専門誌では読めない雑学コラム木村和久の「お気楽ゴルフ」連載●第160回 今年は、田中角栄元首相の生誕100年だそうです。 そんなニュースを聞いたと思ったら、そのすぐあとに「中曽根康弘元総理が100歳になった」っていう報道が……

専門誌では読めない雑学コラム
木村和久の「お気楽ゴルフ」連載●第160回

 今年は、田中角栄元首相の生誕100年だそうです。

 そんなニュースを聞いたと思ったら、そのすぐあとに「中曽根康弘元総理が100歳になった」っていう報道が……。えッ、どういうこと?って思いましたよ。

 実は、田中角栄氏が1918年5月4日生まれで、中曽根康弘氏も1918年5月27日生まれ。ふたりは同じ年に生まれて、生まれた月も一緒だったんですね。田中角栄氏は1970年代、中曽根康弘氏は1980年代の首相でしたから、てっきり違う世代だと思っていたので、ちょっとびっくりしました。

 このふたりは、ゴルフ好きな首相としても有名でした。まずは、そこら辺のお話からしていきましょう。

 田中角栄氏のゴルフにまつわるエピソードと言えば、なんと言っても、軽井沢ゴルフ倶楽部の当時の理事長、白洲次郎氏との”攻防”ですよね。

 軽井沢ゴルフ倶楽部は、日本一入会が難しいコースであり、日本一ビジターがプレーしづらいコースであり、そして日本一アットホームなコースとしても有名です。

 最近では、コースを丸ごと買えるぐらいのお金を持っている、某通信会社のオーナーが入会を断られていますからね。お金では買えない価値が、軽井沢ゴルフ倶楽部にはあるみたいですよ。

 一度、連れていってもらったことがありますが、”アットホーム”という意味では、スタート時間があってないようなものです。空いていれば、準備ができたらスタートという、なんとまあ優雅なこと。

 そんなコースに、田中角栄氏がビジターでやってきました。訪問を受けた白洲氏は、「角さんは総理大臣だから、むげには断れない。どうぞ、ご自由にプレーなさってください。ただし、プライベートな倶楽部なので、お付きの方の入場はお断りします」と言い放ったとか。いやぁ~、それには恐れ入りますなぁ。

 通常、首相がひとりでラウンドするって、ありえないでしょ。でも、それをさせたんですからね。もちろん、白洲氏をはじめ、コース側の誰かとはラウンドしていますけど。

 アットホームな点では、汗っかきの田中角栄氏は常に手ぬぐいを持ってのラウンドだったそうですが、それはプライベートなコースなので、黙認していたようです。

 しかし、どうしても受け入れられなかったのが、ビジターを連れてのラウンドでした。

 例のごとく、田中角栄氏はどこぞの大使を連れてきて、「プレーさせてくれ」と倶楽部にやってきました。

 そうしたら、白洲氏は「今日は日曜日で、メンバーデーです。角さんはプレーしても構いませんが、ゲストのプレーは受け入れられません」と、ゲストの入場を突っぱねたというではないですか。時の総理大臣が連れてきたゲストですからね、その対応にはびっくり仰天です。

 慌てた田中角栄氏は、すごすごと引き返して、近くのコースに会場を変えたそうです。

 いやはや、白洲氏はさすが「吉田茂の懐刀」と言われた男ですよね。サンフランシスコ平和条約の締結の際には、吉田茂首相が英語でスピーチしようとしたら、「敗戦国根性が抜け切れていない。日本は独立国なのだから、母国語でスピーチしなさい」と叱り飛ばしたそうですよ。それまた、恐れ入ります。

 結果、トイレットペーパーのような巻物に日本語が延々と書かれて、吉田茂首相はそれを持ってスピーチする事態に……。アメリカ・サンフランシスコでのことですからね、吉田茂首相のスピーチは当然、その場では誰も理解できなかったようですけど。

