バレンティーノ・ロッシ(モビスター・ヤマハ MotoGP)が27戦ぶりに手にしていたかもしれない勝利は、レースが残り4周となった1コーナーで滑るように潰えていった。 セパン・インターナショナル・サーキットで行なわれた第18戦・マレーシ…

 バレンティーノ・ロッシ(モビスター・ヤマハ MotoGP)が27戦ぶりに手にしていたかもしれない勝利は、レースが残り4周となった1コーナーで滑るように潰えていった。

 セパン・インターナショナル・サーキットで行なわれた第18戦・マレーシアGPの決勝レースを、ロッシはフロントロー2番グリッドからスタートした。1コーナーへ真っ先に飛び込んでホールショットを奪うと、その後もずっとトップを走行し続けた。



2番グリッドからホールショットを奪ったバレンティーノ・ロッシ

 ヤマハ陣営は、2年越しの不名誉な未勝利記録に前戦のオーストラリアGPで終止符を打ったが、ロッシ自身は、その未勝利記録の端緒となる2017年の第8戦・オランダGPで優勝して以降、一度も表彰台の頂点には立っていない。2011-2012年のドゥカティ時代を除けば、これは彼にとって最長の未勝利記録となる。その終焉に向けて、ロッシはハイペースでトップを走行し続けた。

 序盤から2分01秒0のペースを刻み続け、10周目にはレース中自己ベストの2分00秒912を記録。その後も00秒9台から01秒1台で走り続けるという高水準のリズムを維持した。気温35度、路面温度53度という厳しいコンディションや、現在39歳という彼の年齢を考えれば、このパフォーマンスは驚異的といっていいだろう。

 その背後を走行していたのが、2戦前の日本GPでチャンピオンを確定させたマルク・マルケス(レプソル・ホンダ・チーム)だ。ポールポジションを獲得したものの、ペナルティにより6グリッド降格処分を受けて3列目7番手からのスタートとなったマルケスは、5周目に2番手へ浮上。しかし、前をゆくロッシとの差はじりじりと広がっていった。ふたりの距離は、ロッシが自己ベストを記録した翌々周の12ラップ目には1.2秒になっていた。

 だが、そこからマルケスはコンマ数秒ずつ、ロッシに近づいていった。

 ロッシとマルケス、しかもセパン・サーキットといえば、誰しもすぐに想起するのが、2015年の14コーナーでの出来事だ。

 健全なライバル関係の域を超えて、一触即発の緊張がピークに達していた両者の微妙な距離感は、このレースでマシン同士が接触し、マルケスの転倒という最悪の結果で決定的な破綻を迎える(ちなみに、このときの接触が意図的なものであったかどうかに関して、当事者両名に取材をしない無責任な言説がいまだに流布しているふしもあるが、当日の事態の詳細と両選手の主張については、『Webミスターバイク』などの拙稿を参照していただければ幸いである)。

 おそらく、前を走るロッシにも、それを追うマルケスの脳裏にも、このときのことは脳裏にあったはずだ。ロッシが上記のような驚くべき高水準の走りを維持していたのは、後ろからマルケスが追ってきていることとも無縁ではなかった、と推測するのは、けっしてうがち過ぎではないだろう。マルケスとの距離が0.1秒、0.2秒と詰まってゆき、差が0.6秒少々になった17周目の1コーナーを、ロッシは次のように振り返っている。

「攻めていたのは確かだけれども、スロットルを開けたときに思いのほか、リアが滑りはじめた。フロントが限界だったところにリアが滑りはじめ、その結果、転んでしまった。

 残り5周(実際には4周)だったので、最後まで攻めるつもりだった。マルケスが少しずつ近づいてきたから、彼が迫ってくるのをできるかぎり遅らせたかった。いいレースをできると思っていただけに、転んでしまったのは本当に残念だ」

 後ろから迫ってくるマルケスに追い抜かれて、ずるずると差を開かれてしまう無様なレースをするくらいなら、ギリギリの状態でも限界まで攻め続ける、という意地と矜恃が、最終的にこのような顛末を招いたのだろう。

 そして、「今季最初のミスだと思う。アルゼンチン以外では全戦、レースを完走しているから」ともロッシは述べた(もうひとつ余談を述べておけば、このアルゼンチンの転倒ノーポイントはマルケスとの接触によるものだ)が、「クラッシュは最悪だったけど、それまでの15周は夢のようだったよ」と笑顔で話す大人の余裕も垣間見せた。

 一方、マルケスの側は「自分もバレンティーノも限界で戦っていた」と、この日のレースについて話した。彼がロッシに追いつくまでの状況は、以下のとおりだ。

「7番グリッドからのスタートが、強烈なモチベーションになった。過去に3列目からスタートして勝ったことがなかったので、それが『エクストラモチベーション』になったんだ。

 前方でバレンティーノがすごく攻めているのが見えた。自分も予選みたいな勢いで攻めたけど、タイヤに熱が入り過ぎてしまった。最終コーナーではフロントが切れたけど、ひじでなんとか抑えた。そこから、落ち着いてタイヤの状況を考えるようにした。

 フィーリングがよくなってきて、コンマ数秒ずつバレンティーノに追いついていった。前のライダーに追いついていくことが、さらに『エクストラモチベーション』になった。そこからは本能に従って、頭では考えずに限界まで攻めた」

 ここでマルケスの言っている『エクストラモチベーション』とは、「前方にいるロッシを逃がさない。絶対に追いついて、彼の前で自分が優勝してみせる」という強い意志を婉曲に言い換えた表現、と考えていいだろう。

 マルケスは「もし、まだチャンピオン争いをしている段階だったら、今日のようなレース運びをしていたか」と問われた際に、「ドヴィ(アンドレア・ドヴィツィオーゾ/ドゥカティ・チーム)を相手にタイトルを争っている状態だったら、今日は3位か4位だったと思う。2位は狙ったかもしれないけど、優勝争いはしなかったと思う。今回は『エクストラモチベーション』があったから、ことさらに攻めたんだ」と答えていることからも、それは明らかだ。

 そして、目の前でロッシが転倒した経緯については、このように推測した。

「あのレベルの戦いでは、たとえコンマ数秒でも損をしたくない。1コーナーでは少しだけバレンティーノがはらんでしまい、早くラインに戻ってこようとしてフロントが切れこんでしまったのだろう」

 両選手の明暗はくっきりと分かれる結末だったが、それだけになおさら、観戦する側にとってはまたひとつ強烈な記憶が焼きつけられるレースになった。