元マリナーズ監督のルー・ピネラ氏が5日、電話会見を行い、メジャー通算3000安打に残り10本と迫っているマーリンズのイチロー外野手について語った。■メジャー1年目の指揮官ピネラ氏、3000安打到達は「当時はあり得ないと思っていた」 元マリナ…

元マリナーズ監督のルー・ピネラ氏が5日、電話会見を行い、メジャー通算3000安打に残り10本と迫っているマーリンズのイチロー外野手について語った。

■メジャー1年目の指揮官ピネラ氏、3000安打到達は「当時はあり得ないと思っていた」

 元マリナーズ監督のルー・ピネラ氏が5日、電話会見を行い、メジャー通算3000安打に残り10本と迫っているマーリンズのイチロー外野手について語った。

 現役時代にヤンキースなどでプレーしたピネラ氏は、ヤンキース、レッズの監督を経て、1993~02年にマリナーズを指揮。イチローがルーキーだった01年には、メジャー最多タイ記録のシーズン116勝を達成した。

 ピネラ氏がリードオフマンに据えたイチローは、リーグトップの打率.350、242安打、56盗塁をマーク。メジャー史上2人目となるリーグMVP&新人王のダブル受賞を果たした。そのプレースタイルについて、ピネラ氏は「彼のやり方は教えることはできない」と振り返る。

「一塁への走り方、ボールの打ち方、彼は上半身をホームプレートの上に残したまま打つことが出来るから、ボールを非常にうまくコンタクトすることができる。もちろん、今は衰えも見えてきたが、それでも経験があるし、そのやり方を知っている」

 恩師はこのように話した上で、「1つ言えるのは、彼が初めてやってきた年(2001年)、42歳という年齢までプレーして、3000安打を目指すことになるとは、当時は私はあり得ないと思っていた。2000本安打に達するだけでも、非常に素晴らしい功績だったと思う。(彼が3000安打に達することを)自分のことのようにうれしく思う。本当にそう思うよ。彼は非常に素晴らしい若者だ。野球というスポーツを代表する素晴らしいアンバサダーだ。私はうれしいよ」と、偉業達成を心待ちにしていることを明かした。

 さらに、イチローのメジャーでの功績や選手としての能力、スビードを活かすスタイルを貫いた理由などについて話した上で、当時の逸話も披露。ここまでのキャリアを「奇跡のように素晴らしい」と絶賛している。恩師が語ったイチローの1年目と今とは…。

――イチローの活躍は日本の野手の評価を変えたか?

「いい質問だ。答えはイエス。日本の選手は非常によく基礎がたたき込まれている。コーチたちが素晴らしい仕事をしている。基本的なプレーだったり、メカニックス(技術)だったり。イチローはその最好例だ。彼はどうやって試合を戦うべきか知っているし、素晴らしいプレーをする。そのおかげで、日本の野球は非常にレベルが高いことを強く印象づけた。

 驚くべきは、イチローはスラップヒッターだとか何だとか言われるが、打撃練習を見れば、彼は客席まで打球を飛ばすことができるのがわかる。彼が内野の左方向にボールを打つと、内野手はそちらへ2、3歩動かなければならず、一塁への送球が間に合わなくなる。バントでの打球の転がし方、必要とあらば守備の間隙をついた打球を飛ばせる能力、彼は渡米した時、すでにメジャーの宝になるものとしてやってきたが、彼がどれだけ早くメジャーで自分の立場を確立したかには、少し驚かされた。何はともあれ、彼が築き上げたキャリアは奇跡のように素晴らしい」

■「彼は得点のチャンスを作る打者だった。私たちは望み通りのものを手に入れた」

――イチローのように27、28歳で渡米して、日本よりも7、8マイル(約11~13キロ)速い速球に対応することは、イチローですら大変なことだったと思うが?

