【短期連載】鈴鹿F1日本グランプリ30回記念企画 これまで数々の名シーンが生まれ、日本のみならず世界中のファンから愛されている「鈴鹿」。どのドライバーに話を聞いても、彼らから発せされる言葉は鈴鹿を絶賛するものばかりだ。世界の頂点に立つF…

【短期連載】鈴鹿F1日本グランプリ30回記念企画

 これまで数々の名シーンが生まれ、日本のみならず世界中のファンから愛されている「鈴鹿」。どのドライバーに話を聞いても、彼らから発せされる言葉は鈴鹿を絶賛するものばかりだ。世界の頂点に立つF1ドライバーたちが語った、鈴鹿に関する名言をまとめてみた。

F1日本GP「伝説の瞬間」(1)から読む>>>



初のワールドチャンピオンに輝いて目を潤ませるアイルトン・セナ

F1日本GP「伝説の瞬間」(8)@ドライバーコメント編

『鈴鹿サーキットは、神の手で作られたコース』
(セバスチャン・ベッテル)

 2009年に初めて鈴鹿を制覇したとき、当時レッドブルのセバスチャン・ベッテルが語ったひと言だ。ベッテルは日本GPを走った過去9回のうち4勝を挙げており、表彰台にも計7度も上がるなど、鈴鹿との相性は非常にいい。鈴鹿への想いは人一倍強く、レッドブルに在籍していたときは日の丸カラーの日本GP専用ヘルメットを用意していたほどだ。

『鈴鹿のコースは夢のようだ。とくに最初のセクターがすばらしい。ここをドライブするのは、すごくワクワクする』
(ミハエル・シューマッハ)

 F1ワールドチャンピオンに史上最多の7度も輝いたミハエル・シューマッハも、鈴鹿サーキットでのレースを毎回楽しみにしていたドライバーのひとりだ。1998年から2000年にかけてミカ・ハッキネンと繰り広げたトップ争いは、今でも多くのファンに語り継がれている。

 とくに白熱した2000年は、ハッキネンが「僕は逆転チャンピオンのために、全力を尽くして鈴鹿で勝つつもりだ。シューマッハのブレーキポイントより、僕は3メートル奥まで我慢する」と語ると、負けじとシューマッハも「じゃあ、ハッキネンがブレーキを3メートル奥まで我慢するなら、僕は5メートル我慢する(シューマッハ)」と張り合ったというエピソードもある。

『ずっと幼いころから、ここで走ることを夢見てきた』
(ルイス・ハミルトン)

 ここ数年、圧倒的な強さを誇っているルイス・ハミルトン。彼は「セナ・プロ対決」のころのF1を観て育ってきた世代ということもあり、数々の名勝負が生まれた鈴鹿サーキットを走るのが楽しみで仕方なかったという。初めて訪れた2009年には、コースの下見のときにハイテンションで各コーナーを回っていたというのは有名な話だ。

『日本のファンは本当に熱狂的で、他の国と比べても気合いの入れ方が違う。クレイジーという人もいるけど、僕は情熱的ですばらしいと思う』
(マックス・フェルスタッペン)

『日本のファンは、すごく誠実。自分たちで(お気に入りのドライバーの)スーツやヘルメットを自作したり、いろんな衣装で登場してくれる。僕はそんな日本のファンが好きだよ』
(ダニエル・リカルド)

 鈴鹿が多くのドライバーから愛されている理由のひとつは、「熱狂的な日本のF1ファン」の存在だろう。昨年、ダニエル・リカルドとマックス・フェルスタッペンが来日したとき、鈴鹿サーキットで盛り上がるファンの熱狂ぶりを見て上記のように驚いていた。

『スプーンカーブを走っているとき、神を見た』
(アイルトン・セナ)

 アイルトン・セナが自身初となるワールドチャンピオンに王手をかけた1988年。セナはポールポジションを獲得したものの、スタート時にエンジンストールを起こして大きく後退してしまう。その時点でセナの優勝は潰(つい)えたかに思われたが、そこから鬼神のような走りで順位を取り戻し、27周目にはアラン・プロストをオーバーテイク。大逆転で優勝を飾り、初のワールドチャンピオンに輝いた。その際にセナが語ったのが、この言葉。今でも多くのファンに語り継がれている名言だ。

『GP2エンジン?』
(フェルナンド・アロンソ)

 2015年、ホンダは第4期のF1活動を開始したが、これまでとまったく異なるハイブリッドシステムを搭載したパワーユニットの開発に苦戦した。鈴鹿でもパワー不足に悩まされ、ホンダのお膝元のサーキットで次々とライバルのマシンに追い抜かれるシーンがテレビ映像に映し出された。

 そして、レース途中にしびれを切らしたアロンソが無線で発したのが、「(僕のエンジンは)GP2エンジン?」。GP2(現FIA F2)とは、ヨーロッパを中心に開催されているF1直下のカテゴリーレース。つまり、ホンダエンジンだけGP2のようにレベルの低いエンジンなのでは……と皮肉る発言だった。

【番外編】

ドライバーが発した「名言」ではないが、過去29回にわたって開催されてきた鈴鹿でのF1日本GPで、会場内で生まれた「合言葉」もご紹介したい。

『ありがとう中嶋』

 1987年、日本人初のフル参戦ドライバーとしてF1デビューを果たした中嶋悟。それと同時に開催が始まった鈴鹿サーキットでのF1日本GPは、彼の勇姿を見るべく毎年多くのファンが集まった。

 その期待に応えるように、中嶋は1987年と1990年には6位入賞を飾っている。しかし1991年、そのシーズン限りでの現役引退を発表。彼にとって「鈴鹿ラストラン」となる同年の日本GPは、例年以上に中嶋を応援するフラッグや声援がサーキットを埋め尽くした。そこでの合言葉が、『ありがとう中嶋』だ。

 結果はレース後半、マシントラブルが原因でコースオフを喫し、最後の鈴鹿で完走することはできなかった。それでも、応援してくれたファンに手を振ってピットへ戻っていった中嶋には、満員のスタンドからは惜しみない拍手が贈られた。

『See You Again』

 1987年から始まった鈴鹿サーキットでのF1日本GPだが、ちょうど開催20回目を迎えた2006年にひと区切りを迎えることになった。2007年と2008年は富士スピードウェイ(静岡県)での開催が決定したからだ。今後の状況によっては、鈴鹿でのF1開催が最後になるかもしれない……。そんな雰囲気に包まれた1戦だった。

 この年の鈴鹿は過去最高の盛り上がりを見せ、決勝日の来場者数は過去最多となる16万1000人を記録。3日間合計で36万人を超えるファンが集まった。そしてレース後も、慣れ親しんだ「鈴鹿F1」の雰囲気を名残惜しむファンがグランドスタンドに集結。すると、大型ビジョンには過去20回の鈴鹿での勝者が順々に映し出された。そして、最後に刻まれたのが、『See You again』の文字だった。

 この約束を果たすかのように、鈴鹿サーキットは2009年からF1日本GPの開催を再開。そして今年、記念すべき30回目を迎える。

 これまで数々の名言が生まれた鈴鹿F1日本GP――。2018年はどんなドラマが待っているのか、ぜひとも現地で感動と興奮の瞬間を味わってほしい。

(つづく)