私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第7回出番のない「第3GK」として招集されて~川口能活(2)(1)から読む>> 南アフリカW杯の日本代表メンバー23名の中に入った川口能活だが、岡田武史監督から指定されたポジションは”…
私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第7回
出番のない「第3GK」として招集されて~川口能活(2)
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南アフリカW杯の日本代表メンバー23名の中に入った川口能活だが、岡田武史監督から指定されたポジションは”第3GK”であり、”チームキャプテン”としてチームをまとめるという、非常に難しいミッションを託された。
それでも、およそ1年4カ月ぶりに合流した日本代表は、やはり「特別だ」と感じられる場所だった。
「チームに合流したときは、うれしかったですね。代表を外されてから、悔しさを噛み締めつつも、自分が招集されたときのために、このメンバーと一緒に戦う際にはどうしたらいいか、ということをシミュレーションしながら、テレビで試合を見ていましたから。だから、合流しても違和感はなかったし、逆に(代表から)少し離れていたことで、新鮮に感じられました」
代表に合流し、全力でトレーニングに取り組んだ川口能活。photo by YUTAKA/AFLO SPORT
その一方で、川口は岡田監督からのミッションを果たすべく、選手たちにどう対応すべきか、少し悩んでいた。脳裏に浮かぶのは、過去に3度経験したW杯において、唯一結果が出て、成功したと言える2002年の日韓共催大会のことだった。
「日韓共催W杯のときは、中山(雅史)さんや秋田(豊)さんが、ベテランとしてうまくチームをまとめていました。日本が勝つためには、そういう選手が絶対に必要だと思っていました。ただ、僕は中山さんや秋田さんのようなキャラじゃない。中山さんのように笑いが取れるわけではないですからね。
それでいろいろと悩みましたが、(自分は)特別なことはできないので、自分は自分らしく、練習を100%でやった。試合に出るための準備や姿勢をしっかり見せて、若い(本田)圭佑や(長友)佑都らに声をかけたりして、(みんなが)いい雰囲気でプレーできるように心がけました」
しかし、チームの雰囲気は決してよくなかった。4月の親善試合でセルビアに完敗を喫し、壮行試合となる日韓戦でも0-2と敗れた。川口は自らが代表にいたときとは明らかに違う空気をチーム内に感じていた。
「僕が合流したときは、親善試合で勝てない試合が続いて、チームに余裕がなかったですね。プレーの中でのズレもあった。みんな、言いたいことがあるのに何も言えない、といった感じでした。
たぶん、僕が(チームに)入る前からそういう感じだったんだと思います。(W杯メンバーの)選考の最中では、なかなか言いたいことも言えないし、要求もできないですから。そうして積み重なってきたものが、チームの雰囲気に出ていました」
そうして、暗いムードのまま、チームは合宿地となるスイスに向かった。
現地での練習2日目、チームのシステムが4-2-3-1から、阿部勇樹をアンカーに置く4-1-4-1に変更された。ピッチ内には、”エース”である中村俊輔の姿はなく、GKも楢崎正剛から川島永嗣に代わった。
「ここにきて、シュン(中村俊輔)や正剛を外すのかって驚きが、チーム全体にありました。僕もそう思いました。当初は、永嗣の起用も(大会前の)テストマッチ用だろうと思っていたし、阿部ちゃんのアンカーもオプションのひとつだと思っていて、まさかこのままいくとは思っていなかった。あれは、岡田さんの”賭け”だったと思います」
大会直前の選手を含めたシステムの大幅な刷新は、さすがにチーム内に大きな動揺を生んだ。チームが揺れるなか、危うい空気を察した川口は、その日の夜、宿舎で選手だけのミーティングを開いた。
「みんな、言いたいことも言えず、(いろいろなものが)たまっていた。ガス抜きじゃないけど、(選手だけのミーティングを開いて)お互いに意見をぶつけてみれば、まとまるかなと思ったんです。
