日曜の昼下がり、モスクワの街は静かだった。 数時間後にはワールドカップ決勝トーナメント1回戦、地元ロシアが優勝候補スペインに挑む大一番が控えているというのに、レストランやバーが立ち並ぶ中心部の通りは、平静そのものだった。食事をとる他国…
日曜の昼下がり、モスクワの街は静かだった。
数時間後にはワールドカップ決勝トーナメント1回戦、地元ロシアが優勝候補スペインに挑む大一番が控えているというのに、レストランやバーが立ち並ぶ中心部の通りは、平静そのものだった。食事をとる他国サポーターの姿が、今はワールドカップ期間中なのだと気づかせてくれた程度である。
地下鉄に乗り、スタジアムの最寄り駅が近づいてくると、ロシアサポーターの数が次第に増えてはきたが、さして盛り上がる様子もなかった。
他のヨーロッパや南米の国に比べ、そもそもロシアはサッカーへの関心度が低い。開幕戦の盛り上がりにしても、取ってつけたような印象が否めなかった。加えて、直近のグループリーグ第3戦ではウルグアイに完敗を喫したことで、にわかサッカー熱も急速に冷めていったとしても不思議はない。
実際、試合は世間のムードを察知したかのように、スペインが圧倒的にボールを保持する展開でスタートした。12分には、ロシアのオウンゴールでスペインが先制。すると、スペインは無理せず後方でじっくりとボールを回すようになり、さらにボールを保持する時間を長くした。
だが、何も起きそうもない楽勝ムードに気が緩んだスペインの漫然としたパス回しに乗じ、ロシアは長いボールを生かして次第に反撃へと転じる。
そして迎えた40分、右コーナーキックをロシアのFWアルテム・ジューバがヘディングで折り返すと、そのボールがジャンプして競り合ったスペインのDFジェラール・ピケの左腕に当たってしまう。
これで得たPKをジューバ自身が落ち着いて決め、同点。ロシアがこの試合で放った唯一の枠内シュートで、試合はふりだしに戻った。
しかし、試合が動いたのはここまでだった。
結局、(ロシアが同点に追いついたあたりのわずかな時間を除き)延長戦を含めた120分間、スペインがひたすらボールを保持して攻め続け、ロシアはひたすら守り続けた。ただ、それだけだ。1-1の末、最後はPK戦を4-3で制したロシアが準々決勝進出を決めた。
PK戦の末、ロシアに敗れたスペイン
率直に言って、見応えのない試合だった。
ロシアは、5-0でサウジアラビアに大勝した開幕戦では4-2-3-1だったフォーメーションを、3-5-2に変え、深く引いて守りを固めた。スペインがペナルティーエリア内に進入しようにも、そのなかは実質5-4-1で構える白いユニフォームで埋め尽くされていた。
例えば、ロシアがベスト4入りした2008年ユーロでは、FWアンドレイ・アルシャビンやロマン・パブリュチェンコを中心とした、電光石火のカウンターが印象深かったが、今のチームにはそれほど明確な武器はない。延長戦に入ってからの戦いぶりを見る限り、PK戦突入は狙いどおりだったのかもしれない。
ただし、だからといって、この試合からスペクタクルを奪ったのは、ロシアの”アンチ・フットボール”だけが原因ではない。
スペインもまた、やたらと無為な横パスをつなぐばかりで、どうやってロシアの守備を崩そうとしているのか、その意図がまったく見えてこなかった。
この試合、スペインのボールポゼッション率は70%に達し、つないだパスの本数は1000本を超えた。通常、1試合でのパス総数が600本を超えれば多いほうだが、1000本となるとちょっとした異常値だ。スペインが圧倒的に攻めていたというより、何もできずにボールを持て余していた様子を物語る。
「スペインのアイデンティティははっきりしている。若い選手も育ってきているし、それが大きく変わることはない」
前任のジュレン・ロペテギ監督の電撃解任を受け、急きょ就任したスペインのフェルナンド・イエロ監督はそう語り、まさかの敗戦にも楽観的な姿勢を崩さない。
だが、2008年から2012年にかけて、ユーロとワールドカップを”3連覇”した黄金時代を知るメンバーが少なくなり、一方で確かに若手が育ってはいるが、MFシャビやアンドレス・イニエスタのような大黒柱となりうる選手の後継者はなかなか現れてこない。過渡期に入ったスペインが、2年前のユーロに続いてベスト16で敗退したことは、決して偶然ではないだろう。
さて、話をロシアに戻そう。
グループリーグでは明らかに組み合わせに恵まれたとはいえ、サウジアラビアとエジプトから計8ゴールを奪って決勝トーナメントに進出してきたロシアだが、今度は一転、守り倒すことで優勝候補の一角を退けた。
「(守備的な)新しいシステムを採用することは、痛みのともなう決断だった。本当はやりたくなかったが、私を信じて選手がよくやってくれた」
ロシアのスタニスラフ・チェルチェソフ監督はそう語り、守備的な戦いが本意ではないことを明かした。
とはいえ、スペインをほぼ完璧に封じた手応えは決して小さくないだろう。体格に恵まれた選手がここまでなりふり構わず守りを固めてくるとなると、今後対戦するチームにとって、ロシアはかなり厄介な存在となるはずだ。
これでロシアは、1970年メキシコ大会(当時はソビエト連邦)以来のベスト8進出。それでも、チェルチェソフ監督は喜びを表情に出さず、今の気持ちを聞かれても「答えはシンプル。もう次のゲームのことを考えている」。そして、こんな言葉で試合後の公式会見を締めくくった。
「自分たちが行ける最高のところまでたどり着きたい」
静かだったモスクワの街でも、まだまだ控えめながら、あちらこちらから歓喜の歌声が聞こえてきた。これから先、その歌声はもっと大きくなるのかもしれない。