義足のスキーヤーとして1984年の冬季パラリンピックに出場。スラロームで銀メダル、ジャイアント・スラロームで銅メダルを獲得したボニー・セント・ジョンさん。その経験を生かし、現在は働く人々のメンタルや職場環境をサポートするビジネス・コンサルタントとして活躍。数々の困難を乗り越えてきた道のりと、伝えたい思いを語るインタビューの後編です。
転んだ後の次の一歩は、立ち上がることから始まる
── 困難な課題や解決しなければいけない問題が目の前に現れたとき、誰しも、くじけそうになるときがあると思います。ボニーさんはどのようにして乗り越えられましたか?
やはり大事なのは目的を持つこと。そして、その目的を達成するために、自分がやるべき目標を持つこと。この2つじゃないかしら。要するに、明確な夢を持つことですね。私の場合は、とにかくスキーのチームに入ることでした。チームのみんなと「仲間」になりたくて、そのために頑張って体を鍛えました。
── ちょっと意外です。パラリンピックへの出場がボニーさんの夢だと思っていました。
パラリンピックに出場するなんて考えてもいませんでした。なぜなら私がチームに入った時、チーム内での滑走順位は3位だったんです。世界にはもっと強い人がいくらでもいるわけですから、勝てるなんて思っていませんでした。
── しかし、ボニーさんはパラリンピックでメダルを獲得されました。どんなにスキーのセンスがある人でも、目標を定めて意識的に技術を磨かなければ世界レベルの舞台には立てないと思うのですが。
いつでも、何においても、「やる以上は、いつもベストを尽くす」という生き方をしてきた結果ではないでしょうか。
パラリンピックのメダリストになるまでには、いくつかの段階があったんですよね。一番最初は、スキーウェアもなかったけれど、行ってやってみた。転んで濡れるし、怪我はするし、散々なスキーデビューでしたが、面白かったから続けた。これが第2段階。第3段階目にレースに出ようと思い、第4段階目に、こうなったらUSチームに入ってやる! と。どの段階でもベストを尽くしました。そして気がついたら、私の胸にメダルが(笑)。これが第5段階ですね。
── 「ベストを尽くす」という生き方は、いつ頃からでしょうか? また、ボニーさんに影響を与えた人物や出来事があったのでしょうか?
子どもの頃からですね。生まれたときから右脚に障害がありましたから、歩くのだって努力しなければなりませんでした。5歳のときに切断したわけですけれども、義足をつけるにしても、脚に力を入れなければ歩けません。5歳にして、人生の厳しさを十分経験させていただきました(笑)。
母の影響も大きかったと思います。母はいろんな問題を抱えて、とても苦労をした人だったんですね。その姿を見て、置かれた状況をただ嘆いて過ごすのではなく、ハッピーでグッドになりたいのなら、努力をしなければいけないことを学びました。
── 幼少期からの経験をもとに、「ハッピーでグッドになる」ための方法を、著書『心を休ませるために今日できる5つのこと』にまとめられました。その概要を教えていただけますか?
今、世の中はものすごいスピードで動いています。膨大な仕事を短時間で仕上げることが求められたり、昨日まで「正しい」と思っていた価値観や方法が、一晩で変わってしまうこともあります。それに対応するには、とてもエネルギーを使います。心身共に追い詰められたり、極度のハードワークで「過労死」に至った事例もあります。
そういう時代や職場環境の中で、消耗したエネルギーをどのように回復させ、自分が納得できる状況でベストを尽くし、進歩し続けていくかという方法を伝える本です。
── 今、「回復」という言葉が出ましたが、著書でも「レジリエンス(回復力)」が重要なキーワードになっています。「レジリエンス」に着目された理由を教えていただけますか?
スキーヤー時代の話に戻りますが、パラリンピックで1位になるには、3回滑らなくちゃいけないんですね。1回目の滑走で、私は1位のタイムでした。スタート地点に戻って他の選手の滑りを見ていたら、みんな同じ場所で転んでいたんです。「あそこが難所なのね。上手く滑ってみせるわ」と張り切って2回目のスタートを切ったんですが、私も転んでしまって(笑)。ひどいタイムだったので、これでもうダメだと思ったんですが、他の選手も転んでいたので、私は銅メダルを取ることができたんです。
ここで回復の話になるんですけれど、そのときに金メダルを獲った女性も、やっぱり転んでいました。しかも、1回目の滑走は私の方が早かったから、私の方がいいスキーヤーのはずなのに、なぜ彼女が優勝できたかというと、転んだ後の立ち上がりが早かったんです。私の方がもたもたしていたんですね。
転んだ後の次の一歩は、まず立ち上がること、回復することから始まります。そして、立ち上がりが早ければ早いほど、次の一歩が早く踏み出せるわけです。
── その「回復」を「マイクロ(ミクロ)」の視点で行うことも提唱されています。いきなり大きな目標や壮大な夢に立ち向かわなくてもいい、目の前の小さな課題や目標を1つ1つクリアしていけばいいという考え方に、少しホッとしました。
小さなことは結果が出やすく、継続もしやすいんです。エクササイズでも、いきなり負荷を上げたら上手くいかないけれど、ほんの少しだったらクリアできますよね。小さなことでも明らかに数値が上がったことを見ることによって、自分の中でポジティブリストが増えて、それが「グッドでハッピー」につながっていくと思うんです。
── まさに、ボニーさんがたどったメダリストまでの道のりですね。目の前の目標を1つ1つクリアして、気がついたらパラリンピックのメダリストになっていた!
そうですね。
── では最後に「パラスポ+!」の読者にメッセージをお願いします。
まず申し上げたいのは、日本でパラスポーツをやっていらっしゃる方々に「ガンバッテ!」と(笑)。障がいを持ってスポーツをされていることは、それだけで多くの人々に素晴らしい力を与えることができます。辛いことが起きたり、いろいろな経験があるかもしれないけれど、それも全部含めた上でご自身の存在のあり方を示していただければ、とても多くの人々に勇気を与えてくださることになります。何と言っても、2020年は日本で皆さんの舞台が待っているんです。だから、皆さん頑張って!
そしてパラスポーツを応援、サポートしてくださる皆さん。障がいを持っていても持っていなくても、彼らがチャレンジする姿を見ることによって、心を強くすることができると思います。著書には「心を強くする」ということを書きましたが、それはいろいろな問題を克服する力が出てくるということです。そういう問題を克服できれば、より人間らしく生きることができると思います。お子さんをお持ちの方は、ぜひ一緒に見てください。必ずそこからたくさんのことを学んでくださると思います。
インタビュー前編はこちら>>>
http://paraspoplus.com/sports/2304/
【プロフィール】
ボニー・セント・ジョンさん
Bonnie St.John 1964年11月7日生まれ。5歳の時に、切断手術で片足を失う。パラリンピックのスキー選手として活躍。現在は、世界的に知られたリーダーシップ専門家として、フォーチュン500社経営幹部から起業家に至るまで、数多くの人材を指導し、高い業績目標の達成に導いている。広くメディアにも取り上げられ、NBCニュースでは「アメリカで最も影響力のある5人の女性」に選出された。夫であるアレン・P・ヘインズ氏との共著『心を休ませるために今日できる5つのこと』(集英社)が発売中。