専門誌では読めない雑学コラム木村和久の「お気楽ゴルフ」連載●第177回 来年、2019年は天皇陛下が退位され、新しい年号が始まります。 ゴルフ界も、ルール変更が大々的に行なわれ、バンカーからソールして打てるとか、ピンを立てたままパターで…

専門誌では読めない雑学コラム
木村和久の「お気楽ゴルフ」連載●第177回

 来年、2019年は天皇陛下が退位され、新しい年号が始まります。

 ゴルフ界も、ルール変更が大々的に行なわれ、バンカーからソールして打てるとか、ピンを立てたままパターできるなど、ダイナミックな改革が実践されることになります。

 そんな状況を踏まえて、平成の時代を惜しみつつ、20世紀の終わり頃のゴルフってどうだったのか? 激動の20~30年前のことを呼び起こしてみたいと思います。

 まずドライバーの飛距離についてですが、プロの世界では当時と今では激変しましたね。1990年前後というと、ドライバーのヘッドがパーシモンからメタルに替わった頃ですか。

 1960年代~1980年代にかけて活躍したジャック・ニクラウスの時代は、ドライバーの飛距離は、プロで約260ヤードぐらいでした。そこからヘッド素材の変遷があって、チタンに替わった頃には、およそ280ヤードぐらいまで上昇。以降、低反発係数の縛りもなんのその、ボールやシャフトも進化していくと、飛ばし屋のプロなら、300ヤードを優に超える時代に突入していきます。

 一方、アマチュアの方は当時と今でも、さほど飛距離の違いはありません。確かに技術革新は凄まじいものがありますが、2000年代における高反発クラブの規制によって一旦飛距離が落ちて、そこから回復しない人が多いようです。

 この前、最新式のルール適用クラブを打たせてもらいましたが、物凄く飛んだことにびっくりしました。私の持っている高反発クラブより飛んでいましたから。

 じゃあ、アマチュアもそれで飛ばせばいいじゃんって思うでしょ。

 いやぁ~、アマチュアはドライバーを買い替えるまでのスパンが長いんですよ。よくて5年に一度。ひどいと10年、同じドライバーを使用している人もいます。

 毎年ドライバーを買い替えるような人は、セミプロの方々のみですよ。月に1回ぐらいラウンドする多くのアマチュアは、そうはいきませんから、今なお飛ばないままに至っているのです。

 そもそも、いろいろと試打して買ったけど、ハズレだったという場合が結構あるのです。試打では調子がいいけど、本番に弱いクラブって存在しますしね。厳密に言うと、本番に弱いのはアマチュアゴルファーですが……。

 以前、”練習シングル”というテーマを取り上げましたが、”試打シングル”も存在するのです。ちなみに、私は「試打芸人」と言われ、ゴルフメディアなどで試打によるラウンド撮影が行なわれる日は、必ずいい成績を残すので重宝されています。これ、ほんまですぜ~。

 とにかく、月イチ・ゴルファーがニュークラブを買って失敗することは、ままあります。だったら、飛ばなくても真っ直ぐ飛ぶ「今のクラブのままでいい」と思うのは、頷けます。つまり、浮気の代償は高くつく恐れがある、そういうことですね。

 さて、ラウンドにおいては、当時は乗用カートが出始めの頃。乗用カートを使用すると、別料金を取られる時代でした。だから、歩きでのラウンドがほとんどでしたね。

 しかも、当時のゴルフシューズはスパイクが全盛。スパイクシューズって、底が硬くて、ラウンド後にはよく足に豆ができたものです。『フットジョイ』のスパイクレスシューズが出始めたのもその頃で、それに替えてからは、ようやく歩きやすくなりました。

