試合後のミックスゾーンで立ち止まった17歳は、いくつものテープレコーダーを口もとに近づけられ、浴びせられた質問に、神妙な面持ちで答えていた。決勝点を奪った高揚感を沈めるように、落ち着いて淀みがなかった。「(先発デビューも)緊張はしなか…
試合後のミックスゾーンで立ち止まった17歳は、いくつものテープレコーダーを口もとに近づけられ、浴びせられた質問に、神妙な面持ちで答えていた。決勝点を奪った高揚感を沈めるように、落ち着いて淀みがなかった。
「(先発デビューも)緊張はしなかったです。むしろ、それがよくなかったかもしれません」
彼は淡々とそんな自己分析もしている。しかし一瞬、口ごもる場面があった。
――イニエスタ選手との対戦で得点できたわけですが。
「えっと……」
17歳は、適当な言葉を探して数秒うつむいた。
ヴィッセル神戸戦でJ1初ゴールを決めた久保建英(横浜F・マリノス)
8月26日、ノエビアスタジアム神戸。アンドレス・イニエスタの熱狂に沸くスタジアムは、満員御礼が出ている。バルサの選手として世界を魅了したイニエスタのプレーは、異次元にあるのだ。
一方、神戸に乗り込んだ横浜F・マリノスには、バルサの下部組織であるマシアで薫陶を受けた日本人、久保建英がいた。17歳の久保はFC東京から移籍してきたばかりで、初の先発。イニエスタとの「スペイン対決」と、話題が先行した見出しが躍った。
前半から、”先輩”イニエスタが格の違いを見せつけている。クリアしたボールをダイレクトのボレーで狙う。3人に囲まれながらも、軽々とパスを出す。わざとテンポを外したパスを出すことで、ディフェンスの逆をとり、スルーパスを通してしまう。どのゾーンにいても、プレースピードの変化が自在で、横浜FMの選手たちを手玉に取った。
対する久保は、凡庸なプレーに終始していた。2トップの一角を担ったものの、センターバックに激しく当たられると、前を向くのもままならない。そこでサイドに流れてボールを受けるも、はさまれて潰され、もつれて転倒した。厳しい時間が続き、明らかに試合に入れていなかった。
しかし、久保獲得に動いた横浜のアンジェ・ポステコグルー監督のスタンスは明確である。
「試合を重ねるなかで成長してほしい」
そして後半、久保は才能の片鱗を見せる。
後半11分、自陣からのパスを中盤に落ちて受けると、滑らかなターンから右サイドに左足で展開。そのビジョンとスキルは天性のものだろう。一気にゴール前に駆け上がる気配を見せ、神戸のバックラインを下げる。しかしペナルティーエリアに入ったところで、止まった。これで一瞬にしてフリーになる。
「(ボールを持つ松原健の)切り返すのが見えたから。少し下がって受け、トラップはずらさないように。コースは狙いましたね」
久保は自身のゴールをそう説明している。
スペインでは、「PASILLO INTERIOR(回廊)」と言われるバックラインの前に横たわる「廊下」で、「どの扉を開けるのか」を攻撃者たちは突き詰める。そこで扉を開ける時間的、空間的余裕を得られるかどうかが大事になるのだが、久保はそれを止まることによって、易々と得ていた。スペインの風を感じさせる非凡なプレーだった。シュートそのものの技術も高かったが、その前に勝負を制していた。
結局、久保はその後、後半19分に交代で退いている。しかし、この得点が決勝点につながった。
「ほとんどの時間、何もさせなかった。でも、あの一度を決めるというのは、”持っている”ということなのかもしれない」
神戸の選手たちは唇を噛んでいる。
久保は17歳らしさを見せたといえるだろう。ひとりのプロ選手としては、まだ未成熟な部分があり、力づくで封じ込まれてしまうところはあった。各ゾーンで求められるプレーを満たせず、守備のインテンシティも低く、流れから消えた。イニエスタのように、相手の逆を取り続ける、そんな境地にも達していない。プロ選手とのプレー経験が圧倒的に足りていないのだ。
そのせいで、守備ありきのFC東京では「前を向いてボールを持ったら面白いが……」と、出場機会が限られたのだろう。
しかし、期待のルーキーの底知れなさも見せた。たったの1回であっても、このレベルで偶然に決まるシュートはない。適切な判断を下し、予備動作で勝っていた。バルサでは伝統的に、久保のポジションは得点力が求められるが、なによりシューターとしての才能が傑出しているのだ。
「(久保は)プレーの質の高さは見せた。若い選手の成長を見られるのは楽しい」
ポステコグルー監督は試合後の会見で、そう言って及第点を与えている。
冒頭の続き、久保はイニエスタとの対戦について、こう言葉を継いだ。
「自分はバルサの下部組織をかじっただけ。(バルサのトップの選手として活躍した選手と)比べられるのもおこがましい。天地ほどの差を1ミリでも縮められたら……」
17歳は謙虚に語った。しかし囲み取材の最後、こうも言い放っている。
「これからは久保くんじゃなくて。自分は、久保建英なんで。お願いします」
それはひとりのプロ選手としての矜持(きょうじ)だろう。横浜FM移籍でしくじれば、失敗の烙印を押される。それを承知で、プロの世界を生きる。イニエスタもその荒野を生き抜いてきたのだ。
この夜、17歳は少年ではなくなった。