ミーティングの最後に(田中マルクス)闘莉王が『俺らは下手くそなんだから、気持ちを出して、泥臭くやるしかなんいだ』と言ったんですが、そのときにチームがまとまったかというと、そこまでには至らなかった。まだチームが変わり始めたばかり。雰囲気はそれほど変わらないまま、(その日のミーティングは)終わった感じでした」
それから3日後、チームは大幅に刷新されたメンバーとシステムでイングランドとのテストマッチに臨んだ。さらに、キャプテンも中澤佑二から長谷部誠に代わった。その後に行なわれたコートジボワール戦も同様だった。
その結果、それまで主力だった選手の多くがピッチから離れることになった。だが、意外にもチームの雰囲気は悪くならなかった。レギュラーの座を奪われた選手たちが、献身的にチームを支えていたからだ。その姿を見て、川口は心が震えたという。
「レギュラーメンバーの入れ替えがあると、チームはすごく難しくなる。自分が中心でやってきた選手からすると、受け入れ難い状況だと思いますから、どうしてもギクシャクしてしまう。それは、選手の心理として、当然だと思うんです。
でも、あのときはそうはならなかった。正剛とは特に話はしなかったけど、同じGKだし、(楢崎の)気持ちは痛いほどわかった。大会前に代えられるのは本当につらかったと思うけど、しっかりとセルフコントロールしていた。
シュンも内心では『なにくそ』と思っていただろうけど、そんな態度は一切見せなかった。あのチームはもともとシュンのチームだったから、本当に(気持ちを整理するのは)大変だったと思うけど、自己犠牲の精神でチームを支えていた。日本代表チームの一員として見せた、あそこでの姿は本当に立派でしたね」
南アフリカW杯直前のチームの様子を語る川口
南アフリカのベースキャンプ地であるジョージに入ると、川口は中澤、楢崎、中村らと”散歩隊”を作って、広いゴルフコースを歩いた。そして、食事のテーブルには、主力からサブに転じた選手たちが自然と集まるようになっていた。
そこで、川口は誰もがストレスをためないように振る舞った。練習でも、いつも以上に全力でやることを心がけ、サブとなった面々を引っ張っていった。一方で、若くしてレギュラーの座をつかんだ本田や長友には、「思い切ってやれ」と積極的に声をかけた。
劇的に変化し続けるチームであっても、その士気が落ちることはなかった。岡田監督の期待どおり、川口はチームのまとめ役を果たしたのだ。
ジョージに入って数日後、川口は岡田監督に再び部屋に呼ばれた。
「選手はどうだ?」
岡田監督にそう訊かれて、川口はこう言った。
「動きはよくなっていると思います」
「(テストマッチのコートジボワールとの)試合を見て、どう思った」
岡田監督からそう質問されると、こう答えた。
「ちょっと相手が強かったのもありますが、結果が出ていないので、そこでの不安はあるかもしれません」
イングランドに1-2で敗れたあと、コートジボワールには0-2で負けた。とりわけコートジボワール戦は、相手に一方的にやられて、内容的には0-2というスコア以上に何もできなかった。
だが、岡田監督は自信ありげにこう言い返した。
「そうか。でも、俺は手応えを感じているんだよね」
合宿地のスイスにいたときとはまるで違う岡田監督の表情を見て、川口は驚いた。岡田監督は何か達観したような、落ち着いた表情をしていたのだ。
「スイスでメンバーを切り替えた時点では、選手の組み合わせやコンディションなどを含めて、(岡田監督には)メンバーにまだ迷いがあるようでした。そしてその後、イングランドに負けて、コートジボワールにも負けて、僕はこのままじゃあ、正直きついなって思っていた。
でも、(コートジボワール戦後に)岡田さんの部屋で話をしたときは、(岡田監督自身)いろいろなことが吹っ切れていて、手応えをつかんでいる様子でした。『もう、これでいく』と覚悟を決めていたんだと思います。『やれる!』という自信に満ちあふれていましたね」
大会前、最後の練習試合となるジンバブエ戦を終えると、その翌日はオフとなった。
「とにかく、休め。ゴルフでも、なんでもいいから、リラックスしろ」
選手たちに向かってそう言った岡田監督の表情に、川口はこれまでにない余裕を感じた。
指揮官の自信は、選手たちに伝播していくものだ。
ひょっとしたら、この大会、イケるかも――。
南アフリカW杯の初戦となるカメルーン戦の決戦前夜、川口はそう感じていた。
(つづく)