『bj-league THE FINAL』DVDで振り返るbjリーグ11年間の軌跡 河内敏光(bjリーグ コミッショナー)インタビュー【Vol.2】歴代ファイナルの思い出と共にこれまでのbjリーグの歴史を振り返る河内コミッショナーインタビュ…

『bj-league THE FINAL』DVDで振り返るbjリーグ11年間の軌跡 河内敏光(bjリーグ コミッショナー)インタビュー【Vol.2】

歴代ファイナルの思い出と共にこれまでのbjリーグの歴史を振り返る河内コミッショナーインタビュー、連載第2回の今回は、2008-2009シーズンと2009-2010シーズンの2年間を振り返って参ります。

【最後は”ゾーン”に入っていて何をやっても決まる状態】
――大阪が3連覇して迎えた4年目の2008-2009シーズンはいかがでしたか?
河内:実はこのシーズンから、外国籍選手の出場制限を設けたんです。それまでは、日本の若い選手達を育てるためにオン・ザ・コートの規制(注:一度にコートに出ることができる外国籍選手の人数規制)をかけていませんでした。というのも、優秀な外国籍選手がいる中でも試合に出られるような選手にならなければ、日本代表にもなれないし、ひいては日本のレベル自体もあがっていかない、という思いがあったんです。一方で、勝ちにこだわるがゆえに、コート上にいる全員が外国籍選手…という時間帯も見受けられるようになってきたんですね。そこで、「そうは言っても我々bjは日本のプロリーグだ」ということで、この4年目からオン・ザ・コートの制限をかけたんです。

――そこからスタートしたこのシーズン、カンファレンス ファイナルで前年覇者の大阪が敗れるという波乱がありました。「伝説のセミファイナル」とも言われていますよね?
河内:沖縄vs.大阪の試合ですね。前シーズンからbjに参入した沖縄は、その年最下位でした。そして翌年のこのシーズン、沖縄は、大阪にいたジェフ・ニュートンを獲得して、初めて有明への進出を決めました。3連覇した大阪はサラリーキャップの関係もあって、主力の外国籍選手全員をかかえていられなくなったんですね。

――ジェフ・ニュートンにとっては古巣の大阪との対戦となったわけですね。
河内:そう、しかもこの試合で、元大阪のジェフが大活躍した。大阪にいた時はセンターのポジションで、リンやパルマーが打ったものを自分が拾って点数を取る、そういうプレイヤーだったものが、沖縄に行ってからは自分がシュートを打つようになった。沖縄チームの中で、そういう信頼を得たんですね。そのジェフが、このカンファレンス ファイナルで古巣を相手に1人で50得点もあげて、沖縄が勝利したんです。選手の移籍が重要な試合の勝敗を左右するというのはbjの歴史上でも何度かありましたが、これもまさにそのケースでしょう。しかも、誰もがファイナルにいくのは大阪だろうなと思うような展開での逆転勝利だったわけですから、見ていたみんなが本当に興奮した試合でした。

――沖縄は4Qで17点ビハインドでしたよね。
河内:そこからの大逆転ですよ。大阪はエースのリンにボールを集めたのですが、ジェフの勢いが止まらなくて17点差がひっくり返って。(試合映像を見ながら)あぁ、そうそう、ジェフの3ポイントで逆転ですね。考えてみれば、大阪にいた時にはゴール下にいたわけですから3ポイントを打つこともなかった。最後の方は”ゾーン”に入っていて、何やっても決まるような状態でした。この試合のジェフは本当にすごかったです。

――この試合後の桶谷ヘッドコーチの勝利インタビューがDVDにも収録されていますが、あの涙は印象的でした。
河内:そうですね。このシーズンは全体的に「3連覇していた大阪を倒すのはどこか?」という空気になっていましたが、”打倒大阪”を一番強い気持ちで持っていたのが沖縄だった気がします。「大阪にだけは絶対負けたくない!」という感じでしたね(笑)。

【ひっくり返っていた可能性も高い】
――ウェスタンからは沖縄が勝ち上がり、ファイナルは沖縄vs.東京の対戦となりました。
河内:ファイナルはどちらが勝つかまったく分かりませんでした。前日のカンファレンス ファイナルでの大逆転勝利で沖縄の勢いはすごかったですが、一方で、東京アパッチはとても強かったし、沖縄は一度も東京に勝利したことがなくて。点差としても、3Qが終わったところで6点差だったわけですから、非常に微妙でしたよね。

――そんな中で、4Qにデミオン・ベーカーがアキレス腱を切るというアクシデントが起きました。
河内:そうそう、この試合で20得点を決めていた東京のベーカーが怪我で退場することになってしまったんですよね。前年度のファイナルでは、ここからという時に青木選手が目を怪我して退場しましたし、本当に不運なチームというかなんというか…。2シーズン連続でファイナルに進んで、前年の借りを返すじゃないですけれど、東京ももちろん”打倒大阪”でやってきて、まさに悲願の初優勝に向けて、という感じだったんですけどね…。接戦なんだけれども勝ちきれない、という。6点差だったのでひっくり返っていた可能性も高いですし、試合終盤でのベーカーの怪我は本当に大きかったと思いますね。

――結果的に、そのまま沖縄がゲームをコントロールして勝ちました。
河内:はい、リーグ参入2年目で初優勝ですね。沖縄はブースターの応援もすごかったです。異様なくらいというか(笑)。沖縄の人はあまり本州に来ないとも言われていましたが、実際はものすごい人数が応援に来られていましたね。”指笛”なんかも響いて、沖縄ならではの独特の雰囲気でした。また、沖縄は外国籍選手だけでなく、ファイナルでは澤岻や金城などの地元・沖縄の選手も活躍していたので、ブースターの盛り上がりもひとしおでしたね。

【エースをどちらが抑えるかの勝負】
――さて、2009-2010シーズンですが、この年のファイナルは大阪vs.浜松となりました。28点差で浜松が勝利しましたが、いかがでしたか?
河内:浜松の大勝でしたね。このシーズンの浜松は、とにかく大口選手だったと思います。カンファレンス ファイナルでは、1試合で10本もの3ポイントを決めましたが、その記録は当時1番だったんじゃないかな。打てば入る、さらに打てば入るという感じでしたね。前日の大口選手のその活躍があって、浜松が勢いづいていました。大阪のエース、リン・ワシントンを抑え込みましたからね。最初は、もちろんどちらが勝つか予想はつきませんでした。ただ、エースをどちらが抑えるかの勝負だったかなと思います。

――2Qから点差がどんどん開いていきました。
河内:そうですね、浜松はリバウンドが強かった。(試合映像を見ながら)浜松がリバウンドを取っていることが多いでしょう。ここまで取られると、「入れないとダメだ」と思って、どんどんシュートが固くなるものです。逆に浜松は、落ちてもリバウンドが取れるからのびのび打てます。大阪の選手たちには大きなプレッシャーですよね。

――浜松の勝因はそこだったわけですね。
河内:それと、大口選手でしょうね。前日の試合で3ポイントをバンバン入れていましたから、大阪は外をしっかりおさえにきていた。そうしたら、インサイドでリバウンドをバンバン取られてしまって、インサイドとアウトサイドのどちらをおさえていいか分からなくなってしまった。大口選手の活躍とリバウンドの強さ、それが勝因だったと思います。

≪インタビュー【Vol.3】へ続く≫

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