親善試合クロアチア戦でのネイマールとチッチ監督 photo by Reuters/AFLO 南米予選で2位以下を大きく引き離しトップ通過。世界で最初にロシアW杯行きのチケットを手にしたブラジルは、ロシアW杯で優勝候補の最右翼と言われてい…



親善試合クロアチア戦でのネイマールとチッチ監督 photo by Reuters/AFLO

 南米予選で2位以下を大きく引き離しトップ通過。世界で最初にロシアW杯行きのチケットを手にしたブラジルは、ロシアW杯で優勝候補の最右翼と言われている。その強さの秘密は、4年前の自国開催の大会のリベンジに燃えているからだけではない。強さの源はチームを率いるチッチにある。彼は12年間の”ブラジルサッカー不遇の時代”を終わらせることのできる監督と言われている。

 ブラジルの恥ずべき時代は2006年ドイツW杯から始まった。このときのセレソン(ブラジル代表の愛称)はディフェンディングチャンピオンであり、ロナウド、ロナウジーニョ、ロベルト・カルロス、カカらを擁し、誰もが連覇を信じていた。

 大会直前のスイス合宿では、選手がただランニングしたり、ストレッチしたりする姿を見るためだけに、人々がチケットを買い、小さなスタジアムが満員御礼になるほどの人気だった。しかし、W杯の結果は準々決勝8敗退。それまで優勝、準優勝、優勝と続いていただけに、ブラジル人の落胆は大きかった。

 だが、さらなる悲劇はその後、ドゥンガが代表監督に就任したことだ。ドゥンガは選手を一度も海に連れていかず(ブラジル代表の合宿地の近くに海があると、息抜きのために連れていくことが多い)、2010年の南アフリカ大会はブラジル史上最低のW杯(準々決勝敗退)となってしまった。そして、ブラジルサポーターにわずかに残されていた希望をすっかり消し去ってしまったのが、2014年ブラジルW杯準決勝、ドイツ戦での7‐1の大敗だ。

 あの日以来、ブラジル人はサッカーを見ることがつらくなってしまった。だから代表が国外で試合をしても誰もテレビで試合を見ない。国内でプレーするときも観客はわずか。そのわずかなサポーターも、ブーイングばかりという日々が続いた。

 しかし2016年6月、ドゥンガが解任されてチッチが代表監督に就任すると、その空気は一変した。選手も幸せそうで、サポーターもまたセレソンを評価するようになってきた。

 チッチのやり方は、ドゥンガとは正反対だ。例えばマスコミへの対応。ドゥンガは尊大でメディアとの関係は最悪だったが、チッチは紳士的で、会見でも時間を気にしない。メディアのすべての質問にできるだけ答えようとしてくれる。

 サポーターに対しては、ピッチに入ると真っ先に挨拶をし、ピッチを後にする時は拍手で感謝を伝えた。

 選手に対しては、彼らの人格を最大限にリスペクトし、家族との時間を設け、クラブチームとの兼ね合いを考慮し、何より多くの選手に、セレソンでプレーするチャンスを与えようとしている。

 ドゥンガ時代は代表の滞在するホテルがトップシークレットで、マスコミは完全にシャットアウトされたが、今はオープンでメディアも大歓迎。そのため誰もが代表が何をしているのかを知ることができ、サポーターはチームにより親しみを持てるようになった。

 これらすべてがチッチの仕事である。彼はセレソンに笑顔を取り戻した。それはブラジル人にとって、何よりも、大事な、大事なものなのである。

 彼は最近の6年間で、南米で最も成功した監督だ。代表監督就任前は名門コリンチャンスを率い、ブラジルリーグチャンピオン、サンパウロ州チャンピオン、コパ・リベルタドーレスを制し、そして何より日本で行なわれたクラブW杯でプレミアのチェルシーを破り、全世界のクラブの頂点に立っている。

 チッチが代表監督に就任して以来、ブラジル代表は1試合も負けていない。

 監督就任後、何よりも先に彼がしたのは、選手ひとりひとりと個別にじっくり話をすることだった。彼は選手たちのすべてを知りたがった。その後、彼はヨーロッパからアジアまでを旅し、世界の主要な選手たちのプレーをその目で見て、そのデータと分析をコンピュータに打ち込み、膨大な資料を作り上げた。また、ブラジルの1万7000のシュートシーン、パスシーン、その他の動きを録画し、研究してそれを試合に生かすようにした。

