ベテランJリーガーの決断~彼らはなぜ「現役」にこだわるのか第4回:明神智和(AC長野パルセイロ)/前編 日本中が熱狂につつまれたW杯ロシア大会。16年前、2002年の日韓大会に日本代表の一員として出場し、チームを率いるフィリップ・トルシ…
ベテランJリーガーの決断
~彼らはなぜ「現役」にこだわるのか
第4回:明神智和(AC長野パルセイロ)/前編
日本中が熱狂につつまれたW杯ロシア大会。16年前、2002年の日韓大会に日本代表の一員として出場し、チームを率いるフィリップ・トルシエ監督をして「3人の個性派と8人の”明神”がいれば、チームは勝てる」と言わしめた明神智和は、その戦いを1サッカーファンとして静かに見ていた。
聞けば、大会前こそ、W杯に関する取材を受けて過去が蘇(よみがえ)ることもあったらしいが、それがなければ、当時を思い出すことは「ほぼない」という。理由は「あえて思い出さなくても、必要なことは経験値として、自分(の中)に蓄積されているはずだから」。
1996年にプロとしてのキャリアをスタートして23年。現に、明神の中には多くの経験値が財産として刻まれているからこそ、今も戦いを続けている――。
J3のAC長野パルセイロでプレーしている明神智和
取材は、W杯ロシア大会に関する質問で始まった。というのも、今大会に出場する日本代表は、柏レイソル時代に3年半、ガンバ大阪時代には6年にわたって、ともに仕事をしてきた恩師、西野朗氏が率いていたこと。また、2002年には自身も日本代表としてその舞台を経験しているなかで、今回の日本代表の戦いが彼の目にどう映っていたのか、知りたかったからだ。
「正直に言っていいですか?」と前置きしたあと、明神からはこんな言葉が投げ返された。
「グループリーグ初戦のコロンビア戦は見ました。でも、2戦目のセネガル戦は……睡魔に負けて眠ってしまった。『ヤバッ!』と思って起きたら、すでに3時で試合が終わっていて……録画では観たんですけど。
西野さんが監督だったので、興味は大きかったんですが、翌日の練習を考えれば、睡眠のサイクルを崩したくないというのもあり……。それは今回に限らず、自分にとって日本代表が現実的でなくなってからは、ずっとそんな感じです」
さらりと言ったその言葉に引っかかり、「今、日本代表は目指している場所ではないですか?」と尋ねると、即答だった。
「目指していません」
そう考えるようになったのは、ガンバでのキャリアが終わりに差しかかった頃からだ。もっとも彼の場合、若いときから「日本代表に入りたいから、サッカーをがんばるという感覚はなかった」が、現実的に所属チームで控えに回ることが増え、出場時間が短くなるにつれ、自然と頭の中から、そのワードは消えていった。
「日本代表は、日本のトップクラスの選手が身を置く場所。僕の中ではJ1で、スタメンでバリバリ試合を戦えなくなった、イコール、そこを問える自分じゃないと思っています。もちろん、今でもトップリーグでガンガン試合に出ていたら、そうは言わないと思うけど、僕が今戦っているのはJ3ですからね。日本代表を現実的に考えられる場所ではない。
ただ、だからといって、昔も今も、自分がやっていることは変わっていないし、サッカーへの向き合い方、うまくなりたいという向上心、サッカーの楽しさも変わっていません。ステージが下がっても、若い選手のプレーを見て『ああ、そういうプレーもあるのか!』と学ぶこともたくさんある。
そう言うと、『J1でやっていた選手でも?』って驚かれるけど、僕はそうは思わない。これは、実際にJ3で戦って感じたことですが、J1とJ3の選手の違いって、結局、精度の高いプレーの成功の確率(の差)だと思うんです。J1の選手なら10回やって8回成功するプレーが、J3の選手は多くてその半分しか成功できない。
でも、できないわけでは決してないんですよ。だからこそ、そのいいプレーを自分が見逃さなければ、この舞台で学ぶことも、成長することもできる。そこは、自分の意識次第だと思っています」
明神がAC長野パルセイロに移籍したのは、昨シーズンのこと。それまで所属した3クラブはすべてJ1クラブだったため、一気に2つもステージを下げることになったが、「戦うカテゴリーにはまったく抵抗がなかった」という。自分のなかで決めていた、現役続行のための”3つの要素”さえ満たせば、戦う場所は関係なかった。
「現役を『やりたい』と思う自分の気持ち。『やれる』という自信。そして、やらせてくれるチーム、つまり僕を獲得してくれるチームがあるか」
過去2度の移籍でも、自分を見つめ直す材料となったこの3つは、今回の移籍でも判断基準となり、それがそろっていたから移籍を決めた。
とはいえ、不安がなかったわけではない。最初の2つは自分自身と向き合うことですぐに答えが出たが、『獲得してくれるチームがあるか』は自分ではどうしようもないことだからだ。
事実、近年引退を決めた選手のなかには、そこがネックとなり、ユニフォームを脱いだ選手も多い。さらにいうならば、オファーはあっても、金銭面で折り合わないこともある。
明神もそこを問わないわけではなかったが、最終的には長野パルセイロがJ3クラブでは数少ない、全選手とプロ契約しているチームだということが決め手となり、移籍を決断した。
「厳密には、2、3選手はパルセイロのスクールでの指導をかけ持ちしていますが、自分で働き口を探して(他の)仕事をしながらサッカーをしている選手はいません。
もちろん、J1に比べると金額は大幅に違いますが、全選手がサッカーをしてお金をもらうことへの責任を背負ってプレーできる環境だということは、J2昇格という目標を達成するうえでもそうですし、僕にとってすごく大きなポイントでした」
そうはいっても、クラブの資金力にはJ1のクラブとは大きな違いがあり、それに伴って、環境面はこれまで所属したクラブとは激変した。
実際、加入したての頃は、クラブハウスや練習場などの設備、チームを取り巻くさまざまな環境に驚かされたこともある。それでも、「そこにストレスを感じたのはほんの一瞬で、すぐに消化できた」と、明神は笑う。
「パルセイロに来て、逆の意味で過去に所属したチームでは味わったことのない経験をたくさんしていますが、僕自身は、それを新鮮に受け止めているというか。そもそも、変えられないことに文句をいっても仕方ないですしね。
(J1のクラブよりも)環境悪なことも覚悟してここに来ている以上、ベテランの自分が不満を言うことが、チームにとってプラスになるとも思わない。もちろん、僕なりにチームがJ2を目指すうえで必要だと感じたことは発言していきたいと思っていますが、J3という今のステージで、クラブ側がすべてを一度に変えられない、というのも理解できる。
だからこそ、まずは選手として、”J2昇格”を実現する力になることが先決だな、と。そうすれば、環境面も間違いなく変わっていくはずだから」
(つづく)