「華の94年組」――そう呼ばれるほど層の厚い1994年生まれの選手たちが、「ジュニア時代、彼女には敵わなかった」と口を揃える存在がいる。全米オープンで尾崎里紗(右)と再会した小和瀬望帆(左) 今年の全仏オープンダブルスで準優勝した穂積絵…

「華の94年組」――そう呼ばれるほど層の厚い1994年生まれの選手たちが、「ジュニア時代、彼女には敵わなかった」と口を揃える存在がいる。



全米オープンで尾崎里紗(右)と再会した小和瀬望帆(左)

 今年の全仏オープンダブルスで準優勝した穂積絵莉と二宮真琴や、昨年のジャパンウィメンズオープン準優勝者の加藤未唯。さらには昨年のマイアミ・オープンベスト16の尾崎里紗に、1度のツアー優勝と3度の準優勝を誇る日比野菜緒――。それら、現在世界の舞台で活躍する選手たちのなかで、ジュニア時代の”彼女”に勝ち越しているのは、尾崎くらいである。

 その選手の姿は今年、全米オープンが開催されるニューヨークにあった。いや、正しくは”選手”ではなく、彼女は報道者として、錦織圭や大坂なおみの会見場にいたのだ。

 小学生時代から、前述した選手たちとともに、常に頂点を競っていた少女……それが、現在はニューヨークの日本テレビ支局で働く、小和瀬望帆(こわせ・みほ)である。

 小和瀬は、14歳時に全国中学生テニス選手権を制すると、翌年には世界のトップジュニアが集う「世界スーパージュニア選手権」で年長者たちを破り、準優勝に輝いた。小柄ながら、多くの選手が「精度が高く、コースも読めない」と舌を巻くバックハンドを武器に、同世代のトップを走った、いわばエリートだ。

 だが、実はそのころすでに、彼女は人知れず、大きな悩みを抱えていた。

「13歳くらいのとき……朝の練習で、サーブのコントロールがうまくいかないなって感じたんです」

 それは誰にでもありえる、1日かぎりの調子の優れぬ朝だったかもしれない。だが、「毎試合毎試合、人生最後の一戦のように挑んでいた」と言うほどテニスにかけていた当時の彼女に、そう考える余裕はなかった。

「そのときの自分がよくなかったのは、『こういう日もある』と思えなかったこと。そのことばかり考えてしまい、ドハマリしちゃいました」

 元アスリートとは思えぬほどにほっそりとした首をかしげ、彼女は当時を追想する。サーブの不調はやがてフォアハンドも狂わせ、高校3年生を迎えたころには、プロ転向に迷いを抱くまでになっていた。

「このままではトッププロになるのは無理だし、精神的にも保たないだろう……」

 そう悩む彼女に手を差し伸べたのは、アメリカの大学に「スポーツ特待生」として進学していた、3歳年長の姉である。

「アメリカの大学はすばらしいから、一度見に来なよ!」

 熱心に誘ってくれる姉、そして姉の留学を手助けしてくれた関係者たちの伝手(つて)を頼り、妹もやがて進学のために海を渡る。同期の多くはすでにプロの道を歩み始めた、18歳の夏だった。

 小和瀬が進学先に選んだオハイオ州立大学は、スポーツ全般に力を入れていることで知られている。もちろんテニスも例外ではなく、小和瀬以外にも、南米など国外からの選手も集っていた。

 サーブとフォアの不調は、大学進学後も消えなかった。ただ、それまでは個人競技だったテニスが、大学では団体競技になる。すると、抱える技術的な悩みも、もはや自分ひとりのものではなくなった。

「チーム戦だと、自分のフォアが……とは言っていられない。サーブを打たないわけにもいかないので、下から打ったり、フォアもスライスだったり……開き直ってプレーしました」

 その「開き直り」が重圧を取り払ったか、大学3年生になるころには、サーブも徐々にかつての感覚を取り戻す。時を同じくして、プロになった同期たちがグランドスラムなどで活躍する報も耳に入った。友人たちがマリア・シャラポワ(ロシア)らと戦う姿を見ると、心のどこかが嫌でもざわつく。

「私はこれでよかったのかな?」

 そんな疑問が、自分の胸にふと落ちた。

「このまま開き直ってやっていけば、私もプロでやれるのでは?」

 夢への想いも、ふたたび首をもたげ始める。

 ただ、当時の小和瀬は大学で学ぶマーケティングやマスメディアも楽しく、テニス以外のことに心が傾斜するのも感じていた。

 そんな彼女が、プロへの想いを断ち切るひとつの契機が、大学で組んだ2歳年少のダブルスパートナーだったという。テニスがどこまでも好きで、夢を追うことに一切の迷いを抱かぬチームメイトの姿は、「プロになるのは、こんな娘たちなんだ」という、ある種の諦観を彼女に与えた。

 そのパートナーと挑んだ大学生活最後の全米大学選手権で、小和瀬は決勝へと勝ち進む。

「これが人生最後の試合」――。そう心に決めた決戦を制し、彼女は、全米の頂点に立った。

 優勝したとき、プロへと心は揺れなかったのか……?

 幾分意地悪なその問いに、彼女は「難しい質問ですね」と苦笑を浮かべる。

「でも……優勝して、いい終わり方ができたなと思いました。それ以外は、あまり考えられなかった」

 15ヵ月前の自身の胸中を探り、彼女は、柔らかに微笑んだ。

 全米大学選手権優勝の約1年後、小和瀬は日本テレビのニューヨーク支局に「ニュースプロデューサー」として就職する。なお、ダブルスパートナーのフランチェスカ・ディロレンゾ(アメリカ)は、卒業を待たずにプロに転向。今年の全米オープンには予選から出場し、本戦でも勝利を掴んでいる。その記念すべき全米オープン初勝利のコートサイドには、熱い声援を送る小和瀬の姿があった。

「ミホは、自分がどれだけ才能があるかわかってないのよ!」

 プレースタイル同様の快活な口調で、ディロレンゾは元パートナーを評する。

 その言葉をうれしく受け止めながらも、小和瀬は「私はプロ向きの性格ではなかったんだと思います」と、微かに寂しそうな笑みを浮かべた。

 テニスに未練はないかと問われれば、答えは間違いなく「ある」だ。

「もしあのままテニスを続けていたら、どうなっていたんだろう……」

 そんな思いは、今も時折、胸をよぎる。

 それでも、選んだ道に後悔はない。迷いそうになったときは、両親や姉、恩師たちから送られた「選んだ道が正解になるよう、力を尽くせばいい」の言葉が道標となった。

「いや~、いろんな人に支えられたなって思います。テニスを16年やって、それだけは……同期も含めて、本当に人には恵まれました」

 明るく断言する声に、感謝と懐かしさの音が響いた。

 就職先としてマスメディアを選んだのは、自身が取材を受けてきた経験から、その世界に馴染みがあったためでもある。ただ、20年後に何をしているかといえば、それはまだわからない。日米どちらに住むかも含め未来は不確かだが、それでもひとつだけ、見えていることがあるという。

「最終的には、テニスやスポーツに関わる仕事をしているんだろうなという……そんなイメージはあります」

 テニスに導かれた人生だからこそ、テニスに恩返ししたい――。それが、今の彼女が抱く夢だ。