 その間も彼は選手たちとの対話を続けた。彼が一番重きを置いたのは、勝つことではなく、楽しくプレーできること、仲間と楽しくサッカーができることだった。ともにサッカーを楽しむことができれば、そのチームは最大の力を発揮する――というのが彼の理念だ。

 そのためにチッチは、選手たちにどのポジションでプレーするのが一番好きかを尋ねることも忘れなかった。こうしたチッチのチーム作りのもと、選手たちは笑顔を取り戻した。監督の前では誰もが素直になれたし、何より自分の一番好きなポジションで、自分の好きなプレーができるようになった。監督が一方的に押しつけるサッカーではなく、選手自身が望むサッカーになったのだ。

 チッチは常に選手たちに言っている。「君たちは好きにプレーしていい。他人がどんなプレーを自分に望んでいるか、そんな忖度(そんたく)はしなくていい。やりたいことはすべてやりなさい。自分の望むプレーをすることは決してエゴではない」と。

 とはいえ、チッチがまるで野放図に選手にプレーさせているわけでは決してない。彼は戦術にも精通し、状況に応じて素早くフォーメーションを変化させることに長けている。彼の優秀なところは、彼の望むサッカーと選手の望むサッカーをシンクロさせたことだ。

 代表の練習は回を重ねるごとに平和と明るさを取り戻し、それと比例するように結果も出るようになった。W杯予選も好調で、チッチの自由なサッカーが有効であることを証明した。選手の「プレーしたい」「いいサッカーをしたい」という強い気持ちがブラジルに勝利をもたらした。

 やる気――それこそがチッチがブラジル代表にもたらした最強の武器だ。彼は選手ひとりひとりのなかから、最高のやる気を取り出すことに成功したのだ。

 ブラジル代表は10カ月もしないうちに、チッチが望むようなチーム、調和のとれたチームへと変わった。今のブラジルは、決して皆が考えるようなネイマールが王様で、彼を中心に作られたチームではない。ドゥンガは規律でチームを統制しようとしたが、チッチは信頼でチームを作り上げた。

 チッチはこの5月で57歳になったが、その頭の柔らかさも彼の武器だ。コウチーニョやネイマールといった今どきの若者へのアプローチの仕方もよく知っている。

 WhatsApp(欧米でLINEよりも普及しているアプリ)やTwitterで選手たちとつながっていて、何かあったらいつでも直に話ができるようにしている。また細かいプレーを説明したいときなどは、動画を撮影して選手に送る。レアル・マドリードでプレーするカゼミーロも、よくチッチから動画を受け取るそうだ。

「監督が僕たち選手に何を望んでいるか、この動画のおかげで本当によくわかる。代表チームはなかなか集まることができないけれど、こうしてみんなで動画や意見を共有すれば、いつも会っているのと同じだ。監督は本当に、俺たちに向いたやり方を知っているよね」

 失望を希望に変えてくれたチッチのことを、ブラジルではトランスフォーマーと呼ぶ者もいる。しかし多くの勝利を挙げながら、彼は依然として謙虚である。他人をリスペクトする話し方や態度は、驚きをもって迎えられている。

 代表監督とは何かにつけて批判される職業だ。特にサッカーを何よりも愛するブラジルでは、愛するがゆえに風当たりは恐ろしく強い。それが、だ。チッチは2億人の全国民から支持を得ている。誰もが代表監督に最もふさわしい人物だと信じている。これはブラジルでは前代未聞の出来事なのだ。

 最近の世論調査では、実に15~20%の人が、チッチに次のブラジルの大統領になってほしいと思っている。
 
 3月末、親善試合でブラジルに0-1で敗れたドイツのヨアヒム・レーヴ監督は、こう言っている。

「今のブラジルは、4年前に私たちが7-1で破ったチームとはまったく別物だ。新監督は、まるで新しいブラジルを作り上げた。よく組織され、明確なアイデンティティーを持ち、皆が自分のやるべきことを知っているスター軍団だ。W杯のタイトルを狙うチームにとっては、非常に怖い存在となるだろう」