「今日の私は、いっぱいいっぱいになってしまって……」 いくぶん潤んだ瞳を伏せ、疲労と困惑の色を浮かべた表情で絞り出したこの言葉が、この日の彼女の状況を何より端的に物語っていた。ミスが重なり落胆した表情を浮かべる大坂なおみ 全米オープン優勝の…

「今日の私は、いっぱいいっぱいになってしまって……」

 いくぶん潤んだ瞳を伏せ、疲労と困惑の色を浮かべた表情で絞り出したこの言葉が、この日の彼女の状況を何より端的に物語っていた。



ミスが重なり落胆した表情を浮かべる大坂なおみ

 全米オープン優勝の直後から、アメリカでテレビ出演などをこなし、来日してからは連日カメラに追われ、かつてない喧騒と注視にさらされたまま、東レパンパシフィックオープン(PPO)の戦いに身を投じた。

 過度なプレッシャーや調整不足が危惧され、「コンディションがよくないらしい」という情報も流れるなかで迎えた初戦(1回戦はシード免除の2回戦)。ところが、いざフタを開けてみると、大坂なおみはサーブもストロークも盤石で、実力者のドミニカ・チブルコワ(スロバキア)を6−2、6−1のスコアで圧倒する。

 後に本人も「こんなに冷静に大会に入ってこられたことに、自分でも驚いている」と打ち明けたが、グランドスラム直後、しかも母国での試合という状況を考えたとき、確かに彼女の落ち着きは驚嘆に値するものだといえた。事実、今季の大坂以外の四大大会優勝者は、その直後の大会でいずれも3回戦以上に勝ち進めていないのだから……。

 ただ、このあまりの強さが、そして決勝までひとつのセットも落とさぬ圧巻の勝ち上がりが、まだ面差しに少女のあどけなさを残す20歳が背負う重みを見えにくくしただろう。とくに、完璧主義者の彼女が「悪いところが見当たらなかった」と振り返る準決勝後の記者会見では、もはや彼女の優勝が規制路線であるかのような、やや勇み足の祝福ムードすら漂っていた。

 対して、全試合フルセットの苦しい勝ち上がりのカロリナ・プリスコバ(チェコ)は、周囲が自分の勝機は薄いと見ていること、そしてその状況が大坂には重圧になることも考慮し、決勝のコートに向かったはずだ。

 まだグランドスラムのタイトルこそないものの、決勝の舞台や世界1位をかけた試合の場数も踏んできた彼女には、大坂の心境を察するに十分な経験があった。また、半年前の大坂との対戦で、ミスを重ねて敗れた悔いも当然あっただろう。

「彼女をパワーで打ち負かそうとは考えないようにした。相手は、私よりもパワーがある。だから、私は我慢強く戦い、チャンスをじっくりと作り、攻めるべき場面を待つよう心がけた」

 186cmのアタッカーは、年少の全米女王に最大の敬意を払ったうえで、勝負に徹した策を思い描いていた。

 そのようなプリスコバの戦い方に、大坂は「とくに驚きはなかった」という。だが、はやる気持ちのためか、あるいは未体験ゾーンを駆け抜けたこの1ヵ月の疲労の蓄積のせいか、これまでは決まっていたフォアの強打が、あるいは安定のバックが、この日はことごとくラインを割り、ネットを叩いた。

 自分のミスに声を上げ、天井を見上げラケットを取り落とす姿が、過去の試合にはない苛立ちや落胆の感情を浮き彫りにする。第1セットは第5ゲームで、第2セットでは第9ゲームでダブルフォルトした大坂は、これらのサービスゲームをいずれも落とした。

 一方のプリスコバは、スピードはいくぶん抑えながらも、コーナーを丁寧につくサーブでゲームキープし、崩れる気配がまるでない。サーブを武器とする両選手の対決では、このわずかなミスによるふたつのブレークが、最終的に試合の命運を決した。ちなみに、大坂が今大会の4試合を通じてダブルフォルトを犯したのは、この試合のわずか2本のみである。

 会見室で、多くの記者の視線やテレビカメラが向けられるなか、敗戦を振り返る彼女は「まだ、何がおきたのか考えられていない」と、ポツリポツリと想いをこぼした。

「まだこのような状況には慣れていないし、今日も多くの方がいるなと感じる。この1ヵ月間、あまりにすべてが速く過ぎて、何が起きているかを落ち着いて見つめる時間がなかった」

 さらに彼女は、苦味と多少の安堵も交じる笑みを浮かべて、こうも言った。

「人生で、こんなに疲れたと感じたことはなかった」……と。

 脇目を振ることを恐れるかのようにこの1ヵ月を全力で駆け抜けた大坂は、東レPPOの翌週に出場予定だった中国・武漢の大会を、ウイルス性疾患のために欠場することを発表した。

 まずは何より欲した休息をとり、心と身体に刻まれた種々の記憶を統合し、それらを経験へと昇華した後に、彼女は次なるスタートラインに立つのだろう。

 今の彼女が「今季の最大の目標」として見定めるのは、年間レース上位8名が集う、シンガポール開催のWTAツアー最終戦だ。そこは、3年前に「ライジングスター」として招待されたエキシビション大会で、頂点に立った思い出の地。

 そして、本戦の華やかなステージに目を奪われながら、「いつか私も、このような舞台に立ちたい」と未来の自分の姿を映した、今に連なるひとつのスタート地点である。