「絶対勝ちましょう!」――。 猶本光は円陣から最後のピッチへと飛び出していった。7月8日、なでしこリーグカップ第9節、猶本は、この試合を最後に浦和レッズレディースから旅立つ。かねてより目標のひとつに掲げていたドイツへの移籍を叶えるのだ。…
「絶対勝ちましょう!」――。
猶本光は円陣から最後のピッチへと飛び出していった。7月8日、なでしこリーグカップ第9節、猶本は、この試合を最後に浦和レッズレディースから旅立つ。かねてより目標のひとつに掲げていたドイツへの移籍を叶えるのだ。ラストマッチは、今シーズン一度も勝てていない日テレ・ベレーザ戦。相手に不足はない。
浦和レッズでの最後の試合を勝ちで締めくくった
ウォーミングアップ時も、開始直前のピッチでも、猶本は終始、感傷的にならないよう”いつも通り”を貫き、周りの意気込みの方が浮いてしまうほどだった。
猶本曰く、”無失点でワンチャンス作戦”が功を奏した。速い組み立てのベレーザの攻撃をとにかく粘り強い守備で跳ね返した浦和。猶本はボランチとして出場。何度もポジションを取り直し、バランスを取り続けた。狙い通りの”ワンチャンス”が来たのは48分。待望の先制点は「最高のボールだった」と頭で合わせた長船加奈も言う猶本の左CKから生まれた。
猶本にとっては苦手なサイドのCKで、「あれ、(猶本が)金曜日にCKの練習をしたいと言って、やってたんですよ。決まってよかった」と自分のことのように喜んだのはともにフィジカルトレーニングなどを積んできた安藤梢だ。
「体も技術も成長しているけど、やっぱりメンタル面が一番強くなった。これ(今日の勝利)がドイツへ挑戦する自信につながればいい」と、最後まで苦手なプレーを克服しようとする猶本の姿に目を細めていた。
本人は平常心であっても、周りの選手たちの想いは熱かった。チームは暑さの影響で後半には足が止まりかけた。それでも、ベレーザ攻撃陣の侵入を全身で跳ね返し続け、トップから最終ラインまで、その意識だけは一度も途切れなかった。
そんな浦和に”2チャンス”目がやってきたのは終了間際。ユースから上がってきた高橋はなが、DF裏のスペースへ抜け出し、ドリブルから一気にフィニッシュへ。うれしい初ゴールで若手の台頭である高橋が猶本の花道を飾った。終了を告げるホイッスルとともに仲間に囲まれる猶本。ようやく、安堵の笑顔がこぼれた。
ユース年代から代表を経験してきた猶本。何が壁なのか実感がなかった10代のときに、世界一へ駆け上がるなでしこジャパンを目の当たりにした。同じボランチというポジションで輝く澤穂希にくぎ付けになった。
世代別とはいえ、日の丸を背負った猶本の口から、”世界”と”優勝”という言葉が頻繁に出始めたのはこの頃からだ。明確な目標が彼女の中に生まれていた。そして2012年、ロンドンオリンピックでなでしこジャパンが銀メダルを獲得した直後に日本で開催されたFIFA U-20女子ワールドカップでは3位という成績を手にした。
世の中では”ヤングなでしこ”として実力以上にもてはやされた。このことは、猶本だけでなく、同じピッチに立っていた選手たちにあまりいい影響は与えていないように見えた。ただひとつ得たものといえば、準決勝でドイツに完敗したことで、世界との差を痛烈に体感したこと。その壁が猶本だけでなく、この世代の選手たちの新たな目標になったことは間違いない。
そして今、猶本はなでしこジャパンでプレーするチャンスを与えられている選手の1人になった。もちろんチームの中心となるには、まだまだ越えなければならない壁は多い。これまであったチャンスも掴み切れたことの方が少ないかもしれない。それでも努力することだけは厭(いと)わなかった。
「24時間サッカーのことを考えて生活していた」と迷いなく言い切る猶本。フィジカル、スピードも時間をかけて強化した。何より体格差のある海外の選手との1対1においても球際に鋭さが生まれた。一歩ずつ着実に重ねてきた。ドイツのフライブルクという自分のプレースタイルと重なるチームに巡り合ったことで海外へ挑戦する状況は整った。
最後まで笑顔で浦和レッズでの試合を終えた猶本光(中央)
その成長のすべてが詰まったプレーがこの日の試合であった。安藤が左サイドハーフに入ったことで、猶本と安藤の並びが実現。周りの足が止まっていく後半、ベレーザのエース・田中美南が得意のドリブルでスピードアップする中、先にマークに入ったのは安藤だった。
その直後、反対側には猶本がピタリとついて田中を挟み、攻撃の糸口を断った。かつては安藤と同じトレーニングメニューをこなすことすらできなかった猶本。スピード、判断、タイミングすべてにおいて安藤と呼応していなければ奪えないシーンだった。
試合後、スタンドのファン・サポーターへ向けてマイクを握った猶本。人気が先行し、実力が伴っていないことへの歯がゆさや、ビッグクラブならではの観客の多さ、声援の大きさに驚きながらもその力に後押しされてきたこと、一つひとつを自分の言葉で伝えていく。
これまで、感情が溢れたときは涙をこらえることができなかった。今か今かと次々に彼女の顔をのぞきこみ、涙の有無を確認するチームメイトに「泣いてないから!」と笑顔で応える猶本。最後まで涙はなく、笑顔で「行ってきます!」と締めくくったことに、彼女の決意を見た気がした。
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