1年前のこの時期――。西岡良仁は、ひとり「悲しい」想いを抱えていた。 昨年3月のインディアンウェルズ・マスターズで、当時世界14位のトマーシュ・ベルディヒ(チェコ)を破ってベスト16に勝ち上がるなど、キャリア最高の時を迎えていた。だが…

 1年前のこの時期――。西岡良仁は、ひとり「悲しい」想いを抱えていた。

 昨年3月のインディアンウェルズ・マスターズで、当時世界14位のトマーシュ・ベルディヒ(チェコ)を破ってベスト16に勝ち上がるなど、キャリア最高の時を迎えていた。だが皮肉にも、あまりにいいテニスの調子は、肉体の限界を越えた試合数を彼に強いていた。インディアンウェルズの翌週のマイアミ・マスターズ2回戦で、ボールを拾うべく左足を大きく踏み出したとき、シューズの裏がコートに引っかかる不快な身体への刺激と同時に、ひざが「抜ける」感覚に襲われる。



全米オープンではフェデラーとセンターコートで戦った西岡良仁

 前十字じん帯、部分断裂。

 かつてない疾走は文字どおり断ち切られ、約9ヵ月に及ぶ復帰への長い道を歩むことを強いられた。

 ランキングは自己最高の58位に達し、今後は一層上のステージで、さらなる高揚感を得られる戦場に身を置くはずだった矢先のケガ。そのときの彼が覚えただろう喪失感を想像すると、胸に鈍い痛みが走る。

 だが、当の西岡は、この期間を「視野を広げる好機」とすべく、栄養学や料理を学び、トレーニングに打ち込み、クリニックを主催するなどテニスの普及活動も積極的に行なった。

「テニスから離れたら、普段の生活でもイライラすることは、むしろなくなった。ずっといきたかった乃木坂(46)のライブにもいけたし……」

 ケガしたのは悔しいが、それは誰にでも起こりうる「事故」。

 そう割り切り、21歳の若者らしい日常も堪能していたという。

 その彼が、とてつもない悲しさに襲われたのが、昨年9月のデビスカップだった。仲間の選手たちが日本代表として活躍する姿を見たとき、自分ひとりが取り残されているような寂寥(せきりょう)感に襲われたのだ。

 あれから1年――。

 今年1月に復帰を果たした西岡は、全豪オープンでは29位のフィリップ・コールシュライバー(ドイツ)を破り、5月にはツアーの下部大会に相当する「ATPチャレンジャー」で優勝を果たす。全仏オープンでは初戦で敗れはしたが、実力者のフェルナンド・ベルダスコ(スペイン)を相手にフルセットの死闘を演じ、観衆からの「ヨシ」コールを引き出した。さらに先の全米オープンでは、初戦でロジャー・フェデラー(スイス)とセンターコートのナイトマッチで戦うという、かけがえのない経験も得る。

 現時点での世界ランキングは170位。復帰からここまでの9ヵ月間の足跡を、彼は「悪くないスピードだと思っています」と総括した。

 ケガから復帰した多くの選手がそうであるように、西岡も復帰間もない今年2月ごろは、身体や脳に染みついたいいときのイメージと、実際の身体の動きが重ならぬもどかしさを味わうことになる。170cmの小柄な身体で2mに迫る強豪に立ち向かう彼の武器は、何にも増してフットワークだ。その足が使えない悔しさは、不安や焦りにもつながった。

 それでも彼は、今自分に必要なことは何かを分析し、「反射系のトレーニングを多く入れる」「常にケアトレーナーを帯同する」「練習や試合中に必要な水分摂取量を割り出す」など、適切な対処を重ねていく。その成果として得た7連勝でのチャレンジャー優勝を西岡は、「復帰後、一番自信になる」収穫だと言った。

 シーズンも残すところ3ヵ月となった今、西岡が目指すのは「来年1月の全豪オープンの本戦に入るまでランキングを上げること」。それは、年内に100位を切ることを意味する。その目的地を明確に見据えるからこそ、この先はアジア開催のチャレンジャー大会を転戦してポイントを稼ぐ、いわば”ドサ回り”的な道を歩むつもりだ。

「アジアのチャレンジャーは、施設や食事の衛生面で不安はありますが、そのなかでも勝たなくてはいけない。そういうところで勝ち切り、ランキングを戻せるかというチャレンジでもあります。

 テニスは戻っているので、チャレンジャーでは勝てるのではと思います。ここからはぶっ通しで戦って、勝てるだけ勝ちたい」

 負けん気の強さを放つ口調で、彼はそう明言した。

 西岡を小学生時代から知る松岡修造氏は、彼のことを「子どものころから『絶対に自分はトップに行ける』という自信を持っていた」と評したことがある。

 その自信の根拠は、どこにあるのか――?

 その問いを西岡本人にぶつけると、「うーん、なんなんですかね?」と照れたように笑みをこぼし、少し間を置いてから話しはじめた。

「もちろん、僕は自信家だと自分でも思います。ただ……僕、子どものころから、他人からの評価が低かったんですよ。僕の試合中の態度が悪かったというのもあるんですが、やはり身体が小さいというのもあって。

 でも、日本人のなかで見たら、ランキングを上げていくスピードなどは(錦織)圭くんの次に早いんです。だからずっと、他人に評価されなくても、自分で結果を出しているからいいやと思っていました。同時にだからこそ、結果を出さないと認めてもらえないとも思っている。だから、無理にでも自信を持ってやっているところもあります」

 西岡は、錦織同様に盛田正明テニスファンドの支援を得て15歳時にIMGアカデミーに渡ったが、実はその選考会で、2度落選の悔しさを味わっている。ジュニアの世界大会で結果を残すようになってからも、「あの身体では、プロでは難しいだろう」との声は嫌でも耳に入った。

 周囲の評価を覆すには、結果を残すしかない――。そのような反骨精神が、この小柄で、勝ち気で、そして知的なファイターを激しく突き動かす原動力だ。

 そんな彼が「悲しさ」を覚えたときから1年が過ぎ、今ふたたび仲間とともに、デビスカップでチームのために戦う喜びと興奮に身を浸している。

 かつていた場所に……そして、その先に続く道を、西岡は力強く進んでいる。