、ヴィチャイ氏を含む5人の搭乗者が亡くなったのは先月27日のこと。2010年に当時2部に在籍していたレスター・シティを買収したヴィチャイ氏は、レスターの街と二人三脚で歩み、2015-16シーズンに「奇跡のリーグ優勝」を成し遂げた。それだけに、オーナーを含む搭乗者全員の死亡が確認されると、レスターの街は悲しみに沈んだ。
岡崎慎司らは追悼メッセージがプリントされたシャツを着て試合に臨んだ
まさかの出来事に動揺したのは、選手たちも一緒だった。
ヘリコプターに乗り込もうとするオーナーを見送ったGKカスパー・シュマイケルは、墜落していくところを目撃したという。前節のカーディフ・シティ戦で、デンマーク代表GKは人目もはばからず涙した。
事故当日の様子を、在籍4季目の岡崎慎司は次のように明かす。
「『ヘリコプターが墜落したみたいだ』と、みんながパニックになった。『本当に現実のことなのか?』って。(チーム内で)グループのLINEみたいのがあって、みんなが『情報を教えてくれ』って感じになった。そして、後日そういうこと(=5名の搭乗者が亡くなった)がわかって……」
岡崎曰く、オーナーは「誰からも愛された人だった」という。
ヴィチャイ氏は英2部時代にレスターを約3900万ポンド(約57億円)で買収し、その際にクラブが抱えていた約1億ポンド(約147億円)の負債を肩代わりした。さらに、的確な選手補強と投資でチームを着々と強化し、6年後にはプレミアリーグの頂点まで導いた。
1970年代に活躍したクラブOB、73歳のアラン・バーチェンオール氏が「ヴィチャイ・オーナーがいなければ、何も起こらなかった。彼が我々の夢を叶えてくれた」と語っていたように、ヴィチャイ氏なくしてレスターの奇跡の優勝はありなかっただろう。
また、ヴィチャイ氏はレスターの街で積極的に慈善活動も行なっていた。市内に新設された児童病院に200万ポンド(約2億9000万円)、レスター大学の医療部門に100万ポンド(約1億5000万円)、さらに市内の医療施設に100万ポンドの寄付を行なっていたことが、事故の後に明らかになった。サッカーだけでなく、地域貢献にも力を入れていたのだ。
加えて、母国タイでのサッカー発展に尽力し、タイの少年たちを積極的にレスターへ招待していた。「尊敬していた人」だからこそ、岡崎も肩を落とす。
「普通だったら、(英国で)アジア人がこれだけ愛されることってないと思う。ひとりのアジア人として、僕もすごく尊敬できるし、クラブのオーナーとして、今まで会ったことがないぐらいの人間力を持った人だった。いろいろなところに貢献して、市民にも愛された。また、タイの若い選手を含めて選手を育てることにもチャレンジしていた。すごいなと。
こういうことが起きてしまい、愛されていたことが(世に)出ている。ただ、今回のことがあって、亡くなってから(世に)出るというのは複雑です。亡くなってしまったので、やっぱりつらいというか。もういなくなってしまったので。
でも、本当に愛された人。そして、自分としても忘れられない人です。そういう人が築いたものだからこそ、崩したくない気持ちがある。アジアのつながりとか、将来的に自分が何かできることがあれば、手助けできたらなと思っています。それだけ尊敬に値する人だった」
また、同じアジア人として、ヴィチャイ・オーナーは日本人の岡崎のことを気にかけていたという。2015年に岡崎がレスターへ移籍した時も、オーナーが関わっていたと明かす。
「もちろん、スカウト(の推薦)込みで移籍が決まりましたけど、(ヴィチャイ・オーナーが)自分をレスターに呼んでくれたので。そして、アジア人ということで、常に声をかけてくれた。『日本食がほしかったら、いつでも言ってくれ』って言ってくれたり、オーナーがロンドンに住んでいるので、ロンドンのおいしい店を紹介してもらったり。
オーナーって、けっこうチームに介入する人が多いと思う。もちろん、ヴィチャイさんもそうだけど、介入の仕方があったかく見守るというか。チームが降格の危機になれば、『わかっているな?』っていう感じにはなります。でも、それだけ愛情をチームに注いでくれていることは、みんなわかっていたので」
あの悲惨な事故から2週間──。11月10日に行なわれたバーンリー戦は、さながらメモリアルゲームのようだった。
試合前にはサポーターが、市内中心部から本拠地キングパワー・スタジアムまで追悼パレードを実施。事故現場から隣接する場所に設置された記帳台と献花場まで足を運び、沈痛な面持ちで冥福を祈った。スタジアム内でも、事故後にサポーターが捧げたユニフォームとマフラーが、ピッチを取り囲むようにぎっしりと並べられ、ヴィチャイ氏の突然の死を悼んだ。
また、バーンリー戦の来場者全員には、マフラーと追悼本が無料配布された。「ずっと我々の心の中に──」。マフラーに刻まれたメッセージが、レスターの街から沸き上がる心の声を代弁しているようだった。実際、バーンリー戦での記者席の周りでも、涙を拭うクラブスタッフやサポーターの姿があった。
そんなバーンリー戦で、岡崎は途中出場を果たした。0-0で迎えた後半39分から出場すると、4-2-3-1のトップ下に入った。投入直後から積極的に相手とボールを追いかけると、後半43分にFWジェイミー・バーディーへのスルーパスで好機を演出した。
そして、最大のチャンスは後半アディショナルタイムに訪れた。左サイドからクロスボールが入ると、岡崎がヘディングシュート。しかし、わずかにゴール左上に逸れ、0-0のまま試合終了のホイッスルを聞いた。得点機を逃した岡崎は、「あれを決めていれば、一生残るようなゴールだったと思うんですけど。僕ではなかった……」と唇を噛んだ。
囲み取材の最後に、筆者はこんな質問をぶつけてみた。「オーナーからかけられた言葉で心に残っているものは?」。岡崎は答える。
「かけられた言葉というよりは、もう笑顔ですね。みんなが言っていると思うんですけど、あの笑顔が、みんなから愛される理由かな」
満面の笑みとともに、レスター・シティと街を見守り続けたヴィチャイ氏。その彼は、もういない──。
岡崎は「ヴィチャイさんが作ったものを、自分たちがまた形にしていかないと。そういう意味では、今日のこの大きなセレモニーが、そのきっかけになったらすごくいいなと思います」と力を込めていた。