専門誌では読めない雑学コラム木村和久の「お気楽ゴルフ」連載●第162回 苦節100年、ようやくアマチュアゴルファーの時代が到来しました――といっても、何を言っているのか、チンプンカンプンだと思いますので、順を追って説明します。 ちょうど…

専門誌では読めない雑学コラム
木村和久の「お気楽ゴルフ」連載●第162回

 苦節100年、ようやくアマチュアゴルファーの時代が到来しました――といっても、何を言っているのか、チンプンカンプンだと思いますので、順を追って説明します。

 ちょうどタイミングよく(?)片山晋呉選手の”プロアマ騒動”が起きましたよね。あれは、プロアマ競技における、プロとアマの”ヒエラルキー”の衝突と見ています。

 結果、アマチュア側が勝利して、プロはアマチュアに対して礼儀を尽くし、懇切丁寧に指導し、ゲストとしてもてなすことが決定しました。

 片山選手がどれだけのことをしたかというと、ちょっと愛想のない、練習熱心な選手の暴走ぐらいなものでしょう。重大な違反をしたわけではありません。もし私もそのプロアマに一緒に参加していたら、たぶん「無愛想だけど、こんなもの」って感じるぐらいだったと思います。

 過去に何度かプロアマ競技に出させてもらったことがありますが、「練習ラウンド」と称して、打ち直しているプロもいましたよ。昔のプロアマは、「プロの練習ラウンドを間近で見られる」くらいの扱いで、アマチュアとしては「いやぁ~、いいものを見させてもらいました」と、参加しただけで大感激だったのです。

 だから、片山選手がひとり残ってグリーンでパターの練習をしていたのなら、むしろアマチュアも一緒に残って練習するほうが自然です。ルール上、後続組が来ていない限りは可能ですし。

 私も以前、『日本ゴルフツアー選手権 森ビルカップ』の試合セッティングでラウンドしたことがあります。あまりの高速グリーンに、今年の全米オープン並みの結果でした。つまり、3パット、4パットばかりでした。

 片山選手がもう少し面倒見がよかったら、「せっかくなので、トーナメントのグリーンのタッチを味わってください」などと言って一緒に練習をすれば、丸く収まっていたような気もしますね。

 今回、片山選手と一緒にラウンドした方は、片山選手とのラウンドを自らリクエストしていたそうです。頼んでラウンドできる立場って、相当なセレブな方だと思います。

 ここからは私の想像ですが、おそらく今回は”狙い打ち”した感もあるのではないでしょうか。要するに、わざと事件を起こして、片山選手を懲らしめて、プロアマの仕組みを変えよう、とね。その結果”大事件”となって、低迷する男子プロトーナメントのイメージ改善にも、ひと役買ったというわけです。

 ということで、日本のゴルフ界の”プロアマ攻防戦”100年史をひも解いていきたいと思います。

(1)本来、ゴルフはアマチュアのものだった
 調べればわかりますが、ゴルファーは最初にアマチュアがいて、プロはあとから生まれています。

 1903年、日本最初のゴルフ場が神戸に誕生します。それが、アマチュアの始まりです。

 日本で初めてプロが誕生したのは、1920年。最初のプロは福井覚治とされており、同期に宮本留吉などそうそうたるメンバーがいます。

 ただし、プロゴルファーが大々的に活躍するのは、1957年のカナダカップからです。その年にPGA(日本プロゴルフ協会)が創設され、霞ヶ関カンツリー倶楽部で同大会が開催されました。

 大会では、サム・スニード(アメリカ)やゲーリー・プレーヤー(南アフリカ)らを相手に、我らが中村寅吉&小野光一ペアが大奮闘。個人と団体で優勝を飾ったのです。

 もはや、力道山のプロレスみたいな熱狂ぶりで、そこから日本はゴルフブームに沸くのです。

 とはいえ、同大会の裏事情を明かせば、体格的に外国人選手には敵わないから、”高麗グリーン”の霞ヶ関CCに誘い出して外国人を混乱させよう、という魂胆がありました。狙いは見事に的中し、高麗グリーンの曲がり具合に面食らって調子を崩す外国人選手が続出したそうです。

 それはそれとして、以降プロトーナメントがどんどん増えていくのですが、ゴルフ場ってアマチュアが運営するカントリー倶楽部のものでしょ。だから、ツアー側は借りたコースに礼を尽くさないといけないわけです。

“片山騒動”の試合会場は、森ビルグループが持つ宍戸ヒルズカントリークラブ。しかも、冠名が「森ビルカップ」。会場も、スポンサーも一緒です。そのスポンサーが招待したアマチュアをないがしろにするのは、やはりちょっといただけませんよね。

