「あっ、チャンピオン!」 全仏オープンの予選に出ていた内山靖崇は、会場でダニエル太郎の姿を見かけると、からかうようにそう言った。 3週間前のイスタンブールオープンで優勝したダニエルもまた、全仏オープンには予選から出場していた。その彼に果…
「あっ、チャンピオン!」
全仏オープンの予選に出ていた内山靖崇は、会場でダニエル太郎の姿を見かけると、からかうようにそう言った。
3週間前のイスタンブールオープンで優勝したダニエルもまた、全仏オープンには予選から出場していた。その彼に果たして、優勝前後で目に見える変化はあったのだろうか……?
イスタンブールオープンを制したときのダニエル太郎
そんなことを内山に尋ねてみると、「なんにも変わらないですね、太郎は全然。いつもと一緒です」との答えが返ってくる。そしてそれは、予想できていた返答でもあった。
米国で生まれ14歳まで日本で育ち、以降はスペインを中心に欧州で多くの時間を過ごす――。そのような色彩豊かな生い立ちゆえか、あるいは複数の言語を流暢にあやつり、多くの国の人々との交流を通じて種々の文化に触れてきたためか。ダニエルはテニスや人生に対する独自の哲学を有し、それを言語で表現することに長けたアスリートだ。
ツアー初優勝を遂げた今、彼の内面やテニス観に何か変化があっただろうか? それらの問いにダニエルは、明瞭かつ飾らない彼固有の言葉で応えてくれた。
―― 優勝おめでとうございます。タイトルを手にしたことで、ご自身の気持ちや周囲の人たちの対応に変化はありますか?
ダニエル太郎(以下:ダニエル) 少しはありますね。たとえば優勝したから、全仏でも予選突破するのは当たり前だと思っている人も多いと思うんですけど、ぜーんぜん、そんなことはないし。いつもと同じです。
優勝したことで、試合中にも勝てる自信は出てきました。でもそれがいつ変わるかもわからないし……冷静に続けていくしかないです。
―― プレッシャーも感じるようになりました?
ダニエル 少しはなりますが、それは仕方ないですね。上に行くには、そういうプレッシャーはかかる。(ロジャー・)フェデラーとかでも、プレッシャーばかりだろうから。そういうのにも対応できないといけないですね。
―― 優勝したイスタンブールオープンには、大会開幕直前で本戦に出られることになったと聞きました。そのようなノンプレッシャーな状況が助けになった側面もありますか?
ダニエル ありました、ありました。本戦に入れただけでもうれしかったから。結果を出さなくてはという気負いもなくて、1試合1試合という感じで臨めていて。準決勝くらいからは優勝も見えてきたけれど、それでも自分にそんなに期待はしていなかったのがよかったと思います。
―― 昨年末から、フォアやサーブの改善に取り組んでいると言っていました。優勝した大会では、プレー面ではどの点がよかったのでしょう?
ダニエル ベースラインの後ろからも冷静にラリーできていたし、アタックできるときはアタックできました。コートが遅かったので、考える時間があったのもよかったのかもしれません。
フォアは、ショットのバリエーションが増えた感じですね。以前は高い(軌道の)ボールだけがよかったけれど、サーブの後にリターンされたボールのディレクション(方向)を変えたりするのはできなかったんです。展開を早くすることはバックではできていたんですが、それをフォアでもできるようになった感じです。
―― それができるようになったのは、練習の成果ですか?
ダニエル 練習ですね。練習ですが、今はいろんなことを……ボレーもドロップショットもサーブもと、いろんなことに取り組んでいます。なので、タフな練習だけれど、精神的にはそこまでタフじゃないです。
―― ダニエルさんは以前から、「優勝やグランドスラムだけを目的にしたらつらくなる。毎日の練習から楽しまないと」と言っていました。でも、毎日コツコツやっていくことにモチベーションを見つけるのは、難しくないですか?
ダニエル いや、そのモチベーションのないことも、成長のプロセスのひとつなので。毎日『がんばれるぞ!』という気持ちのある人なんて、誰もいないですよ。そういうふうに見せている人は嘘だから。ぜーったいに、嘘だから(笑)。練習が嫌だという気持ちも大切にしていかなくてはいけないし、勝利や結果によって、自分の価値が上がったり下がったりするわけではないと考えています。
―― では、何が自分の評価の基準でしょう?
ダニエル やっぱり、いいテニス選手や、いい人間になるには何をしなくてはいけないかを自分で理解してから取り組んでいれば、うれしさや幸せは絶対にくると思います。
勝った後の喜びって、ほんっとうに短いんです。サッカーやバスケだと、勝ったらチームメイトとも喜ぶ時間もあるけれど、テニスは勝ってもすぐに試合があるし、勝った試合後もすぐに記者会見などありますから。勝ったら、綺麗な女の人がバーッと寄ってきて遊べるというわけではないし(笑)。だから、勝った瞬間だけに集中してしまうと、本当に苦しいキャリアになると思います。
―― そのような考え方って、いつごろからできるようになったんですか?
ダニエル いつもそうだったと思うけれど、リオ・オリンピックに行ったときに一番感じました。日本のアスリートが……つらそうな顔をしている人ばっかりで……。
もちろん、テニス選手にとってのオリンピックはボーナスのような大会なので、他の競技の人と比べたらプレッシャーは低いです。それでも、柔道や水泳の人たちの『メダルを取らなくちゃ』という雰囲気が苦しそうで。
あとレスリングの吉田沙保里さんの、金メダル取れなかった後の『ごめんなさい』とか、卓球の(福原)愛ちゃんの『オリンピック終わってよかった。終わるまでは苦しい道でした』と言っているのを聞いて、そんな苦しい経験になるなんて……というのが。あれが僕の精神的なターニングポイントでした。
―― でも、ダニエルさんもそのオリンピックの後に勝てない時期が続いたり、モチベーションが下がって、苦しかったと言っていましたよね?
ダニエル 人生はそんなものなので。たとえば僕が30位や40位……今の(杉田)祐一君のポジションになったとしたら、『そこまで行けば、精神的に楽になるのかな』と周りは想像すると思います。でも、祐一君はクレーシーズンに入ってから勝ててなくて、たぶん今の彼は不安だと思います。
どのレベルにいても、そういう不安は絶対についてくる。それは仕方ない。それはアクセプト(受け容れ)しなくてはいけない。そういうときは絶対にくるって。だって(ノバク・)ジョコビッチがケガから戻ってきて、僕に負けるんだから!(笑)。だから、僕が300位や400位の選手に負けることもあるので、それはアクセプトしなくてはいけないです。
―― では、優勝した後にチャレンジャーやグランドスラムの予選を戦わなくてはいけないことも、テニス選手の人生としてアクセプトしていることのひとつ?
ダニエル そうそう。だって優勝した後に出たチャレンジャーも、1回戦からつらい思いをしましたし。今日もつらい試合があり、明日も明後日もつらい試合は続くだろうから。テニスって、そんな世界です(笑)。
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