3月下旬にオーストラリアで開幕した2018年のF1世界選手権は、11月末にいよいよ最終戦のアブダビGPを迎える。これで史上最多タイの全21戦が競われた長いシーズンにピリオドが打たれる。 今シーズン、日本のファンは「イギリスの名門マクラ…

 3月下旬にオーストラリアで開幕した2018年のF1世界選手権は、11月末にいよいよ最終戦のアブダビGPを迎える。これで史上最多タイの全21戦が競われた長いシーズンにピリオドが打たれる。

 今シーズン、日本のファンは「イギリスの名門マクラーレンとの3年間にわたるパートナーシップを解消し、新たにトロロッソと組んだホンダがどんなパフォーマンスを見せるのか?」と、復帰4年目を迎えたホンダに熱い視線を注いでいた。

 ホンダはファンとチームの期待に応えるために精力的な開発を進め、着実にパワーユニット(PU)の性能を向上させていった。その結果、2019年からトロロッソに加え、トップチームのレッドブルにもPUを供給することが正式に決まった。

 レッドブルは今シーズン(第20戦ブラジルGP終了時点)4勝を挙げ、メルセデスやフェラーリと並ぶトップチームのひとつだ。毎戦のように優勝争いに加わるチームと新たにコンビを組むことが決まり、ホンダの山本雅史モータースポーツ部長は「我々にとって2019年シーズンは飛躍の年になる」と語っており、ファンの期待はすでに大きくふくらんでいる。

 しかし同時に「これで日本人ドライバーがいてくれれば、もっと盛り上がるんだけどなあ……」と感じていた人も少なからずいただろう。そんな声に応えるかのように、鈴鹿サーキットを運営するモビリティランドとホンダが鈴鹿サーキットレーシングスクール(SRS)の新体制を発表した。



新たに就任した佐藤琢磨校長と中野信治副校長

 SRSは「世界トップレベルのレースで通用するドライバーを育成する」ために1993年に開校した日本初の本格的なレーシングスクールだ。これまで日本初のフルタイムF1ドライバーの中嶋悟氏が校長をつとめ、数々のプロドライバーを輩出してきたが、体制を刷新。2019年から新たにインディ500ウイナーの佐藤琢磨を新校長に迎えることが決まった。

 さらにF1やアメリカのインディカー(CART)、ルマン24時間レースなどで活躍してきた中野信治が副校長に就任。国際舞台での経験が豊富なふたりがSRSを率いることになった。

 今回の体制変更の理由をひとことで言うと、SRSの掲げる目標が「世界トップレベルのレースで通用するドライバーを育成する」ことから次のステージに移ったからである。新しいSRSが目指すのは「世界で勝てる日本人ドライバーを育てること」だ。

「ホンダとパートナーを組むレッドブルとトロロッソでシートは4つあるわけですが、そこに乗ることを目指すというよりも、そこでしっかりと戦えるドライバーをどのように育てていくのかが目標になります。琢磨さんはF1で表彰台に上がっていますが、我々が次に狙うのは表彰台の真ん中です。そこに乗れる日本人を育てたいのです!」とホンダの山本モータースポーツ部長は語る。

 では具体的にどのようにして世界で勝てる日本人ドライバーを育てる計画なのだろうか? 新生SRSの”ツートップ”佐藤琢磨と中野信治に聞いてみると、現役のレーシングドライバーでもあるふたりは”人間力”というキーワードを口にした。SRSの第3期の卒業生でもある佐藤琢磨は言う。



SRSの目標について語った佐藤琢磨

「SRSではこれまで現役のトップドライバーが講師となり、生徒に直接指導してきました。これは生徒にとって大きな刺激になりますし、素晴らしいプログラムです。この部分はそのまま引き継いでいきたいと思っていますが、速く走るための技術というのは私や信治さんがどうこう言っても実はあまり変わらないんです。センスのある子、探究心のある子は黙っていても伸びていきます。

 速く走るための技術や実力はもちろん大事ですが、それだけでは世界のトップで通用しないと僕は感じています。勝てるドライバーというのはチームの求心力にならなければいけません。そのために何が必要かと言えば、人間力、いわば人間的な魅力なんです。

 SRSでは、周囲が『コイツは伸びていくだろう』『コイツを応援してやろう』と思うような、人間的に魅力のある若い選手を育てていきたい。そういう選手は、おそらくどの国の、どのカテゴリーの、どのチームに行っても、自分がパフォーマンスを発揮できるための環境を自らつくっていくことができると思います。そういう人間力を培うことができるように、僕と信治さん、講師陣とみんなでバックアップしていきたいです」

 佐藤琢磨は2019年シーズンもアメリカのインディカーにフル参戦するため、すべてのカリキュラムに顔を出すことはできない。彼に代わって現場を見ていくことになるのが中野信治だ。琢磨がもっとも信頼する先輩ドライバーのひとりである彼もまた “人間力”を強調する。

「僕と琢磨ではこれまで戦ってきた軌跡は多少異なりますが、国内外のさまざまなレースに参戦し、いろんな経験をしてきました。そこで困難や壁を突破するためにどうすればいいのかということを学んできました。それを生徒たちには少しずつインプットしていきたいと思っています。

 世界のトップで勝つためには速く走るための技術を持っているのは当たり前です。それにプラスして人間力を身につけていないといけないと考えています。実は、そこが世界で戦う上では一番大事なポイントで、教えるほうもすごく難しいところです。

 僕は琢磨のことをスクールの生徒の時代からずっと見ていますが、彼がすごいのはクルマに乗っている時はもちろんですが、降りたあとなんです。たとえば今回、SRSの新しい育成プロジェクトが実現したのも、彼が次世代の若手を育てたいという思いが周囲を動かしていきました。彼が求心力になり、いろんな壁を乗り越えていきました。

 世界でトップに立つ選手たちは、そういうことが当たり前にできるんです。SRSの生徒たちには、そういう力を身につけてくれることを僕は望んでいますし、そのためのサポートを琢磨とともにやっていきたいと思っています」

 レーサーとしての純粋な速さと人間的な魅力を兼ね備え、F1やインディカーのような世界のトップカテゴリーでチャンピオン争いをする日本人ドライバーが誕生するのはいつになるのだろうか……。

 ホンダとパートナーを組むレッドブルも「未来のF1チャンピオンを探す」という目標を掲げ、2001年にドライバー育成プログラム、レッドブル・ジュニアチームを設立し、数々のドライバーを輩出してきた。しかしサポートドライバーのセバスチャン・ベッテルがF1で初めて優勝したのは2008年、初タイトルを獲得したのは2010年だった。

 ベッテルが誕生するまでには、何人ものレッドブル育成ドライバーがF1を目指してチャレンジし、結果を出せずにサーキットを去っていった。

 SRSからベッテルのようなドライバーが出てくるまでには、レッドブルと同様に相当な時間がかかると考えておいたほうがいいだろう。佐藤琢磨と中野信治も「このプロジェクトは長いものになる」と口をそろえている。

 とはいえ、日本のレースファンや関係者が待ち望んでいた「世界のトップカテゴリーで日本人のチャンピオンが誕生する」という夢の実現に向けて、確かな一歩を記したことは間違いないだろう。その日が一日でも早く来るのを期待しつつ、忍耐強く見守っていきたい。