蹴球最前線──ワールドフットボール観戦術── vol.35 サッカーの試合実況で日本随一のキャリアを持つ倉敷保雄、サッカージャーナリスト、サッカー中継の解説者として長年フットボールシーンを取材し続ける中山淳、スペインでの取材経験を活かし…
蹴球最前線──ワールドフットボール観戦術── vol.35
サッカーの試合実況で日本随一のキャリアを持つ倉敷保雄、サッカージャーナリスト、サッカー中継の解説者として長年フットボールシーンを取材し続ける中山淳、スペインでの取材経験を活かし、現地情報、試合分析に定評のある小澤一郎――。この企画では、経験豊富なサッカー通の達人3人が語り合います。
今回のテーマは、ロシアW杯で躍進したクロアチア代表について。モドリッチを中心に粘り強く勝ち上がったチームのストロングポイントを分析します。連載一覧はこちら>>
倉敷 今回のお題はベルギーです。中山さん、日本のファンはベルギーにとても良い印象を持った様子ですね。
中山 これは日本の国民性なんですかね? そこはよく分からないんですけど(笑)。日本が負けた相手なのですが、この相手に負けるなら仕方がないということで、ベルギー人気に火が付いたのでしょうか。
倉敷 たしかに魅力的なチームでしたね。
中山 ええ。それと、あの試合(ラウンド16)を見ていた人が多かったというのもあるでしょうね。その後、知っているチームを応援しようということになったと思います。今回のベルギーは、すごくいいチームでしたしね。
倉敷 データマンの小林君、世界が見たベルギーの評価はどうですか?
小林 ブラジルの『グローボ』は少し面白おかしく「日本が勝ってくれれば良かったのに」と書いていましたけどね(笑)。そういう風な記事もありつつ、やはり全般的に評価は高かったと感じました。
倉敷 なるほど。では中山さん、ベルギーの印象から聞かせてください。
中山 今回のベルギーは、やはり日本戦で2点ビハインドを背負った後、あの2枚替え、そして最後に逆転勝ちしたところが、分岐点だと思っています。その前のグループリーグのゲームを見ていて感じたのは、いつものよくない時のベルギーという印象を受けていました。つまり、個人がバラバラでプレーしてしまっているところとか、戦術に変化がないところとか、サイド攻撃が少し弱かったところとか、どういう部分です。
それを見ていて、「ベルギーは今回もまた苦労するのかな」と思っていたのですが、日本戦の後半であの2枚替えにより、システムを4バックにして、ナゼル・シャドリとマルアン・フェライニを入れたところで、それまでのよくない流れが覆ったと思います。
倉敷 シャドリがよかったですね。
中山 以降、ヤニック・フェレイラ・カラスコがベンチメンバーになったのですが、そこからチームが覚醒した印象があります。何といっても、ロベルト・マルティネス監督がプランB、プランCと、次々と試合で新しいプランを使うようになったのも、やはり日本戦の後半から始まったことなので、そういう点でいえば、監督自身もあの試合で覚醒したといえるでしょうね。
倉敷 確かに。僕たち日本サイドにとっては、調子の悪いカラスコを替えなければいいなと思っていましたからね(笑)。それにしても、シャドリはいい選手でしたね。
中山 ええ。ちょっとしたブレイクでしたね。
倉敷 小澤さんはどんな印象で見ていましたか?
小澤 ベルギー自体は、ワールドカップ予選や直前の親善試合を見ていても、少しバラバラな印象があって、戦術的バリエーションも多くないと見ていたので、サプライズどころか、衝撃を受けたと言っていいくらいに評価が高くなりました。
そういう意味では、ロベルト・マルティネス監督が本番に向けて隠していたのかどうかは分からないですけど、たとえば、ブラジル戦の3バックと4バックの可変システムであったり、試合中のシステム変更を積極的に打ってきたりしたことは驚きでした。
もちろんベルギーの選手たちは、普段からクラブレベルで見せているパフォーマンスからしたらそれに対応できるとは思いますが、ラウンド16以降はほとんど準備期間がないなか、それぞれのプランをチームに落とし込んで、パッとやれてしまったところも驚愕でした。
倉敷 スペイン代表が敗退してしまってから、スペイン国内では次期代表監督候補にロベルト・マルティネスの名前も挙がっていたようですが、評価を大きくあげた大会になったのではないでしょうか。
小澤 スペインが負けてからロベルト・マルティネス監督がラジオでインタビューに出てくる機会も多くなりましたし、まだベルギーが勝ち残っている段階から「次のスペイン代表監督をやってくれないのか?」という話が出ていましたね。スペインのメディアとしては、いい監督がベルギーにいるなんてもったいないという目線で見ていたと思います。
倉敷 僕のロベルト・マルティネスに対する印象は、ウィガン・アスレティックというイングランドのチームを降格から巧みに救ったところで止まっていましたが、随分プラスの要素が加わりました。
ベルギーのパワーアップに関するアプローチの面白さについては何回か触れていますが、カッコウの托卵のような印象があると思います。カッコウは、モズやホオジロなど他の種類の鳥の巣に卵を産んでひなを育てさせるんですが、ベルギーもユース年代から各国の強豪リーグに移籍させて、そこで育った選手を代表に戻してくる。ベルギー代表にはそういう選手が何人もいてひとつの特徴になっていますね。