 あと、当時はコースへの行き帰り、車の運転がしんどかったですね。行きはまだしも、帰りの渋滞が激しくて、ラウンド疲れも重なり、常に睡魔との闘いでした。

 当時の高速道路は、今の半分ぐらいしか開通していません。栃木県や茨城県の奥のほうに行ったら、帰りは夜中でしたよ。

 以前、千葉県の南総カントリークラブ(※最寄りのICは館山自動車道の姉崎袖ヶ浦)のメンバーでしたが、当時はまだ高速道路の館山自動車道が開通しておらず、京葉道路の浜野IC(※蘇我ICを少し過ぎたあたり)までしかありませんでした。インターを降りてからは、国道16号線をずっと下っていきます。

 おかげで、夏場にゴルフ場から帰るときは、海水浴客の帰りとぶつかって、国道16号線から大渋滞。コースから浜野ICに着くまで、2時間ほどかかりました。

 さらに、そんな一般道の渋滞を延々と走り終えて、やっと京葉道路に乗ったと思ったら、今度はそこから錦糸町まで、また渋滞。千葉から世田谷に帰るのに、なんで5時間もかかるんや! そういう散々な日が結構ありました。

 ゴルフブームは、タイガー・ウッズ登場前の1990年あたりがピークでしたか。当時は、需要と供給のバランスがまったく取れていませんでした。

 関東のほとんどのコースでは、予約開始2カ月前の朝8時から電話が鳴りまくり。わずか5~6分で、ラウンド予約が埋まってしまうほど。今では考えられないかもしれませんが、マジでこういう現象が起きていたのです。だから、コネを使いまくって、ラウンド予約を取る人がたくさんいました。

 予約の世界では、ゴルフ場で一番偉いのは、支配人ではなくて、キャディーマスターでした。だって、予約表を作るのは、キャディーマスターですから。それで、キャディーマスターなら、「どこかに1組、無理やり入れてよぉ~」といったリクエストにも応じられたのです。

 その次に偉かったのは、ベテランキャディーさん。キャディーマスターとキャディーは、現場ラインでつながっているわけです。だから当時は、「なかなか予約が取れなくて……」と言えば、「直接、私に電話をくれない。そうしたら、なんとかするから」といった按配で、客とキャディーとの間で予約を取る”裏技”が横行していました。



バブル前後のゴルフ人気は凄まじいものがあったようですね...

 これだけ飢餓状態になると、マジで「ゴルフ会員権でも買わないと、プレーできないんじゃないか」――そういう心理が働いて、会員権相場はうなぎのぼりとなりました。

 新規オープンのコースも、特別縁故会員が1000万円と言っている間に、開業して相場が上がると、なんと3倍の3000万円に値上がり。「これは、今のうちに(会員権)買っておかないといけない」と誰もが焦って、多くの人がとんでもない高値で会員権を”ジャンピングキャッチ”したものです。

 ちなみに、私は南総CCを当時1400万円で買ったのですが、それでも「ピークの半分」と思っていたのですから、笑えますよね。

 会員権の購入資金は、1200万円をノンバンクから借りて、年利9.5%の20年払いでローンを組みました。当時はこんなものかと思っていましたが、9.5%で20年払うと、約倍の2400万円ぐらい支払うことになるのですから、今では信じられません。

 そうこうしているうちに、南総CCは親会社の建設会社が経営難に陥ったという噂が流れて、せっかく購入した会員権は泣く泣く売るハメに。ただラッキーなことに、南総CCは当時、会員権の証書の額面1000万円を戻してくれたのです。損したのは、400万円で済みました。

 でも、ゴルフ会員権はもうこりごりですよ。タダでもらっても、最近は年会費が高騰しており、週末に年10回は行かないと、元は取れないシステムになっています。

 今はメンバーでなくても、ネットで2サムから予約できます。少子化やゴルフ人口の減少と言われており、ゴルフ業界としては受難の日々です。

 けど反対に、アマチュアゴルファーとしては、こんだけ安く、気軽にラウンドできる時代が来るなんて、夢のようです。

 ゴルフは、最後までやり切った人間が得をするスポーツです。悔いのないゴルフ人生を歩みましょう。