まるで魔法のようだった。時空の歪みを生じさせたかのように、へばりつくマークを幻惑し、置き去りにしてしまう。対峙する選手は呆気にとられた。アンドレス・イニエスタは超然としたプレーを続け、それは異次元を感じさせるのだった――。  8月19…

 まるで魔法のようだった。時空の歪みを生じさせたかのように、へばりつくマークを幻惑し、置き去りにしてしまう。対峙する選手は呆気にとられた。アンドレス・イニエスタは超然としたプレーを続け、それは異次元を感じさせるのだった――。
 
 8月19日、BMWスタジアム平塚。この夜も、ヴィッセル神戸のイニエスタは注目の的だった。スタンドは満員御礼。たとえサッカーという競技をあまり知らなくても、その一挙手一投足に吸い寄せられるのだろう。ホンモノだけが見せる輝きがあるのだ。



湘南ベルマーレ戦にフル出場、勝利に貢献したアンドレス・イニエスタ(神戸)

 もっとも、ゲームはホームの湘南ベルマーレのペースで始まった。湘南らしく、溌剌と走り回り、献身的プレッシングで前線からボールの出どころを塞ぐ。果敢さで神戸をたじろがせた。

 しかし、イニエスタだけは違う境地に立っていた。必死に食らいついてくる相手に対し、獲物をかごに入れるように、その勢いを利用する。誘い込んではパスを叩き、ワンツーで前に出て、完全なフリーになってから広がりのあるパスを繰り出した。

「前半はベンチから見ていましたが、イニエスタはやっぱりうまかったですね。(動きの中で)”止まる”ことができる。それで簡単に相手の逆を取れてしまうし、時間や空間を支配しているというか……」(湘南・FW梅崎司)

 イニエスタは相手のスピードを奪い、自分のものにしているが、単なる駆け引きのうまさだけではない。過去の膨大なプレーデータから、最善のプレーを引き出しているのだろう。予測し、予備動作の時点で勝っている。そのせいで、「スローに見えるのに速い」という矛盾も起こる。

 象徴的なのが、前半22分のシーンだった。

 イニエスタは中盤中央で、アンカーの大崎玲央から球足の速いグラウンダーパスを受けると、滑らかに反転して絶好のボールを前に配球している。このとき、湘南の選手にボールを蹴った左足を遅れて削られた。

 スペイン最大のスポーツ紙「マルカ」が「イエローカードも出ないなんて!」と強く批判したように、靱帯を傷つけかねないアフターファウルだった。湘南の選手は懸命にブロックに入っただけなのだろう。しかし、プレースピードが天地の差ほど違うのだ。

 そして、イニエスタのプレー選択、判断には狂いがない。

「(イニエスタは)ボールが持てるし、さばける。動き出せば、(パスが)出てくるな、という感じはありますね。まだ(移籍したばかりで)2回しか練習していないのですが」(神戸・FW長沢駿)

 前半37分、神戸の先制点はイニエスタが起点となった。中央やや左でボールを受けると、右にポジションを取った長沢の頭にめがけてボールを放り込む。長沢の高さという利点を引き出す意図は明白だった。これを長沢が落とすと、エリア内に走り込んだ三田啓貴が、ひとりかわし、フィニッシュを決めた。イニエスタの局面での”人を生かす技”は卓抜したものがあるだろう。

 一方で、戦術的に試合全体の流れを読む能力も神がかっていた。

 実は先制する少し前まで、神戸は湘南にかなり攻め込まれていた。水際で守るだけで、受け身に回った。チームとしての戦術的未成熟さが出ていた。そんなとき、イニエスタはインサイドハーフの位置から前線に猛然と走り、ボールの出し手として一番弱点となる湘南の選手に目を付け、プレスをかけている。これに周りの選手が遅れて反応。湘南の勢いを殺すことに成功し、得点につなげているのだ。

 イニエスタの存在によって、神戸の選手ひとりひとりがカタルシスを感じているのは間違いない。

「(イニエスタは)刺激になるというか、みんなうまくなっている気がしますね」

 神戸のセンターバックである渡部博文は、18歳のときにイニエスタのプレーを見てファンになったというだけに、そう感慨深げに語っている。

「練習から(逆を取られるので)当たれないです。体の使い方、ボールの置きどころがよくて。よく『背中に目がついてる』と言いますが、本当に”うわっ”となりますね。ロンド(ボール回し)でもワンタッチで的確に出せて。でも、アンドレスは『気を遣うな。自分を飛ばし、裏を狙っていけ。プレーテンポだけは落とさずに』と言ってくれるんです。なので、彼の足もとだけでなく、その先を見ようと、積極的にプレーできていますね」

 その効果は絶大だ。
 
 後半も、イニエスタは精度の高いプレーを見せた。自ら起点になって、ルーカス・ポドルスキのシュートを演出。要所で湘南の勢いをくじいている。76分には、ポドルスキが右サイドをパワー&スピードで持ち込み、左足で強烈なシュート。GKがこぼしたところを、郷家友太が鋭く詰めて押し込み、ダメ押し点とした。

「アンドレスは、自分のプレーを淡々としてくれています」

 神戸の吉田孝行監督は試合後に語ったが、それは高い境地に達した者にのみ許されるのだろう。難しいことを簡単にやってのける――。やはり、それは魔法に近い。