(2)プロを偉くさせたのは、ジャンボ尾崎選手
 戦後の高度経済成長とともに、日本のプロトーナメントは増加し、その最大のスターがジャンボ尾崎(将司)選手でした。

 プロ野球の”王&長嶋”並みのスター選手でしたが、ジャンボ選手は愛想が悪かった。本人は照れ屋で、喋りたがらない性格というのもあるのですが、そんなジャンボ選手の振る舞いが、日本の男子プロのスタンダードになってしまったのです。

 その遺伝子が”ミニ・ジャンボ化”して、現在も中堅男子プロの中にそういう選手が数名、存在しています。片山選手もジャンボを知る世代だから、その振る舞いを見て育ったのでしょう。

 もちろん、ジャンボさんみたいに100勝していたらいいですよ。それだけの実績を残しているのだから、仕方がありません。成績も中途半端で、振る舞いだけが”ジャンボ並み”。それが、一番いけないのではないでしょうか。

(3)強い人が威張る風潮をなんとかしないと
 以前、株の雑誌で億万長者の方のインタビューをしたことがあります。その方は当時50億円持っていたのですが、驚いたのは、その人がインタビュアーである私に対して、「ところで、(自分と)一緒に話をするあなたは、いったい何億円を持ってるの?」って聞いてきたことです。

 トレーダーの世界では”いくらお金を持っているか”が、絶対的な価値なんですな。それには、笑えましたね。

 それをゴルフ界に置き換えますと、”うまい人が絶対”の世界なのです。

 アマチュアはハンデ、プロは優勝回数や生涯獲得賞金でランクが決まります。

 我々アマチュアは知らない人とラウンドするとき、必ず「その人のハンデ、いくつなの?」って聞いたりしますよね。最初から、腕前でヒエラルキーを形成してしまっているわけです。

 だから、プロは弱いアマチュアに対して、威張って、ふんぞり返るんですね。そして、プロは”戦うソルジャー”ですから、アマチュアには容赦しません。

 無論、我々はプロに対して”リスペクト”をしなければいけません。けど、実力で世界に通用する日本人プロなんて、今でいえば松山英樹選手のみでしょ。他のプロは、実力だけ見れば、まったくリスペクトする気になれないんですよね。サッカーや野球の選手は、みんな世界レベルで戦っているだけになおさらです。

 にもかかわらず、ゴルフの男子プロって、強くもないくせに愛想が悪い。それじゃあ、なおさらリスペクトできないし、誰もそんな弱い面々が集まった試合を見ようとは思わないでしょ。それが、今ある現実です。



アマチュアはプロをリスペクトし、プロもアマチュアやファンを大事にすべきだと思いますけどね...

 この”うまい人は威張る”説は、アマの世界にもあります。トップアマは日本の男子プロと似た対応を取る人が多いです。あの、周囲を見下した視線は、もう耐えられないです。

 そんなにゴルフがうまいことが自慢ですかって。人をハンデでしか見ない風潮もどうかと思います。

 以前、シングルの若造とゴルフをしたのですが、途中までいい勝負をしていて、たまたま1打、こっちが勝っていました。そうしたら、その若造がぶんむくれて「あなた、嘘をついているでしょ。本当はシングルでしょ。すげぇ、騙された」って、吐き捨てるのです。

 それには、呆れました。別に「あんたとニギッてないじゃん」って思いましたよ。だいたい、最初から「おまえみたいな、メガネのヘボに負けるわけがない」という態度が頭にくるんですよね。

 結局、最後は僅差で若造が勝ったので機嫌もよくなっていましたが、もし負けていたら、私に対して罵詈雑言の嵐だったかも……。こういう人とは、2度と回りたくないですね。

 ちょっとハンデのいいアマチュアがこれですからね。たぶん、プロだったら誰でも、アベレージアマに負けたらブチ切れて、クラブを放り投げて帰るんじゃないですか。

 そこで、片山選手の復帰計画ですが、TBS系列で放送されている『ニンゲン観察バラエティ モニタリング』のゲストとして登場してもらうのはどうでしょう。企画としては、お爺ちゃんに変装したトップアマと一緒にプロアマに出場し、空振りを連発するその同伴プレーヤーに対して、片山選手がキレないか。それを、じっくり観察するわけですね。

 さらに後半は、逆にトップアマが本来の実力を発揮して、片山選手を追い詰めていく。そこでまた、片山選手がキレないかどうかテストする、という感じです。

 もしこれをクリアできたら、ツアーに復帰しましょうかね。

木村和久(きむら・かずひさ)
1959年6月19日生まれ。宮城県出身。株式をはじめ、恋愛や遊びなど、トレンドを読み解くコラムニストとして活躍。ゴルフ歴も長く、『週刊パーゴルフ』『月刊ゴルフダイジェスト』などの専門誌で連載を持つ。

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