フットボール・オーナーズファイル(1) 昨夏、『The Billionaires Club - The Unstoppable Rise of Football’s Super-rich Owners』と題された意欲作がイギ…
フットボール・オーナーズファイル(1)
昨夏、『The Billionaires Club - The Unstoppable Rise of Football’s Super-rich Owners』と題された意欲作がイギリスで出版された。『フィナンシャル・タイムズ』紙が「ピッチ外の情勢に興味のある多くのフットボールファンが、すっかり引き込まれてしまう本だ」と評したこの本は、現在のトップクラブのオーナーたちの横顔を紹介しながら、彼らが天文学的な金額を投じてクラブを買った動機に迫っている。
今回、著者である記者のジェームス・モンターギュ氏が、連載形式でスポルティーバに寄稿する。第1回は、ビリオネアとフットボールが密接に結びつく流れを作った人物、ロマン・アブラモビッチだ。
チェルシーのオーナーを務めるロマン・アブラモビッチ
photo by AFP/AFLO
ロマン・アブラモビッチ/チェルシー
ロマン・アルカディエビチ・アブラモビッチ。このロシア人の富豪が2003年にプレミアリーグのチェルシーを買収したとき、ロシア国外に彼の素性を知る者はほとんどいなかった。公の場でシャイな笑顔を見せる若きビリオネアは当時、ロシア最北東端の凍(い)てつく自治管区の知事を務めており、それまでに石油や天然ガスで莫大な資産を築いていた。
のちにBBCのインタビューに応じ、フットボールクラブを買おうと思った動機を「日々に飽きていたし、新たな挑戦を求めていたからだ」と語っている。それは額面どおりに受けとれるものだろうか。
アブラモビッチには、チェルシー以外にも選択肢があった。フットボール界で大きな力を持つイスラエル人のスーパーエージェント、ピニ・ザハビに相談を持ちかけると、ポーツマスやマンチェスター・ユナイテッドなどを提案されたという。
そして、チェルシーにも可能性があると教えられると、彼はそこに利点を見出した。ブルーズ(チェルシーの愛称)が本拠とするロンドンには、ロシア人の裕福なエリートたちのコミュニティがあり、彼もそこに豪奢(ごうしゃ)な住居を保有している。そしてなにより、当時のチェルシーの財政は目も当てられないほどひどい状況にあった。
1982年に当時2部のチェルシーをたったの1ポンドで買ったケン・ベイツ元会長は、クラブの近代化を推し進めてきたが、2003年には負債が膨らんで多額の返済に窮していた。そこに現れたアブラモビッチは、チェルシーの元CEOトレバー・バーチによると、「ものの15分で」買収の契約をまとめたという(訳者注:BBCによると買収額は1億4000万ポンド=当時の為替レートで約276億円)。
1966年にボルガ川流域のサラトフで、ユダヤ系の家庭に生を受けたアブラモビッチは、恵まれない幼少期を過ごした。3歳のときに孤児となり、その後は親戚の家で育てられ、モスクワの祖母のもとに落ち着いた。エンジニアリングを学んだ後(ただし卒業を証明するものは存在しない)、ロシア陸軍に入隊した。
アブラモビッチが陸軍を除隊した1986年、世界は激動のさなかにあった。ソ連のミハイル・ゴルバチョフ大統領が「グラスノスチ(情報公開)」と「ペレストロイカ(政治経済の再構築)」を掲げ、行き詰まったソ連に改革を起こそうとしていた頃だ。
この動乱のなか、アブラモビッチは謙虚で愛らしい笑顔をもってうまく立ち回り、複数のビジネスの機会を得た。モスクワのアパートで作っていたゴム製のアヒルのおもちゃがヒットし、飛躍の足がかりとなる財を築いたという。
