「僕と塁が入って負けは許されない」(渡邊)「僕たちがリーダーシップを発揮していきたい」(八村) 渡邊雄太23歳、八村塁20歳――。アメリカで活動する2人の若者は、ワールドカップ2次予選Window4に参戦する抱負を聞かれると、決まってこ…

「僕と塁が入って負けは許されない」(渡邊)

「僕たちがリーダーシップを発揮していきたい」(八村)

 渡邊雄太23歳、八村塁20歳――。アメリカで活動する2人の若者は、ワールドカップ2次予選Window4に参戦する抱負を聞かれると、決まってこう答えていた。



日本代表で活躍する渡邊雄太と八村塁。アメリカでの活躍にも期待がかかる

 渡邊はこの夏にNBAのメンフィス・グリズリーズとの2ウェイ契約(※)を結び、八村は強豪ゴンザガ大で主力を務め、NBAドラフト候補とされる選手である。そんな日本を背負って立つ2人の初共演となった負けられない戦いは、9月13日にアウェーでカザフスタンを85-70、17日にホームの東京にて、イランを70-56で下して勝利。どん底だった4連敗からの4連勝を飾り、順位をグループ5位から4位に引き上げた。アジアに7枠ある出場権獲得に向けて『崖っぷち』であることに変わりはないが、一歩前進して希望をつないでいる状況である。

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 この夏、2人は約束を交わしていた。

「7月のWindow3が終わってすぐに塁と連絡を取り、『一緒にWindow4に出よう』と約束しました。塁は試合に出るために学業を疎かにできないし、僕はグリズリーズのルーキーなので後れは取れない状況だったのですが、今まで日本代表に参加できなかったので、参加できるときは日本のためにプレーしたいという思いがありました。塁とはじめてプレーをして、それはもう、めっちゃ楽しかったです」(渡邊)

「雄太さんとは夏の間に連絡を取り合って『日本代表で一緒にプレーしよう』と言い合っていました。次の予選はお互いにシーズンが始まってしまうから、ここしかチャンスがなかった。実現できてうれしいし、本当に楽しかったです」(八村)

 6月末から7月にかけて行なわれた1次予選のWindow3では、八村と帰化選手のニック・ファジーカスの加入でインサイドが強化され、FIBA(国際バスケットボール連盟)ランキング10位のオーストラリアを撃破する原動力となった。今回、渡邊と八村の融合は、ファジーカスの合流とはまた違った魅力を表現していた。2人の加入は日本にどんな化学変化を与えたのだろうか。

 一番の変化はオフェンスのテンポが速くなったことだ。206cmの渡邊と203cmの八村はサイズがありながらも、リバウンドを取ってみずからボールプッシュをして走れる選手。2人のゴールアタックの応酬には「自分が打開してやる」という強い意志と積極性が見えた。2人のドリブルプッシュを起点にして状況を打破できるようになったことは、今までパスを回してばかりでフィニッシュの形を戸惑っていた日本のバスケと比べると大きく異なる。

 2013年と2016年に代表参戦歴のある渡邊は、過去の日本代表と比べ「日本は強くなっている」と発言したが、その理由を「速攻が多くなった」と語る。それは数字にも現れており、八村加入前の4試合は速攻による得点は平均10.5点。八村とファジーカスが加入した2試合は16.5点。渡邊と八村が参戦した2試合は18点と上昇。速攻からの豪快なダンクが何度も飛び出していた。

 また、光っていたのが2人の対応力から導かれるチーム全体の底上げだ。初戦のカザフスタン戦では渡邊と八村の打開力に頼ってしまい、オフェンスが停滞した時間帯があったが、イラン戦では時間の経過とともに、竹内譲次のリバウンドや田中大貴のカバーリングディフェンスをはじめ、個々の役割の明確化が進んでいた。

