【サイモン・クーパーのフットボール・オンライン】W杯後の移籍市場(前編) フットボール界で、ひとつの伝統が死に絶えようとしている。メジャーな大会の後に移籍話が次々と進展するという伝統だ。 これまで数十年間、物事はこんなふうに進んでいた─…

【サイモン・クーパーのフットボール・オンライン】W杯後の移籍市場(前編)

 フットボール界で、ひとつの伝統が死に絶えようとしている。メジャーな大会の後に移籍話が次々と進展するという伝統だ。

 これまで数十年間、物事はこんなふうに進んでいた──ワールドカップや欧州選手権で、無名の選手が忘れられないゴールを決めたり、すばらしいドリブルを見せて、一躍スターとなる。大会をスカウトの場と考えているビッグクラブが、その選手を買う。「ワールドカップのスター」を獲得したことに、ファンもメディアも喜ぶ。しかしたいていは、誰もが後悔することになる……。



ベルギーの躍進に貢献したアクセル・ヴィツェル(天津権健)photo by JMPA

 たとえば、1992年にアーセナルが買ったデンマーク人MFヨン・イェンセンだ。彼は欧州選手権の決勝で目の覚めるようなミドルシュートを決めて、ドイツを撃破した。1カ月後にアーセナルに移籍したとき、当時の監督ジョージ・グラハムはイェンセンのことを、ゴールも決められるMFだと語った。

 そんなことはなかった。ドイツ戦でのゴールは、まぐれだったようだ。イェンセンは得点をあげられないまま、アーセナルで何シーズンも過ごした。

 やがてイェンセンは、ゴールをあげられないことから不思議な人気者になった。彼がボールを持つたび、ホームの観客は楽しそうに「シュート!」と叫ぶ。たとえそれが、自陣のペナルティエリア内でもだ。

 1996年にアーセナルを去るまでの4シーズンで、イェンセンは1ゴールしかあげられなかった(アーセナルのファンは「ヨン・イェンセンがゴールを決めたとき、私はそこにいた」とプリントしたTシャツを作っている)。

 グラハムはドイツ戦でのたった1度のゴールから、イェンセンを愚かなほどに過大評価した。メジャーな大会は、選手を評価するサンプルとしては小さい。しかし、ふだんの試合より重要に思えるから、クラブはそこに深い意味を見出しがちだ。

 アレックス・ファーガソンでさえ、この罠(わな)にはまった。マンチェスター・ユナイテッドの監督を28年にわたって務めた彼は、勇退した後にこう書いている。

「ある大会で活躍した選手をすぐに獲得することに、私はつねに慎重だった。だが1996年の欧州選手権の後、私もそれをやってしまった。ジョルディ・クライフとカレル・ポボルスキーを獲得したのだ。どちらも欧州選手権ではすばらしいプレーを見せたが、彼らの国がその夏に得ただけのものを、私が得ることはなかった。(中略)ときに選手たちはワールドカップや欧州選手権に照準を合わせて準備するので、大会後には息切れしてしまうことがある」

 実際、選手を買うのに最悪のタイミングは、メジャーな大会で活躍した直後だ。あらゆるクラブが彼のすばらしいプレーを見ているから、市場価値は高騰している。しかし、選手は大会を終えたばかりで疲れているし、成功したことで満足してしまっている。

 それに、ひとつの大会で行なわれる試合は、高い買い物を決断するための材料としては少なすぎる。今回のロシアでのワールドカップだけを見れば、コロンビアのフアン・クアドラードはリオネル・メッシよりうまいと思っても無理はない。

 周りとの関係も意味を持つ。ベルギーのナセル・シャドリは、ロシア大会でのブラジルを破った試合で輝きを放ったが、それは彼が慣れ親しんだすばらしいベルギー代表の一員として、だ。イングランドの中堅クラス以上のクラブでうまくやれるような、ワールドクラスの選手だとは言いがたい。

 ワールドカップは、選手がどこまでやれるかを示す場にはなるのかもしれないが、そこに大きな意味はない。大切なのは、1シーズンを通じて毎週の試合で見せるパフォーマンスだからだ。期間が短く、一発勝負の要素が強い大会では、その点はわからない。
 
 ガーナのFWアサモア・ギャンが2010年のワールドカップ南アフリカ大会で活躍した後、サンダーランドはクラブ史上最高額となる1300万ポンド(当時のレートで約17億5000万円)の移籍金で彼を獲得した。しかし1年後には、UAE(アラブ首長国連邦)のアル・アインに放出した。

 ギャンはクアドラードと同じく、クラブよりも代表でいいプレーをするタイプなのだろう。そもそもクラブの毎週の試合に、代表でのプレーに向けるほどの関心を持たない選手もいる(ルーマニアのスーパースターだったゲオルゲ・ハジは、まさにその例だった)。

 アクセル・ヴィツェルのような優れた選手でも、クラブでのプレーをほとんど重要視していない。ヴィツェルはビッグクラブでプレーしたことがないまま、27歳で中国リーグに移籍してしまったが、今もベルギー代表には欠かせない。2016年までベルギー代表監督を務めたマルク・ウィルモッツに言わせれば、「メンバー表に最初に名前を書き込む選手」だという。

 それでも4年前まで、メジャーな大会後の移籍は、まだ大きなイベントだった。

 ワールドカップ・ブラジル大会が始まるときに、メキシコ代表GKのギジェルモ・オチョアを欲しがるクラブはなかったはずだ。オチョアは、フランス1部リーグのアジャクシオでのシーズンを最下位で終えたばかり。メキシコ代表でも、ワールドカップ前の強化試合では冴えないパフォーマンスが続いた。メキシコの新聞がファンを対象に行なった調査では、代表の正GKにはオチョアのライバルであるヘスス・コロナを推す声が圧倒的に多かった。

 しかし、ワールドカップが始まると、オチョアは好セーブを連発。メキシコはベスト16まで進み、オチョアは大会後にスペインのマラガと好条件の契約を結んだ。

 後にオチョアは、スペインのグラナダに1年間のレンタル移籍をする。だが、そのシーズンに82失点を喫してリーグ歴代ワースト記録を更新してしまった(もちろん、全部がオチョアの責任だというわけではない)。グラナダは2部に降格した。

 オチョアは先日のロシア大会でも、ベスト16まで進んだメキシコの全試合でゴールを守った。メキシコ代表では今もナンバーワンのGKと評価されているようだが、クラブでの限界は明らかだ。

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