中山 エデン・アザールなどはまさにその象徴ですね。彼はフランスのリールというベルギーに近い街のクラブに少年期に移って、リールの育成フォルマシオンで育てられて一流選手になっていったわけです。ただ、たとえば今大会でも数試合プレーしたユーリ・ティーレマンスというモナコでプレーしている若手選手などの世代は、ベルギー国内で育った選手です。
つまり、国外で育てたものからスタートして、その間に国内の育成を整備するという、そういった育成改革をしっかりやったおかげで次の世代も生まれてくるという、現在のサイクルに入ったと見ています。
以前のベルギーは、たとえばエンツォ・シーフォの時代があって、その後スター選手がいなくなると一気にどん底に落ちるというパターンが繰り返されていましたが、現在のサイクルはしばらく続きそうだと言われています。
倉敷 小澤さん、今回のロシア大会の監督をタイプで大きく分けると、ひとつのかたちを持っていて攻め込んでいくタイプの監督と、相手によって戦い方を使い分ける監督がいると思いますが、マルティネス監督は後者と見ていいですね。
小澤 そうですね。後者のなかでも、今大会で見た時には屈指の監督だったのではないでしょうか。戦況、あるいは相手の分析をきちんとしたうえで、緻密に作り込んできましたし、それに対して相手が対応してきた時にはプランB、Cを矢継ぎ早に打てるというところでいうと、監督としての手腕は今大会であらためて再評価されてしかるべき監督だと思います。
倉敷 スペースに侵入していくためのポゼッションについて、ベルギーを例に話しましょう。小澤さん、ポゼッションという言葉の持つ意味は、これからどう考えていくべきでしょうか。
小澤 そうですね。今回のスペインがいちばん悪い例ですが、ボールの前進がない、あるいはボックス侵入の目的ではない、ボールを持つためのポゼッションというところでいうと、もはやポゼッション自体がまったく意味をなさないですね。結局、スペインはロシア戦でも1,000本以上のパスを回して、まったくゴールチャンスを作れませんでしたから。
その意味でいうと、ベルギーは縦の鋭さ、カウンター攻撃、ロングカウンターも含めて、ボールを持ちながらディフェンスラインの3バックの幅を広げて、まずビルドアップからひとつひとつボールを前進させることもしていました。
きちんと攻撃の幅と深さの両方を取りながらボールを運んでいくので、現在のトレンドのキーワードとしては、ポゼッションよりも「プログレッション」というワードが出てくると思います。つまり、ボールの保持ではなく、前進というところがキーワードになるのではないかと。今回のベルギーが、まさにそうだったと思います。
倉敷 中山さん、ファイナルに近いところに勝ち上がっていったチームは、いい選手を所属クラブと同じポジション、同じタスクを与えることができていた特徴があると思いますが、ベルギーの場合はどうでしたか?
中山 たとえばケヴィン・デ・ブライネは、当初は中盤のセンターの低い位置でプレーしていましたけど、やはり彼の特長が出るのはもっと前のポジションだと言われていました。実際、それが最大限に発揮されたのがブラジル戦のゼロトップのような使い方だったと思います。あれは、監督が彼の特長を生かした采配だったと思いますし、あの起用によって完全にブラジルは調子が狂ってしまいましたから。そういう点でも、監督がそれをうまく引き出せるかどうかが大事ですよね。
倉敷 小澤さん、マルティネス監督はここ数年間でヨーロッパの監督が使っていたアイデアをいくつも上手に落とし込んでいましたね。
小澤 もともとマルティネスはクラブレベルでやってきた監督ですし、プレミアリーグでも長く指揮を執ってきたので、トップレベルの監督を見てきていますし、実際に対戦もしています。なので、基本的な自分たちのプレーモデル、あるいはプレーのベースとなるシステムは3-4-2-1ではありましたけど、そこから発展させられるようなシステムと戦術のバリエーションを大会中に作ったことについては、さすがだと思います。
それと、とくにウィングバックの使い方でいうと、日本戦でも脅威になっていたトーマス・ムニエの右サイドでの使い方が非常にうまかったと感じました。ムニエが外からオーバーラップするだけではなくて、インナーラップも仕掛けて、その時にはドリース・メルテンスが幅を取って中央のスペースを空け、サイドの縦のレーンをとても上手に使えていました。その辺もきちんとトレーニングを積んでいると思いますし、それだけの理論やトレーニングメソッドを持った監督であることは間違いないと思います。
倉敷 ロベルト・マルティネス監督のサイクルはまだ続くとお考えでしょうか?
小澤 僕自身はまだ続くと思っていますし、今回の好結果を踏まえて、またヨーロッパのビッグクラブに狙われる監督になっていると思います。今後、どこかのタイミングでベルギー代表監督の職を終えた時には、またクラブ監督として戻ってきてほしい人材ですし、個人的には一度スペインで見てみたい監督だと思っています。
倉敷 中山さん、僕らの代表にもいくつかあったと思いますが、ひとつのチームの中にさらにもっと小さなチームがいくつもあって、組み合わせを変えたり、クラブチームで持っている約束事を効果的に使ったり。小さなチームのバリエーションをたくさん持っている代表チームは強いですね。
中山 代表チームは練習時間が少ないので、やはりクラブのもの、あるいは選手個人やそのグループが学んだものを、いかに代表で落とし込むかということが重要になっています。そして、監督はそれらをチーム全体に地ならししていくという作業が、もはや代表チームの強化を考えるうえでは避けては通れない道になっていますよね。