ジネディーヌ・ジダンがレアル・マドリードの監督を電撃辞任した。「自分たちは考え方を改めなければならない」とカルレス・プジョルがつぶやき、「補強した選手たちは、どういう動きをすればいいのかわかっていない」とシャビが愚痴をこぼした。リーガ…
ジネディーヌ・ジダンがレアル・マドリードの監督を電撃辞任した。
「自分たちは考え方を改めなければならない」とカルレス・プジョルがつぶやき、「補強した選手たちは、どういう動きをすればいいのかわかっていない」とシャビが愚痴をこぼした。リーガとスペイン国王杯の2冠を達成し、すばらしいシーズンを送ったはずのライバル、バルセロナのOBたちも、満足感より焦燥感を募らせた。それぐらい、レアル・マドリードのチャンピオンズリーグ(CL)3連覇は大きな成功だった。
だが、ジダンは現役を退いたときと同様、美しいイメージのままでチームを離れることを決めた。
記者会見でレアル・マドリード監督辞任を発表するジネディーヌ・ジダン
「勝ち続けるイメージが持てないとき、望んだものがイメージできないときは、変化をすることが必要だ」
ジダンは辞任会見でチームを去る理由をこう述べている。おそらく、自分が引き続きこのチームの舵をとってもイメージ通りに進んでいかない。3年がひとつのサイクルと言われるサッカーで、3年目を迎えた今だからこそ、チームには新たな改革が必要だと説明した。
ジダンがチーム退団を決めた理由のひとつは、リーガでの不振があるに違いない。3位という結果は、他チームであれば十分に合格点を与えられるものだが、常に勝利を義務付けられているレアル・マドリードでは評価の対象にはならない。さらに悪いことに、優勝したバルセロナに勝ち点差17をつけられてしまったのだ。
そのため今季は、チームに対して地元メディアから批判の声が少なからず上がっていたのも確かだ。「試合が膠着状態に陥った際、打破する戦術を持っていない」「バランスの悪いサッカーで、容易に相手に反攻の機会を与えてしまっている」「試合開始直後の失点が多い」「クリスティアーノ・ロナウド依存症だ」……。
それでも、監督ジダンが大きく炎上することはなかった。その理由は、敵を作らないジダンの人間性と、ときに奇跡的な勝利を引き寄せる、常人にはないカリスマ性が大きかったのだろう。
ジダンが監督を務めた3年の間、メディアの姿勢は明らかに歴代の監督に対してのものとは違った。監督個人への批判、責任を追求する攻撃はほぼ皆無であり、どちらかといえば、ともに問題を解決していこうという提言や進言の類が多かった。
とはいえ、選手起用や補強に関しては、正しい答えなどないような質問が、毎回、フランス人監督へ飛んでいた。
ジダンが「チームにとってこれが最高のメンバーだ」と思って送り出しても、ベンチに座った選手の獲得に要した金額の高さや、代表では主力であることを理由に、「なぜ、起用しないのか」と問い詰められるシーンは何度も見てきた。そしてその選手を起用すればしたで、今度は「なぜ、こっちの選手は起用しないのか」といった質問が飛ぶ。
世界トップクラスの選手が揃うチームだからこその宿命といえばそれまでだが、そんな”いたちごっこ”のような問答を、ジダンはいつも強いられていた。
英紙サンが報じた記事もその手のものかもしれない。辞任発表の1日前、フロレンティーノ・ペレス会長と補強について話をした際、ダビド・デ・ヘア(マンチェスター・ユナイテッド)の獲得について口論になったことが退団の原因であると、スペイン地元紙も掴んでいない情報が載った。
キエフでのCL決勝後には、クリスティアーノ・ロナウドとガレス・ベイルがチーム退団を示唆するコメントを残したことで、トップチームのロッカールームをコントロールするのが簡単ではないことが、あらためて明らかになった。
「疲労は監督をすればついてくるものであり、自然なこと」と、ジダンは話す。だが、レアル・マドリードのようなメガクラブを指揮することの身体やメンタルへの負担は、計り知れないものがあるはずだ。
ペレス会長はジダンの決断を尊重し、「彼には相応しい休養が必要であり、これは”さようなら”ではなく”またすぐに”だ」と言って送り出した。だが、レアル・マドリードを去ってからベンチに再び戻った監督は、過去にファビオ・カペッロ、ビセンテ・デル・ボスケ、アルフレッド・ディ・ステファノと、数えるほどしかいない。
現在、後任には、グティやラウルといった生え抜きのほか、ユルゲン・クロップ(リバプール)やマウリシオ・ポチェッティーノ(トッテナム)といった外様の監督たちの名前が挙がっている。
確かなのは、もし次にジダンがレアル・マドリードの監督に就くときには、ラファ・ベニテス更迭の補填のために起用された経験不足の若手監督ではなく、偉大なタイトルをチームにもたらし、サッカーの歴史に名を刻んだカリスマ監督を招聘することになるということだ。