柴崎岳が所属するリーガ・エスパニョーラ1部ヘタフェCFには、虎視眈々とトップチーム昇格を狙うひとりの若者がいる。今年1月に、ユースの最高峰であるヘタフェのユースチームに入団を果たした、18歳の柿沼利企(かきぬま・りき)だ。今年1月にヘ…

 柴崎岳が所属するリーガ・エスパニョーラ1部ヘタフェCFには、虎視眈々とトップチーム昇格を狙うひとりの若者がいる。今年1月に、ユースの最高峰であるヘタフェのユースチームに入団を果たした、18歳の柿沼利企(かきぬま・りき)だ。



今年1月にヘタフェユースと契約した柿沼利企

 左ウイングのレギュラーとして、スペイン・ユース1部の第19節レガネス戦から11試合に出場し、1ゴール、3アシスト。その活躍ぶりから、ヘタフェの公式ホームページで柿沼のインタビューが大々的に紹介されるなど、期待の若手として注目を集めている。

 柿沼は、昨年秋から1カ月にわたって行なわれた入団テストで、スペイン人の猛者(もさ)たちを相手に存在感を放った。ヘタフェのアンダーカテゴリーの総監督でもあるイヴァン・ルイス監督は、柿沼獲得の経緯を次のように明かす。

「正直に言うと、最初に見た時のリキのプレーはあまりよくなかったんだ。サッカーをあまり知らない子、という印象だったね。でも、彼にディフェンス面とポジショニングについて指示したら、それを機に驚くほどスムーズなプレーができるようになった。本当にわずかなアドバイスだよ。

 それ以降はプレーの意図の飲み込みが早くなり、そこから2週間は劇的によくなったんだ。1対1の局面での突破力とスピードにはもともと光るものがあり、スペインでも充分通用すると思っていた。それに加えて戦術理解度が深まり、チームへの適応能力もあるため、『この選手は伸びる』と思ったんだ」

 170cmと小柄な柿沼の特長は、50mを6秒前半で駆け抜けるスピードにある。平均値が高い、いわゆる器用なプレーヤーではない。ドリブルとスピードに秀でた”スペシャリスト”で、クラブではサイドを任されることが多く、「突破力に限定すれば、ユースでもトップレベル」と高い評価を受けている。イヴァン・ルイス監督が続ける。

「リキのストロングポイントはドリブルとスピード。サイドでボールを持った時に中に切り込んでいけるし、外からも勝負ができるので、スペイン人との明確な違いを見せてくれているよ。このあたりはリーグの中でもスペシャルといえる。

 課題は、ゴールまで直結するようなプレーを増やすことだ。今はまだまだプレーが粗いところもあるからね。ただ、伸びしろは充分で、将来的にはエイバルの乾貴士や、アルゼンチンのディ・マリアのような選手になれる可能性を秘めているね」

 栃木県出身の柿沼は、中学時代を「FCアネーロ宇都宮」で過ごし、卒業時には高校サッカーの名門・前橋育英からスカウトされるという、県下で名を馳せた選手だった。しかし、前橋育英に進学するも1年を待たずにサッカー部を退部し、通信制の第一学院高等学校に転校するという驚きの選択をすることになる。

「もともと、スペインのサッカーに強い憧れがあったんです。特にバルセロナのスタイルが好きで、かじりつくようにテレビで見ていました。前橋育英は総合的にレベルが高い高校で、1年から試合に出場できるチャンスはなかった。スペインでプレーするために、今のままでいいのかと自問自答したんです。第一学院には、アルゼンチンでプロとして過ごした指導者がいて、『あ、これだ』と。そこからの決断は早くて、迷いはなかったですね」

 日本有数の名門校から、通信高校への転校。この決断により、柿沼のサッカー人生は大きく動き始める。時間を見つけては海外サッカー経験者たちに会いにいき、スペインでのプレーを実現するための絵図を自ら描き始めた。周囲からの反対や冷ややかな視線も気にせず、「とにかくスペインで」という強い意志が柿沼を突き動かした。

 遠回りに思えるこの過程が、海外で生き抜くための思考力を身につける契機となった。本気で(トル)自身の人生と向き合い、出した結論は”日本からの脱出”だった。

「いろんな人から、『海外と日本ではサッカー感や常識がまったく違う』と口を酸っぱくして言われました。18歳にならないとスペインで契約はできない。そこで薦められたのが、スペイン語圏のアルゼンチンだったんです」