そして1991年にソ連が崩壊すると、野心高き実業家は、壮大で時に物騒なビジネスに進出した。ロシアが潤沢に備える天然資源、原油の輸出に携わり始めたのである。オイル業界は危険をはらんでいたものの、特大の実りをもたらすこともわかっていた。
1993年、ロシア実業界で名前を知られ始めていたアブラモビッチは、ソ連崩壊後のロシアのトップビジネスマンたちが集う、カリブ海でのヨット会合に誘われた。そこで、ソ連産の自動車の輸出などで財を成した数学の天才、ボリス・ベレゾフスキーと出会った。
すぐに意気投合した2人は、その運命の日にビジネスパートナーとなることを誓い合い、自分たちがひとつの会社を設立し、そのもとで原油の抽出と精製を担う複数の企業をグループ化して統括することを決めた。
これは、今となっては悪名高い「分配のためのローン(Loans for Shares)」プログラムによるものだ。ロシアの初代大統領ボリス・エリツィンが、自由市場への痛みの伴う改革を強行するために採用したものだった。
1996年、エリツィンは再選の選挙戦に臨んでいたが、対立候補は手強い相手だったため、エリツィンはポジティブなキャンペーンとより多くのカネを必要とした。そこで、彼はロシアのニューリッチ、「オリガルヒ」たちと取引をした。新興の大富豪たちはエリツィンの再選を確約し、その見返りとして、元国営企業の民営化の権利を譲り受けることが約束された。
エリツィンの選挙事務所の金庫は膨れ上がり、オリガルヒたちが所有するメディアでは連日、彼に好意的な報道が流れた。そして約束どおりにエリツィンが再選すると、ロシアで最も資産価値の高い権益が、信じがたいほど廉価(れんか)でオリガルヒたちの手に渡ったのである。
アブラモビッチとベレゾフスキーは、石油精製企業シブネフチ(現ガスプロムネフチ)を、たったの1億ドルで購入──当時の実際の評価額はおよそ30億ドルだった。多くのロシア国民が食べるものにも困っている頃、彼らはこの契約でビリオネアの仲間入りを果たした。エリツィン政権下では、多くのオリガルヒがとてつもない財力を握るようになり、国民の大多数から蔑視(べっし)されていた。
1990年代終盤になると、エリツィンはアルコール依存症とそれに伴う体調不良に悩まされ、1998年の経済危機などにより人気は急落。翌1999年に大統領の座を退いた。
その後任に指名されたのが、ウラジーミル・プーチンだ。KGB工作員として東ベルリンに駐在した経歴を持ち、その後、サンクトペテルブルクで力を蓄えた現大統領である。
ところが、”エリツィン・ファミリー”のなかには、この指名に不満を持つ者もいた。アブラモビッチのパートナーであるベレゾフスキーや、当時のロシアで最も高額な総資産を保持していたミハイル・ホドルコフスキーらは権力への野望を隠そうとせず、プーチンの力を過小評価していた。
しかし、鼻の利くアブラモビッチは、本当のパワーがどこにあるのかを察知し、プーチンに寄り添った──新大統領は「オリガルヒが不当に手にした企業や利権を国営に戻す」と宣言していたにもかかわらず。
そして、プーチンと対立するオリガルヒたちは脱税などを理由に次々に逮捕され、資産を奪われていった。オリガルヒが自分の資産を保持したいのであれば、プーチンに絶対の忠誠を捧げなければならない。そこには当然、政治的な野心の放棄も含まれている。失脚し、現在は亡命している元オリガルヒたちによると、敬意を”形”で示す必要もあったという。
アブラモビッチら親プーチン派のオリガルヒたちは、大統領主導のプロジェクトに数百万ドルを献上したと言われている。「プーチンパレス」と呼ばれる黒海の宮殿の建設費や、「オリンピア」と名付けられた最新鋭のヨットの贈り物などが含まれると伝えられるが、アブラモビッチはこれを認めていない。BBCの報道番組『パノラマ』が2016年にこの件を再び主張すると、彼の弁護士は「憶測や噂の焼き直しにすぎない」と否定している。