 白洲次郎氏は、只者じゃないです。今でも、生前に住んでいた『武相荘(ぶあいそう)』は公開されていますから、興味のある方は一度行かれてみてはどうでしょう。

 大きな農家の家を丸ごと改築してあって、面白いですよ。書斎なんか、生前のままの蔵書となっていますからね。

 話がちょっと飛んでしまいましたが、田中角栄氏のゴルフについて、もう少々。

 軽井沢ゴルフ倶楽部好きの田中角栄氏ですが、他に好んだコースには、小金井カントリー倶楽部があります。ここでは、ジャック・ニクラウスと一緒にラウンドしています。

 あと、霞ヶ関カンツリー倶楽部、箱根カントリー倶楽部などを好んで、首相を辞めてからのほうが、ラウンド数も増えたんだとか。

 非常にせっかちな早打ち、早歩きのゴルフで、早々に上がってくるから、2ラウンドすることもザラにあったそうです。田中角栄氏のゴルフは、まさに中高年の健康法――そう捉えていたようです。

 一方、中曽根康弘氏と言えば、神奈川の超名門コース、スリーハンドレッドクラブの創設に関わった人として有名です。茅ヶ崎市にあるスリーハンドレッドクラブは、メンバーがわずか300人ほどで、文字どおり、東急グループのエクスクルーシブな会員制倶楽部です。

 そもそもは東急グループの2代目、五島昇氏が計画を立てて造ったゴルフ場です。そして戦後、中曽根康弘氏が復員して、青年懇話会という勉強会を開いたとき、そのメンバーに五島氏もいて、じゃあ懇話会のサロンとして、スリーハンドレッドクラブを活用しよう、となった次第だそうです。

 以降、自民党の歴代首相や幹部に愛され、岸信介元首相も愛用していたとか。そのため、もしアメリカのアイゼンハワー大統領が来日してゴルフをすることになったら、スリーハンドレッドクラブでラウンドしたかも、という話が都市伝説として残っています。

 同クラブは、もちろん現在の総理大臣・安倍晋三氏も大好きで、首相就任以来、10回以上はラウンドしています。ちなみに、安倍首相は元メンバーで、今は会員権を売ったらしいですが。

 会員権のお値段は相場表には載っていませんが、おそらく7000~8000万円ぐらいと言われています。それでも、入会待ちの人は大勢いるそうですよ。

 まさしくここは、政治家の”ホームコース”。その礎を築いたのが、中曽根康弘氏というわけです。

 というわけで、元総理大臣ふたりのゴルフにまつわるお話を記してきましたが、どちらが名言を残してきているかというと、それは圧倒的に田中角栄氏です。それだけ、人生がアグレッシブだったのかもしれません。

 特に印象に残っているのは、田中角栄氏の政界引退の弁です。

「顧みて、我が政治生活に、いささかの悔いもなし」

 これだけ、豪放磊落(ごうほうらいらく)に自己実現できたのですから、まあ後悔はないでしょう。

 同様に、昭和の大スター石原裕次郎さんも『わが人生に悔いなし』という楽曲を晩年にリリースしています。石原裕次郎さんも、今で言うプロ野球の長嶋茂雄さん並みの”生ける巨人”でした。

 超大物の方々の人生は、悔いはないんでしょうね。



偉人たちと同様、悔いのないゴルフ人生を送りたいものですね...

 翻(ひるがえ)って、我々多くの凡人は、悔いの多い人生だと思います。私も、「あのとき、もうひと押しで口説けたのに……」ということがたくさんあります……って、キャバクラの話かよぉ~。

 そんなわけで、偉人たちの名言をゴルフに置き換えますと、

「我がゴルフ人生、いささかの悔いもなし」

 という感じですか。

 これを目標にして、私も老後に向けて楽しいゴルフ生活を送りたいと思います。ポイントは、やはりスコアにこだわらないこと。これに尽きますかね。

木村和久(きむら・かずひさ)
1959年6月19日生まれ。宮城県出身。株式をはじめ、恋愛や遊びなど、トレンドを読み解くコラムニストとして活躍。ゴルフ歴も長く、『週刊パーゴルフ』『月刊ゴルフダイジェスト』などの専門誌で連載を持つ。

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