試合が動いたのは前半37分だった。起点となったのは、やはりアンドレス・イニエスタだった。 ヴィッセル神戸加入後、5試合目にして初のアウェー参戦となったイニエスタは、J1第23節の湘南ベルマーレ戦に先発出場した。チケットは完売。どこかス…
試合が動いたのは前半37分だった。起点となったのは、やはりアンドレス・イニエスタだった。
ヴィッセル神戸加入後、5試合目にして初のアウェー参戦となったイニエスタは、J1第23節の湘南ベルマーレ戦に先発出場した。チケットは完売。どこかスタジアムには、ホームである湘南のサポーターすら、その一挙手一投足を楽しみにしているような雰囲気が漂っていた。
イニエスタに対して激しいチャージでボールを奪う湘南・齊藤美月
随所で歓声をさらったイニエスタは、前半37分に最大の見せ場を作る。ルーカス・ポドルスキからの横パスを左足でトラップすると、素早く右足に持ち替えて同時にルックアップ。ゴール前にふわりと柔らかい浮き球のパスを送った。これを前線でターゲットを務める長沢駿が身体を張って落とすと、走り込んだ三田啓貴がDFふたりを交わして湘南ゴールをこじ開けた。
齊藤未月とともに中盤でたびたびイニエスタとマッチアップした秋野央樹(ひろき)は、「(失点の場面は)僕らのリスク管理がおろそかになったところがあった」と悔しさをにじませる。そのうえで、イニエスタのプレーについて聞けば、このときばかりはサッカー少年のように瞳を輝かせながら話してくれた。
「当たり前ですけど、とにかくうまいですよね。うまいので、簡単にワンツーでかわされてしまうところがあった。キープしているときも、うまく身体を使ってファールをもらいにきたりだとか、プレーのひとつひとつが勉強になりました。それほど体格的には変わらないのに、本当にすごいなって」
連戦の影響もあり、この試合は途中出場だった梅崎司も、稀代のテクニシャンのプレーに感嘆の声を挙げた。
「前半はベンチに近いサイドでイニエスタがプレーしていたので、よく見ていましたけど、やっぱりすごかったですよね。プレッシャーをモロともしないというか。まったく焦ることがないですし、逆にこちらのプレッシャーすら逆手に取っているというか。
シンプルなときはシンプルにプレーしているんですけど、それでもギリギリまで相手を引きつけてパスを出したり。こちらを食いつかせて、逆を突く。そういうプレーはなかなか日本人にはできないところなのかなと思いました」
興味深かったのは、秋野が語った次の言葉である。
「神戸の選手たちは、ボールを持ったらイニエスタとポドルスキしか見ていなかった。その影響からか、他の選手たちもうまく感じるというか。日本人の選手たちもテンポがよくて、怖いパスが出てくるというわけではないんですけど、こっちとしてはちょっと嫌だなというのはありました」
イニエスタがいることで、ポドルスキがいることで、周囲にも確実に好影響を与えている。その相乗効果は神戸の選手たちだけでなく、対戦相手にとっても計り知れない。神戸は後半31分にも、直前に4バックに変更した湘南のスキを突いて、ポドルスキが右サイドを突破すると強烈なシュート。GKが弾いたこぼれ球を郷家友太が押し込み、スコアを2-0とした。
湘南はこれで3連敗。とはいえ、曺貴裁(チョウ・キジェ)監督が試合後に「選手たちは成長している」と力強く語ったように、その試合内容は決して悲観するものではなかった。
前半8分にはアンドレ・バイアのロングボールを左サイドの高山薫が落とすと、野田隆之介がシュートを狙った。前半35分にも多彩なパスワークを見せると、その上下動から神戸ゴールに迫った。後半4分にも右サイドからのパスに山﨑凌吾が抜け出すと、途中出場したアレン・ステバノヴィッチが決定的なシュートを放っている。さらに終了間際にも、ステバノヴィッチのドリブルに後ろから走り込んだ山﨑がポスト直撃の惜しいシュートを打つなど、いくつも好機はあった。
湘南の前線からの圧力に間違いなく神戸は苦しんでいたし、湘南は相手の倍以上の本数のシュートを放ったように、サイドから再三チャンスも作れていた。敵将の吉田孝行監督も、「湘南のプレッシングサッカーをどうかいくぐるかというところで、前半から手を焼いた」と認めたほどだ。
内容だけを見れば互角以上。ただ、湘南は1点が遠く、相手には好機を確実にモノにするだけの役者がいた。梅崎が話す。
「簡単に言ってしまえば、決めるか決めないかということになるのかもしれないですけど、それだけではないとも思う。最後のところでの落ち着きや、そのひとつ前での精度をもっと意識していかないと。相手の得点が、最後は個の力によるところだったように、自分もそういうところで違いを見せなければいけないと思う」
湘南はこれまでJ1とJ2と行き来してきたように、かつてのチームならば「惜しい試合をした」で満足していたかもしれない。ただ、今はそうしたチームではなくなってきている。試合後には、曺監督もこう語っている。
「J1の舞台に立ったり立てなかったりするチームというのは、どうしてもJ1の(常連)チーム対して怖じ気づいてしまうところがあったんですけど、ここ最近の選手たちにはそれがまったくない。これを僕は成長だと思っているんです。
ましてやこれまで、試合終盤に相手が守り切ろうとする状況はほとんどなかった。これまでは簡単にいなされて終わってしまっていた。そういうところにもチームの成長を感じているのですが、これを今の選手たちに言っても、まったく響かないメンタリティになっているんですよね」
もはや湘南は、善戦しただけでは満足できないチームになりつつある。目指すのは勝ち点3であり、それも自分たちのスタイルを貫いての勝利である。そして、指揮官が感じているチームの成長と欲求は、しっかりと選手たちの胸に、心に届いている。ふたたび秋野が言う。
「決めるか決めないかの違いなのかもしれないですけど、そういうレベルにまで自分たちはきているとも思う。ここでブレる必要もないですし、ブレる内容でもない。改善するところを改善して、やり続けられればと思う」
今季、湘南に加入し、攻撃の中心として、ベテランとして、チームを牽引する梅崎も最後に力強く語ってくれた。
「相手にビビらないチームになってきている。シーズン前半と今とでは、その自信は大きく違う。自分たちのスタイルを確立しつつあるので、あとはそれをゴールに結びつけなければいけないし、失点も防がなければいけないですよね」
イニエスタと対峙したことで、湘南の選手たちもまた吸収するところがあった。しかも、ただ学んだだけではない。
確かに湘南には、世界に名だたる選手はいないかもしれない。それでも――築いてきた湘南スタイルへの手応えと自信がある。3連敗とあって苦しい状況に立たされてはいるが、選手たちの真っ直ぐな目に、迷いは微塵も感じられなかった。