今西和男が高校卒業時に全く無名であった森保一を見出して、新人に対して5人しか枠の無かったマツダのサッカー部(現サンフレッチェ広島)に6人目の選手として採用するため子会社のマツダ運輸に入社させたのは知られた話である。原爆ドームが見える場…

 今西和男が高校卒業時に全く無名であった森保一を見出して、新人に対して5人しか枠の無かったマツダのサッカー部(現サンフレッチェ広島)に6人目の選手として採用するため子会社のマツダ運輸に入社させたのは知られた話である。



原爆ドームが見える場所で撮影。広島は今西氏が生まれ育った場所だ

「あそこで今西さんに拾われていなければ、サッカーを続けられていたかどうかも分からないです」とかつて筆者のインタビュー(『徳は孤ならず 日本サッカーの育将 今西和男』収録)で森保は語っている。それであれば、もしもこの邂逅がなければ、2020年の東京オリンピック、2022年のW杯に向けての代表監督も誕生していなかったとも言えようか。

 今、再び今西に18歳の森保のどこに魅かれたのかを確認しに広島に来た。意図はふたつ。”育将”の慧眼にかなった理由を紐解くことは、現在のユース世代の選手の指針にもなるのではないか。加えて高校時代からの森保を近くで知る今西から、多大な重責を担う指揮官への言葉を受け取ることでそのエールにも変えたいという思いだ。

ーー長崎県内でも無名だった森保監督をあえてマツダへ採ろうとしたのは、今西さんが、その視野の広さを認めたからだと言われていますが、その背景を改めて教えてもらえますか。

「森保を採るときに私は数回、高校(長崎日大)へ通いました。ハンス・オフト(当時のマツダ監督)を連れて行ったこともありましたが、そのときオフトは興味を示さなかった。ただ私は、技術もスピードも無かったけど、常に上を向いているという点が気になった。あの頃は芝生のグラウンドも少なかったから、コンディションが悪くて特に高校生はすぐに下を向いてしまうけれど、森保にはそれが無かったんですね。私は三列先を見ていると評価しました」

ーーそしてマツダに6人目として入社させたわけですが、彼だけが子会社だった。

「やっぱり新卒で入社した頃の価値観といったら給料ですよ。子会社だから同期に入った人間と多少とも給料が違うというのは、選手にとっては悔しかったはずです。しかし森保はそんなことでへこたれるとかそういうことは全くないですから。とにかくサッカーを続けられればいいという思いが最初にあった。そして森保は自分自身をよく分かっていたから。働きバチで、とにかく運動量でチームに貢献する。視野が広いから、ボールを取った瞬間にはどこにスペースが、というようなことを考えて、ダイレクトにそこに出せるようであれば出す。スペースがなかったらサイドに開いて、それでまたサポートして、次の展開の時にはもう大事な局面に顔を出す。チームの中で自分がどういうポジションでどういうやり方だったらレギュラーになれるか、本当にそのことばかり考えていました。そして、その年のヨーロッパ遠征に、オフトは1人だけ(新卒から)森保を選んだんです。で、私は会社に『これはもうレギュラーになったから、マツダ本社で引き取ってくれ』と」

ーービル・フォルケス監督のときにはマンチェスターUに留学させましたね。

「フォルケスの時に4人ほど留学させたんですが、その中に森保も入っていましたから。フォルケスは典型的なイングランドサッカーで、ボーンと蹴ってワーッと行くような戦術だったわけです。だから、風間(八宏=現名古屋グランパス監督)なんかバカにしていましたけどね。『イングランドはドイツに比べたら全然戦術なんか持っていないよ』と。森保はそんな風間に近づきに行っていましたよ」

ーードイツ帰りの先輩から吸収しようという貪欲さがあったのでしょうね。

「風間は上手いだけではなくて、どっちかといったら理論家ですから。いろいろ知っている。だから、彼ともしょっちゅう話をしながらいろいろ教わっていたと思う。会話をしていても森保はとにかくものすごく集中力が高いと思いました。普通の高校生は照れ臭いのか、怖いのか、相手の視線を外して話をするでしょう。しかし、彼はにらみ返すように見つめてきた。それは自分を誇張するのではなくて、『とにかくサッカーがしたいんです、僕は』と。で、マツダでやりたい、レギュラーになりたいという思いは強かったですね」

ーー外国人監督は彼のスキルを見抜いたんですね。オフトは評価を改めて遠征に連れて行ったし、ビル・フォルケスは留学の橋渡しをしました。

「私は留学した全員に帰国してから体験してきたことについてスピーチをさせたわけですが、ほかの選手が話せない中、森保は堂々と20分話しました。喜びというか、新しい経験をしたということをすごく強く感じていて。できたら自分でこのチームでやれることを続けていきたいという思いがすごく伝わってきましたね。目標設定というのがしっかりしていた」

ーー今、森保監督は五輪とW杯の監督兼任という大きな責任を背負っています。当然日本サッカー協会からのサポートが必要になってきます。古巣のマツダ、サンフレッチェからの人材が加わりました。

「横内(昭展)と下田(崇)が行きましたね。横内は森保とは、一つ上だけどすごく仲がいい。左サイドでこの2人の阿吽の呼吸でパスワークして攻撃していた。タイプもポジションも違うけれども上手くやって行くと思います。森保は人間的に『森保さんが言うことならついていこう』というものを持っていますよ。その辺のことをたぶん協会は評価したんでしょう。ただ、もっといろんなことを、ある意味改革しなくちゃいけないじゃないですか。もうワールドカップもオリンピックも出るのが当たり前になってきているわけです。要は世界を相手にする。彼はきちんとコミュニケーションを取って、選手の気持ちを掌握するということ、それは十分できるだろうと思うんです。しかし、兼任になってくると選手やチームのスカウティングも1人ではまわりきれない。できれば彼のアドバイザーみたいなポジションの人間を1人、世界を知る日本人でも外国人でも、もちろんそれは彼が選択するんですが、いてもらって世界との距離を縮めていく。そんなやり方で森保の負担を減らしていってもらえたらと思います」

ーーかつての長沼健さんとデットマール・クラマーさんみたいな関係ですかね。

「そういうことですね」 

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