「順応することはタフだ。それは間違いない。メジャーの投手が(日本より)速い球を投げることは間違いない。それだけが唯一の心配だった。彼がメジャー入りする前の年に、練習生としてキャンプに参加した時、彼を試合に出すことはできなかった。でも、打撃練習を一緒にしたり、外野を守ったり、その他の練習を一緒にした。だから、彼に真の実力が備わっていることは分かっていた。唯一の疑問が、彼がメジャーリーグレベルの速球に対応できるかだった。

 前にも言ったことがあるが、私はその年の春、彼がボールにしっかり対応できるか、バットスピードに問題ないか、聞いたことがある。でも、大丈夫だった。決して簡単なことではない。(野球だけでなく)文化や社会的な面においても慣れることは簡単じゃなかっただろう。通訳がいたことは大きな助けになっただろうが。

 そうそう、彼はスペイン語も喋るんだ。ドミニカの選手とかスペイン語を話す選手もいたし、自分も問題なくスペイン語が話せる。だから、彼が来て間もない頃、私と彼はスペイン語でコミュニケーションを取ることができた(笑)。英語や日本語ではなくてスペイン語。それについて笑ったこともある」

――イチローが日本にいる時は20本塁打(95年に25本塁打、99年に21本塁打)や100打点(97年に91打点)を記録した時もあるが、彼がパワーを使わずに、安打を生むことに徹したことに対してフラストレーションはなかったか?

「いや、そんなことは決してない。何よりもセーフコ・フィールドは今でもホームランを打つには難しい屈指の場所だ。彼が初めて来た時は、かなり広かった。しかも、シアトルは夏になると湿気も出て、ボールが遠くへ飛ばなくなる。だから、私たちは(彼がパワーを使うことを)期待はしていなかった。我々が期待していたのは、リードオフを打って、出塁率が非常に高く、盗塁ができて、得点できる選手だ。彼は得点のチャンスを作る打者だった。私たちが契約した時に望んでいたことはそれで、望み通りのものを手に入れた。

 彼の四球数が少ないのは、ボールへのコンタクトが非常に上手いからだ。コンタクトヒッターで、空振りをしなければ、四球を稼ぐのは難しい。日本では28本も本塁打を打っていたんだから、投手は勝負しなくなる。でも、メジャーでは勝負せざるを得ない。彼は出塁したら二盗したり三盗する可能性もある。だから勝負せざるを得ないんだ。また彼の後ろにいい打者がそろっていれば、ストライクも増えて打ちやすくなる。でも、彼に20本塁打は期待していなかった。我々は、素晴らしい外野守備をして、盗塁もでき、そして素晴らしいメジャーリーグ打者になる選手を獲得したんだ。そしていいメジャーリーグ打者になった」

■「彼のストレッチはまったく別の次元にある。彼が長くプレーしている要因の一つだろう」

――でも、走者が得点圏にいるときは敬遠されることもあるのでは?

「特に、得点圏に走者がいる時は、みんな分かっている。えっと、あの年は何本ヒットを打ったんだ?230?240?とにかく200何本かだな(笑)。だったら、彼を敬遠する気持ちも分かる。彼は安打製造機だった」

――彼は足を木の棒でマッサージしたり、打席に入る前にストレッチするが、最初にルーティンを見た時どう思ったか?

「それまで見たことがなかった。正直なところ。彼がすることには、かなり驚かされた。特にストレッチに関しては。アメリカでは、スプリングトレーニングでは長い時間をかけてストレッチすることがあるが、シーズンが始まればみんなでストレッチの時間が少しあるだけ。彼のストレッチはまったく別の次元にある。彼はそれに対して異常なまでに熱心だった。おそらく彼が42歳までプレーできている理由の1つだろう。もちろん、彼は余分なものがついていないアスリート体型をしているが、心身の面から見ても、(ストレッチは)彼が長くプレーしている要因の一つだろう」

――マーリンズの1年目やヤンキースでは衰えも見えたが、どう見ていたか?

「言わせてもらえば、35歳を超えてプレーし続ける選手は非常に稀。そこ(35歳)が分かれるライン。年を重ねて(年寄りで)プレーすることは、非常に難しいこと。私も41歳までプレーしたが、36歳とか37歳になった頃には、私はもうレギュラーじゃなかった。とても難しいこと。ピッチャーたちは若く、より速い球を投げるようになるし、自分の身体は年を取る。だから、(イチローの今季活躍について)非常に驚いている。

 彼はペースについていくことができている。生産性ということに関しては、彼は(その技術を)日本から持ってきた。どんな偉大なる選手でも衰えは出てくる。バットスピードが落ちる。気持ちは以前よりも若いつもりでも、身体が同じように反応しない。だから、驚くべきこと。彼はまだ頑張っている。素晴らしいキャリアを送っている。野球にとって素晴らしいアンバサダー。これは本当に、本当にいいストーリー」

 イチローが鮮烈なデビューを飾ってから、今年で16年目。当時と変わらない輝きを放つ背番号51の姿を見て、ピネラ氏も心を踊らせているようだ。