「I am sorry」 20歳の大坂なおみが、セリーナ・ウィリアムズ(アメリカ)を破って全米オープンを制した時、もっとも注目を集めたのは、優勝セレモニーで言ったこの言葉だった。帰国後の記者会見でも独特のトークで盛り上げた大坂なおみ な…

「I am sorry」

 20歳の大坂なおみが、セリーナ・ウィリアムズ(アメリカ)を破って全米オープンを制した時、もっとも注目を集めたのは、優勝セレモニーで言ったこの言葉だった。



帰国後の記者会見でも独特のトークで盛り上げた大坂なおみ

 なぜ、そう言ったのか――。会見で問われた時も、彼女は「それを聞かれると、感傷的になってしまう……」と言葉をつまらせ、手の甲で目もとを拭う。

「OK」と気持ちを切り替えるべく自分に言い聞かせ、なんとか「セリーナがどんなに優勝したがっていたか、ファンがいかにそれを望んでいたかを知っていたから……」と言葉を絞り出す姿は、会見室を埋め尽くした世界中の記者たちの胸をもつまらせた。

 コーチ曰く「少女のように無垢」でありながら、無類の「勝負師」で「完璧主義者」でもある彼女の言葉は、ときにまっすぐに人々の心を打ち、ときに豪胆に響き、ときに哲学的な示唆に富む。

 これまでに彼女が残してきた言葉の数々を、全米優勝に至った成長の足跡に沿いながら振り返る。

「ファンの気持ちを掴むためにも、”特別な何か”をしなくてはと思っていた」

 これは2014年7月、世界19位のサマンサ・ストーサー(オーストラリア)を大接戦の末に破った当時16歳の大坂が、コートに向かうときに考えていたことだった。

 大坂にとっては、これがWTAツアーデビュー戦。相手は3年前の全米オープン優勝者。用意された舞台は当然、センターコート。

 多くのファンが人気選手を応援することを知る大坂は、その観客たちの度肝を抜き、自分の味方につけるためにも、「ファンが私を応援したくなる、何かをしなくては」と思ったという。

 その結果、彼女がやったことは「とにかく速いサーブを打つこと」。当時16歳の完全なる新参者が、観客の反応も含めて起こりうる状況を予測し、それを覆(くつが)すための大胆な策と、唯一無二の武器を携(たずさ)えてコートに立っていた。世界のテニスシーンに鮮烈なデビューを果たしたその瞬間から、彼女は無類の勝負師だった。

「興奮しすぎてはいけないと思った。これが自分のベストプレーだと思いたくなかったし、観ている人にも、そう思われたくなかった。私のベストは、もっと先にあると感じたかったの」

 これも前述の一戦で、ストーサーに勝ったときの心境を振り返った言葉。勝利時に派手に喜びを表出しないのは、今も16歳の時も同じ。ただ、その理由はその時々で異なったり、彼女の立場の変遷に伴い、変移してもいるだろう。

「大阪で生まれた人は全員、オオサカさんになるのよ」

 ストーサー戦後の会見で、「苗字と出身地が同じなのは偶然か?」と聞かれたときの返答。今回の全米オープン優勝時にも同じ質問をされたとき、「2014年のジョークのリサイクルをするわよ」と前置きして同じ返答をしたが、その元ネタがこのときだった。

 人生最大の記者会見で、小さな声で質問に答えるシャイな少女が、このひと言で居合わせた関係者たちの心を掴んだのは言うまでもない。

「無茶をしない。我慢をする」

 2015年4月に、岐阜で開催されるツアー下部大会のカンガルーカップ国際女子テニスに出場した大坂。決勝まで勝ち上がった彼女が当時コーチから繰り返し言われたのが、「攻めるときと、耐えるべきときを見極めること」だったという。

 これはその後もしばらく、コーチが変わっても引き続き指摘され続けてきた課題だ。今季からコーチに就任したサーシャ・バジンも同じ点を指摘しつつ、「こればかりは、選手が自分で経験のなかから学ぶしかない。『時速70マイル以上のボールが来たら守り、それより遅ければ攻めろ』というような教え方ができるものではない」とも言っていた。

 そして今年の全米オープン――。4回戦の対アリナ・サバレンカ(ベラルーシ)戦で最終セット終盤の行き詰まる攻防を制した大坂の姿に、バジンは「自分で我慢するとき、そして攻撃の引き金を引くときを見極められるようになっていた。試合のなかでも彼女はそのことを学び、適応していた」と喜んだ。

「セリーナが、ドローの同じ山にいないー!」

 2016年全豪オープンで予選を突破し、グランドスラム本戦初出場を果たした大坂。そんな彼女が本戦のトーナメントドローを見たとき、真っ先にチェックしたのが憧れのセリーナ・ウィリアムズの名。そして、セリーナとドローの同じ山には予選突破者が入らないことを知り、悲しみの声を上げた。
 
「細かいことを聞くのね? 私にとっては、ハードコートはハードコートよ。何も文句はないわ」

 2016年のマイアミ・オープン2回戦では、大会第14シードのサラ・エラーニ(イタリア)を圧倒。その試合後、「このコートは他のハードコートに比べて高く弾むのか?」「自分のプレースタイルに合っていると思うか?」と聞かれた大坂は、それら細かいことを気にする記者たちを、小首をかしげ不思議そうに見つめていた。

「経験は大切だけれど、経験が勝敗を分けるわけではない」

 2016年の全米オープン3回戦で最終セット1−5とリードしながら、追い上げられて「パニック」になり、敗れた大坂。試合後、まだ涙の痕(あと)を残す彼女は、「勝者と敗者を分けたものは経験か?」と問われると、「本当に優れた選手は、経験がなくても勝てる」と答える。その2年後……グランドスラムで自身初のベスト8に進出した彼女は、そこから先の未体験ゾーンを一気に駆け抜け、自らの言葉を実践してみせた。

「だって『2年後』とか言ったら、まるで、今すぐにでも勝つ力はあるのに、来年にはまだ優勝したくないと思っているようじゃない? 私は、そうではない。可能なかぎり、早く優勝したいと思っているんだもの」

 2年前のこの時期のインタビューで、「いつグランドスラムで優勝したい?」と尋ねたら、「来年!」と即答。その結果として、実際には2年後に優勝したのは、どこか予言めいてもいる。

「試合が終わったときに、セリーナに私が何者だか知っていてほしかった」

 今年3月末、マイアミ・オープンで初めてセリーナ・ウィリアムズと対戦して勝利した後。彼女が試合中に考えていたことは、憧れの人に自らの存在を知ってもらうことだった。

 それから約5ヵ月後――。大坂なおみの存在は一層強い衝撃とともに、セリーナの胸に刻まれた。