 その提案を受けて「球際の強さ、サッカーの厳しさを知るのに最適な国だ」と感じた柿沼は、2年時の春に第一学院高等学校を退学し、単身、アルゼンチンへと渡った。選手枠が既に埋まっていたという時期的な問題もあり、プロのユースチームへの入団は叶わなかったが、フリーの選手が集まるチームで淡々と練習をこなしていった。

「アルゼンチンでの経験は本当に今も活きています。フリーの選手が集まるチームなのに、コパ・リベルタドーレス(南米大陸のクラブ王者を決定するカップ戦)に出場した選手、1部のリーグでバリバリ活躍していた選手など、上を目指す選手が集まっていたんです。

 何よりプレーが激しくて、日本では考えられない当たりの強さを体感しました。DFなんて、『岩か』と思うくらいの強さでぶつかってくる。日々の練習でですよ。だからこそ1対1の局面の強さ、ゴールに直結するプレーの出し方など得たものが大きかったんです。アルゼンチンでの経験がなければ、ヘタフェユースへの入団も果たせなかったかもしれません」

 アルゼンチンでの半年間の武者修行を終える頃、柿沼は確かな手応えを感じていた。そして2017年の秋にスペインに渡り、各チームの練習を見学する一環で、ヘタフェの練習場を訪れた。そこで、現在は隣のグラウンドで練習する柴崎岳にサインをねだる場面もあったという。多くの言葉は交わさなかったが、柿沼は柴崎に憧れを抱いた。

「なんていうか、オーラがあったんですよ。日本人でリーガのチームの10番をつけているわけでしょ。僕は普段、緊張しないタイプなんですが、この時は『一緒に写真を撮ってください』と言うだけで緊張しました(笑)。それで、柴崎さんみたいになりたいと思って、なんとかヘタフェのテストを受けられるように代理人に頼み込みました」



憧れの柴崎と同じリーガのピッチに立つことができるか

 冒頭で述べたように1カ月半に及ぶテストをパスした柿沼は、今年1月に正式に契約を果たした。以降はチームの中心選手として、驚くべきスピードで成長を遂げている。

 乾貴士がエイバル加入当初にリーガへの適応に苦しんだように、日本人とリーガの相性は必ずしもいいとは言えない。実際に、筆者がレアル・マドリードのクラブ関係者に話した際に、「日本人だと適応に4、5年はかかるだろう」と言われた。リーガ関係者の認識では、それほど高いハードルがある。だが、柿沼は自己流のスペインへの適応術に自信を覗かせる。

「日本とスペインの一番の違いはサポーターです。スペインのサポーターは本当にサッカーを観る目が肥えている。だから、サポーターが沸くプレーを観察したんです。もちろん魅せるプレーも大事ですが、一番は戦える選手に惹かれる。いわゆるデュエルですね。僕は背は大きくないんですが、それに気づいてから徹底的にパワートレーニングを課し、身体的にも戦える土台が整ってきました。

 もうひとつ重要なのは、チームメイトに認めさせることです。言い換えれば、チームの誰にも負けない武器があること。僕の場合は、それがドリブルでした。ドリブルだけは誰にも負けないと自信を持っているので、仕掛けることで自分の存在価値を見出していきたいと思っています」

 昨今、日本の若い才能が海外の強豪クラブのユースに入団するというニュースを耳にする機会が増えた。だが、トップチームへの昇格の枠は少なく、今後も越えなければいけない壁は高い。他ならぬ柿沼も、ヘタフェB、トップチームと2つの過程をクリアして初めて、憧れのリーガの舞台に立つことができる。

 高校卒業を待たずして海を渡った柿沼の、独特の感性や強いメンタルは必ずプレーヤーとしての強みとなり、海外で戦う上での競争力となる。そして、柿沼のように若年層から海外での厳しい環境に身を置いた選手たちの経験値が、近い未来の日本サッカー界に必要とされる時が訪れるはずだ。

「上(ヘタフェB)に上がれる可能性ですか……。五分五分だと思いますね。自分ではやれるという手応えはありますが、上のカテゴリーやトップチームのポジションとの兼ね合いもありますし。トップに上がってリーガで活躍するのが第一目標。東京五輪、日本代表を目指すつもりですし、まずは目に見える結果を残すことで周囲を納得させたい。仮にトップに上がれなくても、その時はまた別のリーガのクラブを探して、再度チャレンジをするだけです。大きいことを言うのは簡単ですが、意外と現実的なんですよ。それもスペインで身につけた感覚ですかね」

 ヘタフェの原石は、自信に満ちた笑みを浮かべながらスペインでの飛躍を誓った。