【サイモン・クーパーのフットボール・オンライン】さらば、ベンゲル(後編)前編を読む>> アーセン・ベンゲル率いるアーセナルは、1997~98シーズンから2003~04年シーズンの間にプレミアリーグを3度制覇し、クラブの歴史で最も華麗なフ…
【サイモン・クーパーのフットボール・オンライン】さらば、ベンゲル(後編)
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アーセン・ベンゲル率いるアーセナルは、1997~98シーズンから2003~04年シーズンの間にプレミアリーグを3度制覇し、クラブの歴史で最も華麗なフットボールを繰り広げた。しかし偉大な改革者には、ライバルにすぐ真似されるという問題がつきまとう。ベンゲルのアイデアは、たちまちフットボール界に広がった。
ベンゲル(左)とティエリ・アンリ。2003~04シーズンにはリーグ戦無敗優勝を達成したphoto by Getty Images
2003年には10代のポルトガル人ウィンガーに目をつけ、ロンドンに呼び寄せた。背中に名前の入ったアーセナルのユニフォームを彼に与え、契約書にサインするよう説得した。ところがマンチェスター・ユナイテッドが横やりを入れ、若いポルトガル人選手にアーセナルを超える金額を提示して、かっさらっていった。選手の名はクリスティアーノ・ロナウドといった。
同じ夏、ロシアの石油王ロマン・アブラモビッチがチェルシーを買収した。オイルマネーがフットボール界に流れ込みはじめ、アーセナルは蚊帳の外に置かれた。これが痛かった。ベンゲルは非常にフランス的な思考をして、金を使えばフットボールの試合に勝てる(「財政的ドーピング」と彼は呼んだ)というのは不公平だと考えた。
ベンゲルは彼にふさわしい究極の栄冠に、あと一歩のところまで迫った。2005~06シーズンのチャンピオンズリーグ決勝では、残り15分の時点でバルセロナを1-0でリードしていたが、そこから2点を失って逆転負けした。
翌年、僕はアテネのスタジアムでACミラン対リバプールのチャンピオンズリーグ決勝を見たのだが、ちょうど後ろの席にベンゲルがいた。ミランの選手たちがメダルを受け取るのを見ながら、ベンゲルは顔をしかめて、手のひらをぽんと拳で叩いて言った。
「わかっただろう。チャンピオンズリーグで勝つには、ごく普通のチームでいいんだ」
数学の学位も持つ彼は、一発勝負の大会では運が大きくものをいうことを知っていた。ベンゲルはその運に恵まれず、究極の栄冠を勝ち得ることもなかった。
最後のシーズンのベンゲルは、あまりにもベンゲルらしすぎた。クラブにはこのベンゲルらしさを抑えられる人間が、ひとりもいなかった。
ベンゲルが選手にあまり金を使わない倹約家であるため、アーセナルの手元にあるキャッシュは1億4430万ポンド(約216億円)と、フットボール史上最高の額に達している。生まれついての教師であるベンゲルは、自分が伸ばしてやれそうな才能ある若手を買い続け、すぐにでもトロフィーの獲得に使えそうだが、高くつく大物選手には手を出したがらなかった。
もっと金離れのいいチームの選手たちが、自分の見つけた”神童”たちを打ち負かすのを目の当たりにすることも増えてきた。そんなときのベンゲルは、戸惑いを覚えている、老いた「元・改革者」のように見えた。パイオニアに2度なれる人間は、めったにいるものではない。
ベンゲルのようにフットボールクラブのすべてを掌握する人物は、もう現れないだろう。アーセナルは、彼の退任によって生じる穴を埋めるため、何人もの人間を雇うことになる。
多くの敗北もあったにせよ、ベンゲルはフットボールを変えた独創的な精神の持ち主だった。
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