日本代表はロシアワールドカップで2大会ぶりにグループリーグを突破した。決勝トーナメント1回戦のベルギー戦でも、敗れはしたが、非常に充実した内容の試合を繰り広げた。ロシアW杯で日本代表は素晴らしい戦いを見せたが... とはいえ、「終わり…

 日本代表はロシアワールドカップで2大会ぶりにグループリーグを突破した。決勝トーナメント1回戦のベルギー戦でも、敗れはしたが、非常に充実した内容の試合を繰り広げた。



ロシアW杯で日本代表は素晴らしい戦いを見せたが...

 とはいえ、「終わりよければすべてよし」で片づけてしまうことは、今後の強化のためにもいいこととは思えない。

 日本代表はワールドカップ本大会の2カ月前にヴァイッド・ハリルホジッチ監督を電撃解任し、西野朗監督を後任に据えた。

 新指揮官のもと、活動できた期間は本大会期間中を含めても1カ月程度。それを考えれば、本来ありえないほどの大きな成功を成し遂げたと言ってもいい(西野監督は「成功」という言葉を受け入れなかったが)。

 だが、なぜ大会直前に監督を代えなければいけなかったのか。なぜ1カ月程度の突貫工事で、4年に一度の大舞台に臨むことになってしまったのか。その問題をうやむやにしてはいけないはずだ。

 過程はどうあれ、結果がよかったのだから、いいじゃないかという見方もあるかもしれない。だが、1カ月の準備でこれだけできる力があるのだから、もっと計画的に4年という時間を使っていれば、ベルギーに勝っていたかもしれない、という視点は絶対に持つべきものだと思う。

 とにもかくにも、4年前のブラジル大会以降、日本代表の歩みは酷(ひど)いものだった。

 ブラジルでの惨敗を受け、マスコミをはじめとする世論は「自分たちのサッカー」という選手たちの言葉をあげつらい、茶化し、揶揄(やゆ)し、それまで積み上げてきたこと、すなわちポゼッション志向のサッカーを否定した。

 世論だけではない。日本サッカー協会もおそらく同じ考えだったのだろう。ハビエル・アギーレ監督を挟み、日本代表の指揮を託されたのは、フィジカルパワー重視で、縦への速さにこだわるハリルホジッチ監督だった。

 もちろん、ハリルホジッチ監督が求めるものは、日本人選手に不足している要素ではあった。だが、苦手の克服ばかりにこだわる手法ははなはだ疑問だった。彼が目指すサッカーは、アルジェリア代表には合っていたのかもしれないが、日本代表(日本人選手)との相性が一貫して悪かった。

 事実、ロシアの地で日本代表が展開したサッカーは、前監督時代のサッカーではなく、明らかに4年前の「自分たちのサッカー」の延長線上にあるものだ。

 はっきり言って、日本協会は監督の人選を誤った。そして、その誤りを正さないまま、ワールドカップ直前まで引っ張った。

 最後の最後で監督交代に踏み切った日本協会の田嶋幸三会長は、最悪の事態を招くギリギリのところで日本代表を救ったのかもしれない。だがその決断は、やはりもっと早く下されるべきだった。

 実際、決勝トーナメント1回戦での敗退は、突貫工事で作り上げたチームゆえの”欠陥”が最大の敗因だったと言ってもいい。

 確かに、今大会の日本代表の戦いぶりはすばらしかった。ただし、それはベルギー戦(とグループリーグ1、2戦目)で先発出場したメンバーでの話である。

 先発メンバーを6人も入れ替えたグループリーグ3戦目は、チームとしての機能性が失われ、また、選手交代にしても、全4試合を通じてさほど効果的なカードは用意されていなかった。チームの戦い方が固まる前に、23名のメンバーを決めなければならなかったのだから無理もないが、ベルギーが0-2の状況から、選手交代によって一気に流れを変えたのとは大きな違いがあった。

 わずかな期間の準備では、11人での連係を高めるので精一杯。1カ月でチームがこれほどの成長を見せたことは驚嘆に値するが、その一方で、短期の準備ゆえの限界を露呈したことも認めなければなるまい。

 また、本大会に入ると、日本代表の目標がどこにあるのか、はっきりしなくなったことも気になった。つまりは、大会途中から高望みし始めたように感じるのだ。

 田嶋会長は監督交代を決断した理由を「勝つ可能性を1、2パーセントでも上げるため」と語っていた。また、西野監督にしても登録メンバー発表の席上で「グループリーグは突破したい」と話している。当然、本大会での目標はグループリーグ突破だったはずである。

 にもかかわらず、大会途中、その目標がまだ達成もされていないうちにブレ始めた。

 日本代表は初戦で勝ち点3を手にした。グループリーグ突破が目標(だったはず)の西野監督は当然、先発メンバーを変えることなく第2戦に臨んだ。その結果、勝つことはできなかったが、初戦を上回るような内容で勝ち点1を上積みできた。

 大会前の目標から言えば、第3戦もメンバーを変える必要はなかった。勝てばもちろん、引き分けでも自力でのグループリーグ突破が決まる。つまり、目標は達成されるのだ。

 ところが、第3戦では大幅にメンバーが入れ替わった。

「自分としては(グループリーグを)突破したあとの今日のゲームを、チーム力を万全にするなかで戦いたかった。今までの2回(2002年大会、2010年大会での決勝トーナメント1回戦)とは違う感覚で臨ませたかった」

 西野監督はベルギー戦後にそう話していたが、つまりはグループリーグで力を出し尽くすのではなく、決勝トーナメントに余力を残したかったということだ。

 第3戦での選手の入れ替えを、指揮官の”英断”とする意見もある。ここで主力を休ませていなかったら、ベルギー戦があれほどの試合にはならなかったかもしれない。

 もちろん、当初からベスト8進出が目標だったのなら、大いに賛同する。しかし、1、2戦目はまったく同じメンバーで戦いながら、3戦目になって突然大きく入れ替えたあたりに、大会途中で欲が生まれたことを想像させる。

 その結果、当初の目標=決勝トーナメント進出達成が一時は遠ざかり、最後は”他力”に委ねられることになった。せっかく手にしたチャンスを無駄にする可能性が、決して小さくはない確率であったのだ。これでは、本末転倒である。

 4年という時間の大半を誤った指針のもとに費やし、最終手段の突貫工事も、実は目標がはっきりしていなかった。

 結果的にグループリーグを突破し、しかも決勝トーナメント1回戦では日本サッカー史に残るような名勝負を繰り広げる大団円に終わった今大会も、そこに少なからず結果オーライの感があることは否めない。

 今回のワールドカップで日本代表が示した成果は、臨戦過程を考えれば、期待をはるかに上回るものだった。日本代表は、そして日本人選手は、これだけのことができる可能性を秘めていることを示してくれた。

 だからこそ、思う。4年という時間をもっと有効に使い、最善の準備ができていたら、結果はどうなっていたのだろうか、と。

 この4年間、やるべきことをやり尽くしたとしても、今回を上回る結果を残せた保証はない。だが、その過程があるとないとでは、同じ結果を残すにしても、あとにつながるものには大きな違いがあるように思う。