取材陣でごった返すミックスゾーンを、アンドレス・イニエスタがノーコメントで通り過ぎる。その横顔には、憂いが張り付いていた。 横浜F・マリノス戦。イニエスタの所属するヴィッセル神戸は、本拠地ノエビアスタジアムで0-2と敗れている。結果に…

 取材陣でごった返すミックスゾーンを、アンドレス・イニエスタがノーコメントで通り過ぎる。その横顔には、憂いが張り付いていた。

 横浜F・マリノス戦。イニエスタの所属するヴィッセル神戸は、本拠地ノエビアスタジアムで0-2と敗れている。結果に対する悔しさが少なからずあっただろうか。

 しかし、それだけではないようにも見えた。

「イニエスタは何を思うのだろうか? ランプに灯を点し、火を大きくしたが、肝心のFWがそれを消してしまった」

 試合を報じたスペインのスポーツ紙「as」は、そう批判的な見出しを打っている。イニエスタは失望を感じたのか?



横浜F・マリノス戦にフル出場したアンドレス・イニエスタ(ヴィッセル神戸)

 8月26日、神戸は試合を通じて横浜FMを押し込んでいた。

 その攻撃の中心にいたのは、紛れもなく背番号8のイニエスタだった。ボールの受け方、置き方が寸分も狂わないことで、相手選手を間合いに飛び込ませない。キープ力があるという表現があるが、イニエスタはそれ以上で、「ボールを失わない」という領域に達している。だからこそ、味方は安心してパスをつけられるし、信じて走り出せる(さもなければ、ポジションを留守にできない)。必ずパスが出る、と信じて走るのだ。

 それは奇跡のような光景に映る。イニエスタの体つきは細身で、肉体的に傑出しているわけではない。にもかかわらず、乱戦を抜け出し、パスをつなぐことができるからだ。

 イニエスタはリカバリーやメンテナンスに関して専属トレーナーをつけているが、ジムトレーニングはほとんどしないという。「腹筋を数十回やる程度」とチームメイトは証言する。その足は白くほっそりとして、まるで女性のようだ。その白い足は、魔法の杖なのか――。

「天皇杯(鳥栖戦、イニエスタは途中出場)でも、アンドレスが入るだけでプレーのテンポが上がりましたね」

 神戸に在籍して2年目になるセンターバック、渡部博文は語っている。

「(アンドレスは)とにかく下を向かない。常に次のプレーの選択肢があって、動き続けていますね。ノールックで自然にパスを出せて、コースを読めない。守っている方は、あっちを向いていたはずなのに……という感じになります」

 イニエスタは相手が重心を移した足を選び、パスを出しているのだろう。そのため、守る側は脇を通るパスに反応できない。また、わずかにキックのテンポをずらすことで、パスを通している。理論的には説明できるが、実践するのは至難の業だ。

「受け方、出し方、タイミングがとにかくいいですね」

 渡部はそう言って、説明を続ける。

「ボールを取ろうとしても、いつも遠いところに置いているので。キープするというのとは少し違うかもしれません。キープは手を使って相手を抑えて、という感じになるんでしょうけど、アンドレスの場合、手は距離感をつかむ程度。相手に飛び込ませない間合いを作れるんですよ。力でいこうとすれば、クルッと回ってしまうし。無理に止めようとすれば、ほとんど必ずファウルになります」

 横浜FM戦で、イニエスタが珍しくボールを失う瞬間があった。ドリブルで切り込もうとしたところを、横浜FMのMF喜田拓也にコースを読まれ、カットされている。その刹那だった。イニエスタは反転して追いかけ、ボールのつつきどころを即座に探し、鮮やかな手口で奪い返し、ゴールに迫っている。

 すると、今度は横浜FMのMF松原健にチャージを浴びたが、遠いところにボールを置いて飛び込ませない。さらに喜田に追いすがられるが、右からの強い寄せに対し、コマのようにクルッと回って、外へ力を逃がし、自らはケガをしないようにファウルにした。2人のJリーガーをまったく相手にしていなかった。

 イニエスタがピッチでもたらす感覚が、神戸の選手たちにカタルシスを与えているのは間違いない。

「ボールを触って、味方に渡して、パスコースを探し、パスを受け、触って、また味方に渡して……。自分はバルサで、そのカルチャーの中で育った。とにかく、それを繰り返し続けてきただけだよ」

 イニエスタはかつてその信条をこう語っているが、その反復で技術を高めてきた。基本はチームプレーなのだろう。周りを生かし、周りに生かされる。プレーの渦を創り出し、ひとりの力を20~30%増しにするイメージだ。

「自分のプレースタイルはあるはずだから、それを大事にしなさい」

 イニエスタはサッカー伝道師のようにそう言って、選手やスタッフにカタルシスを与えているという。選手個人レベルでは向上を促しており、すでにひとつの成功といえる。そこに希望が見える。

 その一方、神戸はチームとして、背番号8への依存度の高さを露呈している。横浜FM戦の失点シーンは象徴的だった。簡単にラインを破られているし、呼吸も合っていない。

 イニエスタが関わるときと、関わらないときで、プレーレベルは格段に違うのだ。

 たとえば後半、イニエスタはルーカス・ポドルスキのパスをダイレクトでバックラインの裏に通し、こともなげに長沢駿へパスを合わせている。しかしよく見ると、ポドルスキは出しどころを見つけられず、イラついたようにパスを流したに過ぎない。つまり、手詰まりの状況だったのだ。そして、そこまでお膳立てをしたにもかかわらず、シュートは外れた……。

 イニエスタに憂いはあっても、失望は感じていないはずだ。なぜなら、彼はチームプレーヤーとして偉大な境地にたどり着いているからだ。いうまでもないが、ワンマンな選手ではない。

 ボールを受け、渡し、また受ける。神戸が本気で「バルサ化」に挑むなら、そのコンビネーションを、集団としてどこまで高められるか――。神戸の選手たちの士気が高いのだけは間違いない。