 Window4のヤマ場は何と言っても、アジア2位の実力を誇る強豪イラン戦。FIBA公式戦で13年も勝てていなかったイランを撃破できたのは、相手が核となるベテラン選手2名を欠いていたことも一因にはあるが、日本もまた、渡邊と八村が合流したばかりの即席チームである。それでも2人が力を発揮できたことに、彼らが置かれている環境の厳しさやレベルの高さ、成長の早さを日本中のファンが知ることになった。

 今回、渡邊と八村の合流はたったの11日間だった。11日といっても移動と試合が含まれるため、チーム練習をしたのはそれよりも少ない。渡邊は夏の帰国の際に日本代表に一時合流していたが、チーム練習を行ったのは3日のみ。その後アメリカに渡り、9月9日の深夜にメンフィスから3回も飛行機を乗り継いでカザフスタンへと到着、時差がある中で活動を開始した。

 八村は9月上旬まで大学に通い、6日にカザフスタンに入る前の遠征先の韓国で合流、翌7日からチーム練習を開始している。そんな短期間で戦術を理解するために、彼らは準備を怠らなかった。

 渡邊はNBAとFIBAの公式球が違うことから、一刻も早くにボールに慣れるために、練習以外でも常にボールを手にしていた。起きてから寝るまでボールを触りながら過ごし、移動するバスの中ではボールを抱え、ハーフタイムにはドリブルをしながら控室に戻り、カザフスタンではボールを手にしてインタビューの場に現れた。「できる限りのことは全部やって臨みたい」という一心から取った行動だった。

 また、代表における自分の役割をいち早く理解したことも大きな要因である。「大学時代から相手のエースを抑えてきた」というプライドを持つディフェンスは、後半にイランの得点源であるベフナム・ヤクチャリを封じる重責を果たした。このヤクチャリを含むイランの主力3選手は、渡邊が高3のときU18アジア選手権の3位決定戦で対戦した相手だ。

 そのとき日本は惜しくも4点差で敗れてワールドカップの権利を得ることができなかった。試合後に渡邊は「絶対に日本代表で通用する選手になります」と号泣しながら誓い、高校卒業後に渡米する決意にもつながっている。その涙から6年の月日が流れ、代表選手としての初対決でヤクチャリを抑えたことは、渡邊にとってはリベンジを果たしたことにもなる。

 八村はWindow4ではジャンプシュートを的確に決め、2試合ともに得点リーダーとなった。とくにターンアラウンドからのフェイダウェイシュートは落とす気がしないほど確率が高くなっており、「夏の間、相当打ち込みをしてきました」と自信を持つシュートになった。

 また、日本代表はキャプテン2人体制を取っているが、Window4では篠山竜青とともに最年少の八村がキャプテンに指名されている。そのことについて本人は「キャプテンといっても、僕がすることは、スタメンとして試合に出るのでゲームキャプテンとして審判に挨拶をするくらい。先輩たちがいい人たちばかりなので、コミュニケーションを取りやすい環境を作ってくれました」と答えるが、コートに入れば、誰よりも積極性を出してリーダーになる役割を果たした。

 冒頭の言葉は、ただの意気込みだけではない。「アメリカという高いレベルでやっている選手たちが引っ張っていくことで日本はもっと成長するし、僕らも成長できる」(渡邊)という覚悟の現れだった。最後に2人はこのようなメッセージを残して激闘の翌日、再びアメリカへと旅立っていった。

「僕自身、この2試合で日本代表の役割を果たしたという点ではすごく成長できたと思う。グリズリーズでもこうした努力を毎日続けていき、自分がNBAでもやれることをアピールする年にします」(渡邊)

「ゴンザガのコーチたちもワールドカップ予選のような大きな大会を経験することが、僕の成長につながると言って送り出してくれました。今回、日本代表のリーダーになろうとやったことで、3年生となるゴンザガでも中心選手として戦える自信になりました」(八村)

 次なる予選は、ホーム連戦で迎える11月下旬のWindow5のカタールとカザフスタン戦。シーズン中であるために2人のエースは参戦できない可能性が高いが、今度はアメリカ組がもたらした積極性を国内組の選手たちが発揮する番だ。