一方、アブラモビッチのかつての師であり相棒だったベレゾフスキーは、一貫してプーチンに否定的な発言を繰り返し、貢物を断ったことも声高に明かした。プーチンとアブラモビッチと敵対することになった彼は、ロシア国内での生活に身の危険を感じ、2003年にイギリスへ亡命。そして2011年には、アブラモビッチを相手取り、イギリス史上最大の訴訟を起こした。
ベレゾフスキーの主張は、「プーチンに命じられたアブラモビッチが、テレビ局を初めとするベレゾフスキーの資産を奪い取ろうとした」というもの。アブラモビッチはこれを断固として否定した。
最終的に、数十億ドルにのぼる賠償を求めたベレゾフスキーの主張は、証拠不十分で退けられた。ただしこの訴訟により、ロシアのオリガルヒたちがどのようにして資産を守り、別のオリガルヒたちがいかにしてそれを奪われたのかが明るみになった。
この訴訟を綿密に取材したロシア人のベテラン記者、マーシャ・ゲッセンはアメリカの月刊誌『ヴァニティ・フェア』に次のように書いた。
「自身を擁護するなかで、アブラモビッチは重要な告白をしている。(中略)プーチンと敵対すれば、ロシアにおけるビジネスとそれを運営する者は、危険に晒されるということを」
訴訟が終わってから約1年後、ベレゾフスキーはイギリス国内の自宅で、死体で発見された。首吊り自殺とみられているが、検死官は「死因不明の評決(open verdict)」としている。
それに対してアブラモビッチは、”プーチン・サークル”の重要人物になっていった。2005年にシブネフチをガスプロムに131億ドルで売却して世界有数の資産家となり、2000年から2008年までチュクチ自治管区の知事を務めた。そして2010年まで続いた2018年W杯招致活動では、中心人物のひとりとしてロシアでのW杯開催を実現させている。
ただし、彼の投資や役割のうち、世界でもっとも知られているのはチェルシーのオーナーとしての顔だ。買収後の10年間でおよそ20億ポンドを費やし、チームを真の強豪に仕立て上げた。2003年にアブラモビッチがオーナーとなってから、ロンドンのブルーズはイングランドでもっとも多くのタイトルを獲得し、そこにはクラブの悲願だったチャンピオンズリーグ(2011-12シーズン)も含まれる。
アメリカの経済誌『フォーブス』によると、チェルシーはユベントスやミラン、リバプールらを抑えて、世界で7番目に資産価値の高いサッカークラブだ。そして、現在改装中の本拠地スタンフォード・ブリッジは、最新鋭の設備を持つスタジアムに生まれ変わろうとしている。チェルシーのサポーターは、これまで以上にこのロシア人オーナーを崇拝するだろう。
アブラモビッチがチェルシーを買った理由は不透明だ。彼はあまり表に出ようとしないし、ベールに包まれている部分は大きい。ただ、ここにひとつの事実がある。”エリツィン・サークル”の多くが財産を奪われ、国外に逃亡せざるをえず、なかには奇妙な最期を迎えた者もいる。ロシアの新興財閥たち、オリガルヒはほぼ制圧されたと言われる一方で、アブラモビッチは資産を保持したままだ。
もしかしたら、チェルシーを買ったことが何かの説明になりはしまいか。世界中に知られるフットボールクラブのオーナーとなれば、国際的な知名度を得ることになる。それほど注目される人物には、手出しはしにくい。つまり、自身と資産を守るための”高額な保険”だったのではないか。
いずれにせよ、アブラモビッチがチェルシーを世界的なスーパークラブに変貌させたことは事実だ。そしてまた、フットボールのオーナーシップのあり方も決定的に変えた。以降、彼を追うように、世界中のビリオネアたちが欧州のトップクラブの経営権を手中に収めていく──。